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世界で増える戦禍に危機感 #戦争の記憶[2026年01月19日(Mon)]
 AERA DIGTAL2025年8月9日付け「倍賞千恵子(84)さんが語る戦後 「私たちは『平和』に怠惰になっている」 世界で増える戦禍に危機感 #戦争の記憶」から、「戦争や平和について考えるようになったのは、芸能界に入ってからです」。そう語るのは倍賞千恵子さん。きっかけは「いい作品」との出合いだった。倍賞さんが伝えたいこととは。
私は1941年6月、東京・西巣鴨の生まれです。同年の12月には太平洋戦争が始まり、戦況が悪化したので東京を離れ、茨城県の母の故郷の村に疎開したんだと思います。  
疎開先では子どもらしい、伸び伸びとした生活でした。食べ物は不足していましたが、麦ご飯にさつま芋を入れて食べたり、おかずが足りないときは「千恵子、キノコ採っておいで」と言われて、弟を背負い、犬も連れて山にキノコを採りに行き、それが晩御飯のおかずになったり。そんなことを覚えています。  
召集で満州に送られていた父のことを「戦争に行っているんだな」と理解はしていましたが、それ以外は「戦争」というものを感じることのない、楽しい日々でした。4歳で終戦を迎えましたが、玉音放送のこともまったく記憶にないんです。
戦争では何も残せず  
疎開先から東京に戻った後、母から東京の空襲の様子を聞かされたことはあります。米軍機から焼夷弾が落ちると油が家屋の壁に張りつき、そこから炎が出たこと。B29が飛んでくると操縦席にいる人の姿が見えたこと。でも、戦禍のイメージというと子どもの頃はそれくらいしかなかった。戦争や平和について考えるようになったのは、芸能界に入ってからです。いい作品との出合いが、そのきっかけだったように思います。  
たとえば原爆白内障の女性を演じたテレビドラマ「夏の光に…」(80年)や、広島市の平和記念公園にある「原爆の子の像」のモデルとなった佐々木禎子さんの母親役を演じた映画「千羽づる」(89年)。中でも大きな出合いが、谷川俊太郎さん作詞、武満徹さん作曲の「死んだ男の残したものは」です。  
ベトナム戦争最中の65年に作られ、「戦争では何も残せず、みんな死んだ」という歌。これに出合った90年頃から、戦争と平和についてより深く、考えるようになりました。ずっと大切に歌い続けなければと思っている曲です。  
2011年の福島原発事故も、私にとって大きな出来事でした。それまで、いつも戦争や平和の大切さを考えながら仕事をしつつ、大上段に構えて発言することはありませんでした。 
13歳で歌手デビュー、20歳で映画デビューしてずっと、目の前に来る仕事を自分の中で受け止め、演じたり歌ったりに明け暮れる日々。自分の思想を前に出して何かをするところまでいかなかったんでしょうね、きっと。
原発事故の後は、「自分にできることをやろう」と考えが変わりました。被災地に行き、コンサートや朗読もしました。ひとつ思うのは、「原発事故を考えること」と「戦争と平和を考えること」はつながっているということです。  
人が人を殺すということがどんなに悲しく、許されないことかを理解しない人間がいま、核を持ち、兵器を使おうとしている。いったん核を持てば、人間はどこかで使おうとするでしょう。一方で原発事故による被災者の傷もまた、長い年月を経て続くもの。原発は「絶対に安全なもの」とは言えないでしょう。
人間は本当に愚か  
戦争と原発。共通して考えるべきことは、「核」は持ってはいけないということです。そのことが平和につながるということを、すべての人間が真剣に考えないといけないと、私は思います。  
一方で、「平和」という言葉の使われ方に少し違和感を持つこともあります。「平和について考えよう」「平和じゃなきゃいけないよね」などと、「平和」という言葉をある意味でカジュアルに使いすぎることで、私たちのこの言葉に対する姿勢がどこか怠惰になってしまっている。そんな面もあるのではないでしょうか。  
人が人を殺す「戦争」という巨大なものがいったん始まれば、ひとりの人間なんてひとたまりもない。いまも世界中で戦争が起きています。「平和」というものが軽々しく扱われているこの世界だからこそ、一人ひとりが「平和」という言葉をもっと大切に発しなければいけないのではないか。そんな気もします。  
戦争はしちゃいけない、絶対に。でもいまだに世界では戦禍がやまず、減るどころか増えていっている。人間は本当に愚かですね。私も含めてですけど。戦後80年がたち、体験を語ることのできる世代もどんどん少なくなっています。でも、私は希望を持ち続けます。希望がなきゃ生きていけませんから。いま、84歳。残りの人生で何ができるかと言えば、たいしたことはできないかもしれない。でも戦争と平和について考える何らかの機会があれば、少しでも自分のできることをやっていきたい。そう思っています。DSC00786.JPG

 戦争や平和について考えるようになったのは、芸能界に入ってからです。いい作品との出合いが、そのきっかけだったように思います。たとえば原爆白内障の女性を演じたテレビドラマ「夏の光に…」(80年)や、広島市の平和記念公園にある「原爆の子の像」のモデルとなった佐々木禎子さんの母親役を演じた映画「千羽づる」(89年)。中でも大きな出合いが、谷川俊太郎さん作詞、武満徹さん作曲の「死んだ男の残したものは」です。ベトナム戦争最中の65年に作られ、「戦争では何も残せず、みんな死んだ」という歌。これに出合った90年頃から、戦争と平和についてより深く、考えるようになりました。ずっと大切に歌い続けなければと思っている曲です。 2011年の福島原発事故も、私にとって大きな出来事でした。それまで、いつも戦争や平和の大切さを考えながら仕事をしつつ、大上段に構えて発言することはありませんでした。13歳で歌手デビュー、20歳で映画デビューしてずっと、目の前に来る仕事を自分の中で受け止め、演じたり歌ったりに明け暮れる日々。自分の思想を前に出して何かをするところまでいかなかったんでしょうね、きっと。原発事故の後は、「自分にできることをやろう」と考えが変わりました。被災地に行き、コンサートや朗読もしました。ひとつ思うのは、「原発事故を考えること」と「戦争と平和を考えること」はつながっているということです。人が人を殺すということがどんなに悲しく、許されないことかを理解しない人間がいま、核を持ち、兵器を使おうとしている。いったん核を持てば、人間はどこかで使おうとするでしょう。一方で原発事故による被災者の傷もまた、長い年月を経て続くもの。原発は「絶対に安全なもの」とは言えないでしょう。原発は安全性の問題と廃棄物の処理方法が確立されていない状況を考えれば立ち止まって国民が自分たちで是非を判断する必要があるでしょう。原発の大惨事が生じる際には国民が厳しい状況に陥ってしまう可能性が高いでしょう。戦争と原発。共通して考えるべきことは、「核」は持ってはいけないということです。そのことが平和につながるということを、すべての人間が真剣に考えないといけないと、私は思います。人が人を殺す「戦争」という巨大なものがいったん始まれば、ひとりの人間なんてひとたまりもない。いまも世界中で戦争が起きています。「平和」というものが軽々しく扱われているこの世界だからこそ、一人ひとりが「平和」という言葉をもっと大切に発しなければいけないのではないか。そんな気もします。平和は訴えているだけでは実現できないのではないでしょうか。平和を実現するためには世界を巻き込んで行動していかなければならないでしょう。戦争はしちゃいけない、絶対に。でもいまだに世界では戦禍がやまず、減るどころか増えていっている。人間は本当に愚かですね。私も含めてですけど。戦後80年がたち、体験を語ることのできる世代もどんどん少なくなっています。でも、私は希望を持ち続けます。希望がなきゃ生きていけませんから。いま、84歳。残りの人生で何ができるかと言えば、たいしたことはできないかもしれない。でも戦争と平和について考える何らかの機会があれば、少しでも自分のできることをやっていきたい。そう思っています。一人ひとりが自分事と考えできることをやっていかなければならないでしょう。平和な世界で暮らすことができるようにしなければならないでしょう。DSC00785.JPG
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