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女性が輝く社会は看板倒れにならないでしょうか[2020年05月31日(Sun)]
 秋田さきがけ2019年12月18日付け「男女平等、日本過去最低 「リーダー」は男性ばかり」から、スイスのシンクタンク、世界経済フォーラム(WEF)は、世界153カ国を対象とした「男女格差報告」の2019年版を発表し、政治や教育など4分野を総合した男女平等順位で、日本は昨年の110位から後退し121位となった。報告の発表が始まった06年以降で最低の順位。先進7カ国中で最下位だった。
 報告書は日本について、教育と健康の側面では格差はほぼ解消されたと分析。しかし政治では首相に1度も女性が就任していないことに加え、議員や閣僚に占める比率が低く、経済でも管理職や経営者の女性が少ないと指摘した。
 政治家や経営者ら「リーダー」や、収入の高い専門職や技術職の多くを依然として男性が占めている。安倍政権が掲げる「女性が輝く社会」とはほど遠い実態が浮き彫りになった。
 今春の統一地方選挙で道府県議会の当選者に占める助成の割合は約10%。EU各国の平均が30%超で3倍の開きがある。
 管理職に占める女性比率が諸外国と比べ低い。2018年に世界の管理職に占める割合は27.1%。日本は12%にとどまり、先進7か国中最下位。11.1%のアラブ諸国並みだった。004.jpg

 社会には男性と女性がほぼ半数ずつのはずですが、日本はどうして女性が社会進出できないのでしょうか。要するに男性社会だということになりますが、それでいいはずがありません。男性以上に能力を持っている女性が多いかもしれないのに、男性が中心になっているということでしょう。このような状態が続けば世界中から取り残されてしまうでしょう。女性が活躍できない社会ということは、多様性も尊重されていないということになるでしょう。男性だけの論理が主流になっているのではないでしょうか。特に政治の世界は旧態依然として中高年の男性の独壇場と化してしまっているのではないでしょうか。女性も首相が誕生することが望ましいですが、制度を変えてでも国会をはじめ地方議会も女性が半数近くになるようにすることが先決ではないでしょうか。女性目線が足りない議会は男性だけの考えで物事が決まってしまっているのではないでしょうか。福祉、生活、文化などの面に関しては女性の考えが尊重され取り入れられる方が望ましい社会になるのではないでしょうか。経済的にも男女格差が存在することを解決しなければならないのではないでしょうか。女性の社会進出を促進することはもちろんですが、多様性が損なわれている日本社会で明るい未来を展望することができるのでしょうか。国民が自分事として考える必要があるのではないでしょうか。110.jpg
平和そのものが最上のモデルと言える世界になってほしい[2020年05月30日(Sat)]
 朝日新聞2019年12月17日付け「ゴルビーの言葉 今こそ」から、今の世界で1国による覇権はあり得ない。これは妄想の目標であり、願望です。安全保障環境が不安定になれば、新たな軍拡競争により、世界政治が無秩序と予見不能性にさらされます。アメリカを含めてすべての国の安全が損なわれるでしょう。
 妄想を相手にするのはやめて、現実政治に取り組むべきです。我々に必要なのは平和であって、世界の終末ではありません。
 2度目の広島を誰も望んではいけない、と思います。核戦力の90%を持つ超大国は、核廃絶に責任をもって取り組む。
 核抑止力は、核兵器のエラーや核のテロから世界を守りません。むしろ世界を絶え間ない脅威にさらし続けます。
 残された道はただひとつ。平和のために闘わなければならない。
 平和そのものが最上のモデルです。だからこそ平和を維持していかなければなりません。004.jpg

 軍拡競争、核兵器による威圧など平和と逆行するような動きだけが目立つ世界になっていますが、核戦力の90%を持つ大国が真剣に核を廃絶して平和な世界を希求するための取り組みをしなければならないのではないでしょうか。核保有国と保有していない国の橋渡しをするのが日本ではないでしょうか。平和な世界を実現することは、世界のいろいろな所で起きている紛争や争いを考えれば簡単なことではありませんが、平和そのものが最上のモデルということ信じて求め続けなければならないのではないでしょうか。自国だけがよければいいというリーダーが増えている状況は容認しづらいのではないでしょうか。地球温暖化の問題も世界の人々が平和に暮らすために解決に向けて力を合わせて解決に向かって進むべきですが、選挙のため、お金のためなのでしょうか、いま生きている人たちが幸せに生活することを最優先で考えていないのは非常に残念です。もう1度平和が保たれて幸せに生活できるということを真剣に噛みしめる必要があるのではないでしょうか。002.jpg
中村さんの考えが世界中に広がれば世界は変わるのでは[2020年05月29日(Fri)]
 秋田さきがけ2019年12月17日付け「仲間にして異邦人/「私たち」と広げる視線」から、中村哲さんは医師だが、医療活動だけを行ったわけではない。多くの井戸を掘り、用水路も造った。なぜか。飢えと渇きは薬では治せない、が中村さんの口癖だ。医療は非常事態(病)への対処である。中村さんはそれ以前に、日常生活の基盤−親しい仲間と毎日食事をとること−を立て直さなければならないという考えだ。
 その際中村さんが最も重視した方針は徹底的な現地主義だ。中村さんたちは日本人が現場の人々を巻き込み、巻き込まれながら一緒に作業を行う。このとき現地の価値観や習慣を前提にすることは当然だが、より重要なのは、現地で実現可能な技術だけを用いることだ。
 現地で実現しうる伝統的な工法を用いた。最新の装置を必要とする井戸や用水路は、すぐに使えなくなってしまうからだ(修繕のための部品が現地で入手できなければ、もうおしまいだ)
 1本の用水路は多くの現地人に恩恵をもたらすが、全員に平等に行き渡るわけではない。用水路や井戸も紛争の原因になり得る。
 中村さんはこれまで、ほとんどの関係者を満足させ、納得させてきた。
 人は普通、2種類の視線を前提に生きている。まずは見つめ合う−承認し合う−視線。もう1つ、人は、「私たち」を外から客観的に捉える視線があるのを知っている。ほとんどの支援者が、アフガンにとっての第2の視線の担い手である。
 中村さんのアフガンへの視線はどちらとも異なる。現地で苦しみを共有するその視線は、アフガンにとって紛れもなく私(たち)のそれだ。
 異邦人のように私たちを斜めから見る。「あなたは今あいつとの戦いが死活的に重要だと言うが、水があって農業ができれば争う必要はないではないか」と。
 もし世界各地に、中村さんのような視線をばらまくことができたら、本当に世界は変わる。032.jpg

 中村哲さんの考え方が世界中に広まっていけば、本当に世界が変わっていくのではないでしょうか。飢えと渇きは薬では治せない。世界中で存在している貧困の問題を置き去りにしては何も解決できないのはないでしょう。中村さんのように現場に出向いて直接人々と向き合って一緒に解決に向けて努力することが大事なのでしょう。最先端技術を導入して解決しようとしても、故障、不具合が生じた場合に部品などが手に入らず放置されてしまうような状況を想定して現地で実現しうる伝統的な工法を用いることは、言われてみればまったくその通りです。しかし、そこまでしっかり洞察して実行できる人がどれだけいるでしょうか。中村さんのように純粋に苦しみを共有できる人が増えれば世界も変わるでしょう。自分のため、自国のためという発想が蔓延して分断がどんどん進み争いが絶えず、暮らしづらくなっているのではないでしょうか。中村さんの考えを引き継ぐ人が世界中に増えることを期待してしまうだけではだめなのでしょうが、若い人たちが世界を変えるために大きな流れを作りだしてほしいと願います。garounotaki.jpg
この国の死生観について考えて[2020年05月28日(Thu)]
 朝日新聞be2019年12月14日付け「点ではなくプロセスで見る死」から、これまでの現代医学では、人間の死は「心臓死」とか、便宜的に「脳死」とか言われるように、点で捉えられてきた。心肺停止とか脳機能の不可逆的停止とかいった言い方に象徴されている。しかもそれを宣言するのは医師だけ。医師は、神の代理人であるかのように、そのような死の1点を告知する。けれども現実の人間の死は、決してそんな単純なものではない。年を取り、老衰し、致命的な疾患を発して死へと運ばれていく。つまり、一定のプロセスを経て、最終のゴールに到達する。それは、ある1点に凝縮されたような形で、突然やってくるのではない。老いという病をさまざまに抱えて、やってくる。もはや心臓死とか臓器移植のための脳死とかいう、人工的に設定された死の定義の枠なかで訪れてくるものではないからである。
 私は、このような現実ありのままのわれわれの死を、老病死と名付けて、再定義してみたいのである。言ってみれば、心臓死から老病死への転換のすすめ、である。それこれが人間の死についての、真の実態的な考え方、捉え方ではないだろうか。そもそも人間の老病の状態は、すでに死の領域、少なくともその入り口に実態的に参入していると私は考えるのである。それが、この国の長い伝統で育んできた死生観の根幹だったと思う。001.jpg

 現実の人間の死は、決してそんな単純なものではない。年を取り、老衰し、致命的な疾患を発して死へと運ばれていく。つまり、一定のプロセスを経て、最終のゴールに到達する。それは、ある1点に凝縮されたような形で、突然やってくるのではない。老いという病をさまざまに抱えて、やってくる。心臓死から老病死への転換のすすめ、である。それこれが人間の死についての、真の実態的な考え方、捉え方ではないだろうか。そもそも人間の老病の状態は、すでに死の領域、少なくともその入り口に実態的に参入していると私は考えるのである。それが、この国の長い伝統で育んできた死生観の根幹だったと思う。死生観の捉え方がわかったような気になりましたが、深いところは私には理解できていないのでしょう。生まれてきた以上は少しずつ死に向かって歩んでいることは間違いありません。いつかは市が訪れるのですが、死の受け止め方が少しでもわかれば幸せな最期を迎えることができるかもしれません。032.jpg
薬物被用者への治療、支援が優先されるべきでは[2020年05月27日(Wed)]
 朝日新聞2019年12月13日付け「「薬物は罪ですか」 非犯罪化し 治療・支援を 人権と尊厳 守られているか」から、日本は、薬物を使った人に「犯罪者」の烙印を押すことで、薬物を広がることを抑え込んできました。
 ポルトガルでは、2001年にすべての違法薬物を非犯罪化し、個人使用や少量の所持は罪に問わず、回復プログラムや就業支援につなぐことにしました。10年後に注射器による薬物使用や10代の経験者割合が減りました。
 近年、世界保健機構(WHO)や国連薬物犯罪事務所(UNODC)といった国連機関も繰り返し薬物の非犯罪化を提案しています。
 薬物依存とは本来、道徳問題でなく健康問題だったはずです。病気を罰しても回復につながりません。日本の必要な人へ治療や支援が届く社会にするため、薬物施策のかじを切るときではないかと思います。
 国連では、薬物施策の第1義として「薬物使用者の人権と尊厳を守ること」を宣言しています。この前提を忘れてはならないと思います。042.jpg

 日本は、薬物を使った人に「犯罪者」の烙印を押すことで、薬物を広がることを抑え込んできました、というのはその通りだったと思います。しかし、薬物使用者にも人権と尊厳があることを軽視しているのではないでしょうか。マスコミの報道では薬物使用者は犯罪者だと烙印を強く推した報道が主流ではないでしょうか。芸能人の場合は、出演しているテレビ、映画から外され、過去の作品まで多くの人たちが目にすることができなくなるような状況に陥ってしまいます。これでもかこれでもかという程追い詰められるのではないでしょうか。薬物依存とは本来、道徳問題でなく健康問題だったはずです。病気を罰しても回復につながりません。日本の必要な人へ治療や支援が届く社会にするため、薬物施策のかじを切るときなのかもしれません。社会が温かく見守ってあげることで社会復帰を果たすことができるようになることが大事なのではないでしょうか。薬物使用者の人権と尊厳を守ることを日本社会も真剣に考える必要があるのではないでしょう。薬物使用者に限らず犯罪者の社会復帰が進むように社会が受け入れる体制を構築する努力する必要があるのではないでしょうか。再犯を繰り返さずに社会の一員として人間らしく生きることができるようにわかりの人たちが受け止められる社会になることが望ましいのではないでしょうか。005.jpg
政治的な意図が働いているとすればどうでしょうか[2020年05月26日(Tue)]
 朝日新聞2019年12月12日付け「万歳!万歳!万歳!・・・? 作られ 失われた純粋さ」から、「三唱」と呼ばれるはずなのに、会場を煽るように何度も繰り返された万歳。天皇陛下の即位を祝う国民祭典の「万歳連呼」は、センスが悪いなと思いました。
 見た気になって、民衆をひとつに捉えてしまうのは間違いです。日常でも「目の権力」によって、一人ひとりを尊重しないことにつながりかねない。少数が尊重されないことも少なくない政治や社会の空気に、国民も慣らされてしまっているのではないか。個々の違いに目を向けようとしなくなってはいないか。044.jpg

 天皇陛下の即位を祝うことはいいのでしょうが、莫大な税金の使い方を考えるとあり方について政権だけ決めるのではなく国民を交えて事前に検討すべきではなかったのではないでしょうか。万歳の連呼に対しては、天皇陛下の即位を祝うのだからと言って政権や政治の意図が働いていなかったでしょうか。現政権は国民一人ひとりを尊重するというよりは、国家、公、集団の中の国民という位置づけと考え、個々の一人ひとりを尊重するとか大事にするということを避けようとしているように思われます。個々、少数を尊重しないという空気に慣らされてしまってきている国民はその問題性に気づく必要があるのではないでしょうか。祝うことを利用して政治的な思惑があるとすれば、その問題性を意識する必要があるのではないでしょうか。006.jpg
国民に対して審議会の公開と議事録の公表が必要ではないか[2020年05月25日(Mon)]
 朝日新聞2019年12月12日付け「審議会の公開と議事録」から、「全世代型社会保障検討会議」の議事録からある委員の発言が消えた、ということが話題になっている。
 もちろん「言い違い」や「記憶違い」もあるから議事録作成に当たって発言者に内容を確認することはあるのだろうが、それとて「会議は原則国民に公開する」という大前提があってのこと、恣意的な削減・改ざん・黒塗りは許されない。
 経済政策や社会保障制度に関する会議を非公開にする理由はない。
 国民は主権者だ。政府の政策がどのように作られるかを知る権利があるし、政府は政策決定過程を国民に開示し説明する義務がある。政府の裁量で情報公開を制限できると考えるのは重大な心得違いだ。
 さらに言えば、それに異を唱えるでもなく唯々諾々と「政府発表」を右から左に報道しているだけのマスコミも同罪だ。004.JPG

 国民は主権者だ。政府の政策がどのように作られるかを知る権利があるし、政府は政策決定過程を国民に開示し説明する義務がある。政府の裁量で情報公開を制限できると考えるのは重大な心得違いだ、ということがよく説明していると思いますが、国民が主権で国民が選んだ議員さんたちが国政を担っていることを考えれば国民に対してもっとわかりやすく納得のいく説明をするためには審議会の審議過程、議事録の公開などは率先して行われる必要があるのではないでしょうか。首相が国民、野党に対して丁寧な説明をすると言っている以上は、真摯な姿勢で納得してもらえるような説明を尽くすべきではないでしょうか。マスコミの問題は相当大きいのではないでしょうか。政権のためのマスコミになっているのではないかと感じるようなことが増えているのではないでしょうか。野党議員とマスコミが政権や与党を厳しくチェックしていろいろと解明しなければ国民にはわからないのではないでしょうか。隠蔽、改ざん、黒塗りなど好ましくない状況に流れて行っているのではないでしょうか。024.jpg
日本との違いが明確では[2020年05月24日(Sun)]
 秋田さきがけ2019年12月11日付け「34歳女性、新首相に フィンランド、世界最年少」から、フィンランドの議会は、議会第1党の社会民主党の女性、サンナ・マリーン運輸・通信相(34)を新首相に選出した。
 現職の首相として世界最年少、フィンランド首相としても史上最年少で、3人目の女性首相となった。
 政権は社民党に加えて計5党の連立を踏襲。他の4党の党首はすべて女性で、うち3人は30代前半。新内閣は女性12人、男性7人の構成になった。
 フィンランドは1907年に国政議会で初めて女性議員を誕生させたことで知られる。036.JPG

 フィンランドはどうして女性の進出が進んだのでしょうか。日本は今でも男性社会です。女性活躍とか看板だけは立派ですが、掛け声だけで中身が伴っていないのではないでしょうか。国会、地方議会も女性議員が少なすぎませんか。男性と女性がほぼ半数ずつだとすれば、議会で民意を尊重して活発な意見交換を行うためには女性議員が半数にならなければ意味がないのではないでしょうか。中高年の頭の固い男性たちだけが政治を動かす社会の先は明るい手は言えないでしょう。女性が社会に進出できるということは自由にものが言える生き易い社会になっているのではないでしょうか。日本はそのようになっているでしょうか。残念ながら息苦しさを感じるような社会になっていないでしょうか。自由で闊達な社会になるためには女性の目線が効き、女性の考えが浸透することが望ましいのではないでしょうか。日本は、女性を大事にして女性が活躍する社会に変わっていかなければ明るい社会を展望することができないのではないでしょうか。014.JPG
引きこもりの問題を社会全体で考える必要があるのでは[2020年05月23日(Sat)]
 秋田さきがけ2019年12月11日付け「引きこもりや介護、困窮 社会とつながる糸口に」から、有識者会議の最終報告書は「個人や世帯が抱える生きづらさやリスクが複雑化、多様化しており、従来の社会保障の仕組みでは十分な対応が難しい」と指摘。同時に「背景に引きこもりでの社会的孤立などが関係する場合も多い」と強調した。
 厚生労働省が、引きこもりなどの生きづらさを抱える個人や家族への支援体制に強化に乗り出す。問題を抱えながら声を上げられず、周りも気づかぬまま事態が悪化するケースは後を絶たない。孤立した当事者が社会とのつながりを取り戻す糸口になるよう、行政だけではなく、地域住民も巻き込み取り組む必要がある。
 生きづらさの要因は複雑に絡み合い、1つ取り除いただけでは解決しにくくなっている。スタッフが専門外の課題に対応できず、制度のはざまで取り残される人々も少なくない。
 また血縁や地縁のつながりは薄れ、家庭内の問題は外側からは見えづらくなった。特に引きこもりの問題は長年見過ごされ、行政の縦割りも影響し、親が80代、子どもが50代となり共倒れする「8050問題」という形で最近になりようやく表出した。対応が遅かった面は否めない。038.JPG

 引きこもりは状況が変われば誰でもなり得るのではないでしょうか。引きこもってしまえばなかなか外に出ることが難しくなってしまうかもしれません。世間体ばかりでなく、社会が受け入れる寛容さを失っているからかもしれません。生きづらい人が増えていることがあるのではないでしょうか。自己責任と片付けられ、他人事として扱われてしまっている状況はないでしょうか。孤立してしまい、孤独に陥ってしまうことを何とかする必要があるのではないでしょうか。孤独になってしまう人が増える社会は健全と言えるのでしょうか。言えないでしょう。いろいろな要因が複雑に絡み合って状況が悪化していくことを防ぐためにいろいろな人たちが協力して居場所を作ったり、支援の手を差し伸べることが大事なのではないでしょうか。行政だけでは問題を解決することはできないでしょう。社協だけでも容易ではないでしょう。民間の力、住民の優しさが必要になっているのではないでしょうか。息苦しい社会になってきているとすれば、何とか住み易い社会に変えていく必要があるのではないでしょうか。037.JPG
多くの国民が納得できる政治にする必要があるのでは[2020年05月21日(Thu)]
 朝日新聞「社説」2019年12月10日付け「政権の専横を忘れまい」から、安倍首相が私物化していたのではないかという疑念を放置したまま、先に進むことはできない。1問1答で詰められる委員会質疑に応えることは最後までなかった。
 初入閣から2カ月も持たないうちに辞任に追い込まれた菅原一秀経済産業相、河井克行法相の説明責任と首相の任命責任も、いまだ果されていない。
 政権にとって都合の悪いデータを国会に出し渋るのも、この政権の常套手段だ。野党が求めた経済効果の試算などは示されず、検討に必要な情報が十分にそろっていたとは言い難い。
 行政監視の主舞台でもある予算委の開催に応じず、国会の規則に基づく野党の要求も無視した。夏の参院選をにらんだ失点回避の思惑は明白だった。参院選後も、野党による臨時国会の早期召集要求は店晒しにされた。
 国会を閉じ、年が改まれば、一連の問題は忘れられる。首相はそう高をくくっているのかもしれない。しかし、政治権力が国民への説明を放棄した先に待っているのは、民主主義の土台の崩壊である。058.JPG

 首相は、自分に都合のよい政策などを国民に呼びかけるとき、マスコミへのぶら下がり取材で自分が言いたいことを発言するとき、国会の場で野党の事前の質問に答えるだけで問い返されないようなとき、委員会でも野党議員にヤジを飛ばすようなときには、イキイキと元気に言っていますが、野党などから1問1答形式で追及されるような場面は避けているのでしょう。委員会への首相の出席を自民党が拒否するということが多いですが、自民党の党首は首相です。辞任した大臣2人と選挙違反が疑われている辞任した法相の妻である参院議員は一向に説明をしていませんが、野党は追及して説明責任を果たさせないのでしょうか。都合の悪い事実を明らかにする資料を破棄したり、出さないということがあってもいいのでしょうか。いいはずがないでしょう。野党から開催要求があっても臨時国会や委員会を開催しないというのは何でも数の論理でできるという奢りでしょうか。国会を無視しているのではないでしょうか。国民も時間が経てばすぐに忘れてしまうと政権と与党に思われているとすれば、悲しいのではないでしょうか。香港の若者を中心に自分たちの将来のために立ち上がる国民が増えなければ国民が納得できるような政治にならないのではないでしょうか。自民党の中から反論が出てこないのはなぜでしょう。選挙に出馬できるかどうか判断するのが首相だからでしょうか。要するに選挙のことしか考えずに議員をやっている人が多いということでしょうか。石破議員のように憲法審議会での自由討議に発言したいという意思を示しても指名されないのは、首相の憲法に対する考え方とことなる考えを言われないようにするためなのでしょうか。多様な考えを容認するのではなく、同調圧力が強くなっているのではないでしょうか。ダメなことはダメと国民が大きなことを上げ、国民が納得できるような政治を実現しなければならないのではないでしょうか。057.JPG
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