自分事として考えなければならないのでは[2026年01月12日(Mon)]
mi-mollet2025年8月6日付け「「何をしてくれるかな」で選ぶ政治の危険性。独裁はいつも通りの風景の中ではじまる【小島慶子エッセイ】から、時代の潮目を迎えた今、自分ごととして考えたい社会問題について小島慶子さんが取り上げます。
もしも総理大臣になれるなら、あなたは何をしたい? 現実の仕組みをちょっと離れて、自由に想像してみよう。もしも日本の総理大臣に強大な権力があって、一切の反対を許さず、あなたの望むことがなんでも実現できるとしたら。外国人を追い出したい?
若い女性にじゃんじゃん子どもを産ませたい?
国民全員が総理大臣の言う通りにする素敵な国にしたい?
徴兵制を導入して若者を鍛えたい? 隣近所の国を思い通りにしたい?
核兵器を持ちたい?
利権のために戦争をしたい? あなたは権力を手にしたら、一体どんな日本を作りたいだろうか。
選挙で投票するときにはつい「この候補者や政党は自分に何をしてくれるかな」と考えてしまうけれど、候補者や政党はあなたと同じ受け身ではない。彼らは「もしも自分が権力を握ったら何をしたいか」を考えている。あなたとは行動原理が全く異なるのだ。それを忘れてはならない。
候補者はみんな票が欲しいので「あなたにこんないいことをしてあげます」「あなたの鬱屈がスッキリするようなことをしてあげます」と言う。もしあなたが出馬しても、きっとそうするだろう。だから「何をしてくれるかな」を基準に候補者を選ぶと、一番セールスの上手い人に引っかかることになる。もし「なんか感じがいい」「なんかやってくれそう」と感じる候補者がいたら、それはあなたがまんまとセールスに乗っかっている証拠だ。
もしもあなたが総理大臣なら、「何をしようとしているのですか」「それは正しいことなのですか」といちいち聞かれるのはめんどくさいだろう。「なんかやってくれそうですよね、おまかせします」と言われたら楽ちんだし、やりたい放題できる。選挙でも、候補者は「なんかよさそう」で投票してくれる人が一番ありがたいのだ。だからこぞって笑顔と元気と勇ましさをアピールし、清潔で現代的で親しみの持てる人物を演じる。
そしてときには爽やかな笑顔でこう言ってくれる。「あなたが普段人に言えずに抱えている気持ちは、言ってもいいものなんですよ」と。人生が行き詰まって孤独を感じているとき、幸せそうな人が羨ましいとき、誰にも大事にされず、蔑ろにされ、世の中の不公平に恨みを募らせているとき、あなたは思うかもしれない。「みんな不幸になればいい」と。自分が幸せになることが望めない場所に閉じ込められて生きていたら、誰だってそうなるだろう。そこへ溌剌とした人物が現れる。「いいんだよ、そう言っても。その気持ちは間違っていない。
あなたが不幸なのは、あなたのせいじゃない。あそこにいる連中のせいなんだ!」指差す先には、余所者やはぐれものがいる。権利や自由を求めて声を上げる人がいる。悲しいことに、人は不満が溜まると誰かをいじめたくなる。「あいつをいじめようぜ」とみんなで叫んでいると、なんだか"強者"になれた気がしてしまう。いとも簡単にいじめに加担してしまうのだ。
努力して成果を出さずとも、あなたが日本人であるだけで、あるいは男性であるだけで、性的マジョリティであるだけで、母親であるだけで、若者であるだけで、なんであれ"ありのままの自分"であるだけで認められ、優位に立てるとしたら。そうすれば、人生はもっとうまくいくだろうか。あなたと異なる人々さえいなければ、あなたはもっと大事にされるだろうか。つらい目に遭っても我慢しているあなたには「痛がり、欲しがるやつらを制裁する権利」があるのだろうか。あなたは傷ついているのだから、気に入らない人をいじめても構わないのだろうか。そうだそうだと叫ぶあなたが、胸の内にいるかもしれない。差別や暴力の芽は、誰の中にもある。
だけど、あなたをつらい目に遭わせているのが誰なのかを正確に知らなければ、あなたの苦しみは和らぐことはない。弱い者いじめで憂さ晴らしをしても、あなたは幸せにはならない。なぜならいじめをそそのかす者は、あなたの幸せには全く関心がないからだ。いじめをそそのかす者は、いじめが正当化される社会を望んでいる。あなたがそれに加担することを望んでいる。それで得をするのは、あなたよりも強いいじめっ子だ。あなたが今苦しいのも、あなたより強い誰かにいじめられているからだろう。加害者が誰なのかを見誤ってはいけない。それはあなたを焚き付け、利用する人たちなのだ。
外国人や女性やトランスジェンダーの人や障害者や病気の人や高齢者や、誰であれあなたにとって目障りな者をいじめると、自身の首を絞めることになる。「邪魔者は、いじめていい」が罷り通る世の中では、いじめが蔓延する教室と同じことが起きるからだ。次はいつ自分がやられる番になるのかわからないのだ。人は、誰の邪魔にもならないで生きていくことはできない。そして誰が邪魔者かを決める権利は、あなたにはない。邪魔者認定されたら排除されるだけだ。
たまたまあなたの人生ではなかっただけ。たった80年前に起きたこと
もしもあなたが好き放題できる力を手にした総理大臣なら、あなたは「余所者」を追い出し、「役立たず」を切り捨て、「日本人」の中に自由に線を引き、誰をいじめていいかを決めることができる。あなたの悪口を言う人や、あなたのやり方に賛成しない人を「いじめてもよし!」と言える。自由や権利を言い立てる連中を黙らせて、仕事をしないで子どもを産めとかおとなしくヨメをやれとか死ぬまで働けとか人を殺して死ねとか言ってコントロールすることができる。やってみたいなあ、気持ちいいだろうな、と思っただろうか。もしそうなら、あなたは政治家になってはいけない。あなたによって人々の命が危険にさらされるからだ。
排外主義を叫ぶ政治家やジェンダー平等を否定する政治家は、他にどんなに「感じのいい」政策を謳っていようと、人権という個人にとって最も重要なものを軽視している。人間に優劣をつける者たちが、あなたを大切にすることはない。「この世には大事にしなくてもいい人間がいる。それは国の利益にならない人間だ」と言う政治家には、決して力を与えてはならないのだ。強権を望む者が守るのは、あなたではない。その者たちは、自らが「お国」になることを望んでいる。あなたの自由を守る仲間のような顔をしてあなたを手なづけ、あなたに言うことを聞かせる「お国」そのものになりたいのだ。そしてこう言う。「お国のために産め」「お国のために死んでこい」と。「お国」になりたがる者が守りたいのは、自分だけである。
今年は戦後80年だ。80年余り前にもしもあなたが若者だったら、人を殺して死ねと言われて、万歳万歳と送り出されて、ジャングルの中で誰に顧みられることもなく紙屑みたいに吹き飛ばされ、あるいは病と餓えに苦しんで死んだかもしれない。初めて会った人を出会い頭に殺し、逃げ場のない女性を犯したかもしれない。あなたが兵士でなかったら、毎晩のように死の恐怖に怯え、爆弾で家を焼かれ、家族を焼かれ、体を焼かれ、これが自分の人生だったのかと無念の涙を流す間もなく目鼻もわからぬ黒焦げの死体にされたかもしれない。
お国のために工場や野戦病院で働かされ、戦場に放り出されて死んだかもしれない。山に逃げ込んで敵兵に殺されたかもしれず、味方の兵士に殺されたかもしれない。自ら死を選ぶことを強制され、絶望の中で小さな肉片になったかもしれない。戦地に行ったきり帰らない家族を死ぬまで待ち続けたかもしれない。それはたまたまあなたの人生ではなかっただけで、この日本でたった80年前に実際に人々が経験したことだ。死んだのは、あなたが今見ている山や空を見て、同じ地面を踏んで歩いていた人たちだった。
独裁は、いつも通りの風景の中で、ちょっとの変化が積み重なって出来上がる。曜日が変わるみたいに何気ない、でも取り返しのつかない変化の中で独裁政治は始まってしまう。海の向こうで起きていることを見てほしい。それは本当にあっという間のことなのだ。日本の現行憲法下ではそんなことはできないはずの独裁的な総理大臣のたとえ話も、為政者が憲法を軽視して都合のいい解釈を押し通したり、数に物を言わせて都合のよい改憲を行えば、簡単に実現してしまう。これまでにもそのような志向をもつ政治家はいた。人権を軽視する者に権力を与えてはならない。
あなたを利用する人は、感じが良くて、親しみが持てて、目新しくて素敵で、力強い。でも忘れないで。かつて国家による戦争で数百万人が死んだのちに日本がやっと手にしたのは、あなたも私も誰も国家によって優劣をつけられることなく、侵すことのできない尊厳を持つ人間として尊重されるという大原則なのだ。命には全て名前があり、一度きりの人生を一つきりの思い通りにならない生身で生きている。人はモノではない。あなたも私も見知らぬ誰かも、等価で無二の存在だ。その大原則を否定する為政者は、他にどれほど「良さげな施策」を掲げようとも、善き統治者ではない。そのような為政者は自ら人々に与えた快適な生活や新しい仕組みを、いとも簡単に取り上げるからだ。古今東西、「お国」となった為政者のもとで数多の人々が自由を奪われ、命を落としてきた。かつて日本もそうだった。それをもう一度やるのか。今年をその潮目にしてはならない。
候補者はみんな票が欲しいので「あなたにこんないいことをしてあげます」「あなたの鬱屈がスッキリするようなことをしてあげます」と言う。もしあなたが出馬しても、きっとそうするだろう。だから「何をしてくれるかな」を基準に候補者を選ぶと、一番セールスの上手い人に引っかかることになる。もし「なんか感じがいい」「なんかやってくれそう」と感じる候補者がいたら、それはあなたがまんまとセールスに乗っかっている証拠だ。そうかもしれませんね。悲しいことに、人は不満が溜まると誰かをいじめたくなる。「あいつをいじめようぜ」とみんなで叫んでいると、なんだか"強者"になれた気がしてしまう。いとも簡単にいじめに加担してしまうのだ。あなたと異なる人々さえいなければ、あなたはもっと大事にされるだろうか。つらい目に遭っても我慢しているあなたには「痛がり、欲しがるやつらを制裁する権利」があるのだろうか。あなたは傷ついているのだから、気に入らない人をいじめても構わないのだろうか。そうだそうだと叫ぶあなたが、胸の内にいるかもしれない。差別や暴力の芽は、誰の中にもある。弱い者いじめで憂さ晴らしをしても、あなたは幸せにはならない。なぜならいじめをそそのかす者は、あなたの幸せには全く関心がないからだ。いじめをそそのかす者は、いじめが正当化される社会を望んでいる。あなたがそれに加担することを望んでいる。それで得をするのは、あなたよりも強いいじめっ子だ。あなたが今苦しいのも、あなたより強い誰かにいじめられているからだろう。加害者が誰なのかを見誤ってはいけない。それはあなたを焚き付け、利用する人たちなのだ。外国人や女性やトランスジェンダーの人や障害者や病気の人や高齢者や、誰であれあなたにとって目障りな者をいじめると、自身の首を絞めることになる。「邪魔者は、いじめていい」が罷り通る世の中では、いじめが蔓延する教室と同じことが起きるからだ。次はいつ自分がやられる番になるのかわからないのだ。人は、誰の邪魔にもならないで生きていくことはできない。そして誰が邪魔者かを決める権利は、あなたにはない。邪魔者認定されたら排除されるだけだ。排外主義を叫ぶ政治家やジェンダー平等を否定する政治家は、他にどんなに「感じのいい」政策を謳っていようと、人権という個人にとって最も重要なものを軽視している。人間に優劣をつける者たちが、あなたを大切にすることはない。「この世には大事にしなくてもいい人間がいる。それは国の利益にならない人間だ」と言う政治家には、決して力を与えてはならないのだ。強権を望む者が守るのは、あなたではない。その者たちは、自らが「お国」になることを望んでいる。あなたの自由を守る仲間のような顔をしてあなたを手なづけ、あなたに言うことを聞かせる「お国」そのものになりたいのだ。そしてこう言う。「お国のために産め」「お国のために死んでこい」と。「お国」になりたがる者が守りたいのは、自分だけである。あなたも私も誰も国家によって優劣をつけられることなく、侵すことのできない尊厳を持つ人間として尊重されるという大原則なのだ。命には全て名前があり、一度きりの人生を一つきりの思い通りにならない生身で生きている。人はモノではない。あなたも私も見知らぬ誰かも、等価で無二の存在だ。その大原則を否定する為政者は、他にどれほど「良さげな施策」を掲げようとも、善き統治者ではない。そのような為政者は自ら人々に与えた快適な生活や新しい仕組みを、いとも簡単に取り上げるからだ。古今東西、「お国」となった為政者のもとで数多の人々が自由を奪われ、命を落としてきた。かつて日本もそうだった。それをもう一度やるのか。今年をその潮目にしてはならない。他人事だから関係ないというのではなく自分事として立ち止まってじっくり考える時期になっているのではないでしょうか。
もしも総理大臣になれるなら、あなたは何をしたい? 現実の仕組みをちょっと離れて、自由に想像してみよう。もしも日本の総理大臣に強大な権力があって、一切の反対を許さず、あなたの望むことがなんでも実現できるとしたら。外国人を追い出したい?
若い女性にじゃんじゃん子どもを産ませたい?
国民全員が総理大臣の言う通りにする素敵な国にしたい?
徴兵制を導入して若者を鍛えたい? 隣近所の国を思い通りにしたい?
核兵器を持ちたい?
利権のために戦争をしたい? あなたは権力を手にしたら、一体どんな日本を作りたいだろうか。
選挙で投票するときにはつい「この候補者や政党は自分に何をしてくれるかな」と考えてしまうけれど、候補者や政党はあなたと同じ受け身ではない。彼らは「もしも自分が権力を握ったら何をしたいか」を考えている。あなたとは行動原理が全く異なるのだ。それを忘れてはならない。
候補者はみんな票が欲しいので「あなたにこんないいことをしてあげます」「あなたの鬱屈がスッキリするようなことをしてあげます」と言う。もしあなたが出馬しても、きっとそうするだろう。だから「何をしてくれるかな」を基準に候補者を選ぶと、一番セールスの上手い人に引っかかることになる。もし「なんか感じがいい」「なんかやってくれそう」と感じる候補者がいたら、それはあなたがまんまとセールスに乗っかっている証拠だ。
もしもあなたが総理大臣なら、「何をしようとしているのですか」「それは正しいことなのですか」といちいち聞かれるのはめんどくさいだろう。「なんかやってくれそうですよね、おまかせします」と言われたら楽ちんだし、やりたい放題できる。選挙でも、候補者は「なんかよさそう」で投票してくれる人が一番ありがたいのだ。だからこぞって笑顔と元気と勇ましさをアピールし、清潔で現代的で親しみの持てる人物を演じる。
そしてときには爽やかな笑顔でこう言ってくれる。「あなたが普段人に言えずに抱えている気持ちは、言ってもいいものなんですよ」と。人生が行き詰まって孤独を感じているとき、幸せそうな人が羨ましいとき、誰にも大事にされず、蔑ろにされ、世の中の不公平に恨みを募らせているとき、あなたは思うかもしれない。「みんな不幸になればいい」と。自分が幸せになることが望めない場所に閉じ込められて生きていたら、誰だってそうなるだろう。そこへ溌剌とした人物が現れる。「いいんだよ、そう言っても。その気持ちは間違っていない。
あなたが不幸なのは、あなたのせいじゃない。あそこにいる連中のせいなんだ!」指差す先には、余所者やはぐれものがいる。権利や自由を求めて声を上げる人がいる。悲しいことに、人は不満が溜まると誰かをいじめたくなる。「あいつをいじめようぜ」とみんなで叫んでいると、なんだか"強者"になれた気がしてしまう。いとも簡単にいじめに加担してしまうのだ。
努力して成果を出さずとも、あなたが日本人であるだけで、あるいは男性であるだけで、性的マジョリティであるだけで、母親であるだけで、若者であるだけで、なんであれ"ありのままの自分"であるだけで認められ、優位に立てるとしたら。そうすれば、人生はもっとうまくいくだろうか。あなたと異なる人々さえいなければ、あなたはもっと大事にされるだろうか。つらい目に遭っても我慢しているあなたには「痛がり、欲しがるやつらを制裁する権利」があるのだろうか。あなたは傷ついているのだから、気に入らない人をいじめても構わないのだろうか。そうだそうだと叫ぶあなたが、胸の内にいるかもしれない。差別や暴力の芽は、誰の中にもある。
だけど、あなたをつらい目に遭わせているのが誰なのかを正確に知らなければ、あなたの苦しみは和らぐことはない。弱い者いじめで憂さ晴らしをしても、あなたは幸せにはならない。なぜならいじめをそそのかす者は、あなたの幸せには全く関心がないからだ。いじめをそそのかす者は、いじめが正当化される社会を望んでいる。あなたがそれに加担することを望んでいる。それで得をするのは、あなたよりも強いいじめっ子だ。あなたが今苦しいのも、あなたより強い誰かにいじめられているからだろう。加害者が誰なのかを見誤ってはいけない。それはあなたを焚き付け、利用する人たちなのだ。
外国人や女性やトランスジェンダーの人や障害者や病気の人や高齢者や、誰であれあなたにとって目障りな者をいじめると、自身の首を絞めることになる。「邪魔者は、いじめていい」が罷り通る世の中では、いじめが蔓延する教室と同じことが起きるからだ。次はいつ自分がやられる番になるのかわからないのだ。人は、誰の邪魔にもならないで生きていくことはできない。そして誰が邪魔者かを決める権利は、あなたにはない。邪魔者認定されたら排除されるだけだ。
たまたまあなたの人生ではなかっただけ。たった80年前に起きたこと
もしもあなたが好き放題できる力を手にした総理大臣なら、あなたは「余所者」を追い出し、「役立たず」を切り捨て、「日本人」の中に自由に線を引き、誰をいじめていいかを決めることができる。あなたの悪口を言う人や、あなたのやり方に賛成しない人を「いじめてもよし!」と言える。自由や権利を言い立てる連中を黙らせて、仕事をしないで子どもを産めとかおとなしくヨメをやれとか死ぬまで働けとか人を殺して死ねとか言ってコントロールすることができる。やってみたいなあ、気持ちいいだろうな、と思っただろうか。もしそうなら、あなたは政治家になってはいけない。あなたによって人々の命が危険にさらされるからだ。
排外主義を叫ぶ政治家やジェンダー平等を否定する政治家は、他にどんなに「感じのいい」政策を謳っていようと、人権という個人にとって最も重要なものを軽視している。人間に優劣をつける者たちが、あなたを大切にすることはない。「この世には大事にしなくてもいい人間がいる。それは国の利益にならない人間だ」と言う政治家には、決して力を与えてはならないのだ。強権を望む者が守るのは、あなたではない。その者たちは、自らが「お国」になることを望んでいる。あなたの自由を守る仲間のような顔をしてあなたを手なづけ、あなたに言うことを聞かせる「お国」そのものになりたいのだ。そしてこう言う。「お国のために産め」「お国のために死んでこい」と。「お国」になりたがる者が守りたいのは、自分だけである。
今年は戦後80年だ。80年余り前にもしもあなたが若者だったら、人を殺して死ねと言われて、万歳万歳と送り出されて、ジャングルの中で誰に顧みられることもなく紙屑みたいに吹き飛ばされ、あるいは病と餓えに苦しんで死んだかもしれない。初めて会った人を出会い頭に殺し、逃げ場のない女性を犯したかもしれない。あなたが兵士でなかったら、毎晩のように死の恐怖に怯え、爆弾で家を焼かれ、家族を焼かれ、体を焼かれ、これが自分の人生だったのかと無念の涙を流す間もなく目鼻もわからぬ黒焦げの死体にされたかもしれない。
お国のために工場や野戦病院で働かされ、戦場に放り出されて死んだかもしれない。山に逃げ込んで敵兵に殺されたかもしれず、味方の兵士に殺されたかもしれない。自ら死を選ぶことを強制され、絶望の中で小さな肉片になったかもしれない。戦地に行ったきり帰らない家族を死ぬまで待ち続けたかもしれない。それはたまたまあなたの人生ではなかっただけで、この日本でたった80年前に実際に人々が経験したことだ。死んだのは、あなたが今見ている山や空を見て、同じ地面を踏んで歩いていた人たちだった。
独裁は、いつも通りの風景の中で、ちょっとの変化が積み重なって出来上がる。曜日が変わるみたいに何気ない、でも取り返しのつかない変化の中で独裁政治は始まってしまう。海の向こうで起きていることを見てほしい。それは本当にあっという間のことなのだ。日本の現行憲法下ではそんなことはできないはずの独裁的な総理大臣のたとえ話も、為政者が憲法を軽視して都合のいい解釈を押し通したり、数に物を言わせて都合のよい改憲を行えば、簡単に実現してしまう。これまでにもそのような志向をもつ政治家はいた。人権を軽視する者に権力を与えてはならない。
あなたを利用する人は、感じが良くて、親しみが持てて、目新しくて素敵で、力強い。でも忘れないで。かつて国家による戦争で数百万人が死んだのちに日本がやっと手にしたのは、あなたも私も誰も国家によって優劣をつけられることなく、侵すことのできない尊厳を持つ人間として尊重されるという大原則なのだ。命には全て名前があり、一度きりの人生を一つきりの思い通りにならない生身で生きている。人はモノではない。あなたも私も見知らぬ誰かも、等価で無二の存在だ。その大原則を否定する為政者は、他にどれほど「良さげな施策」を掲げようとも、善き統治者ではない。そのような為政者は自ら人々に与えた快適な生活や新しい仕組みを、いとも簡単に取り上げるからだ。古今東西、「お国」となった為政者のもとで数多の人々が自由を奪われ、命を落としてきた。かつて日本もそうだった。それをもう一度やるのか。今年をその潮目にしてはならない。
候補者はみんな票が欲しいので「あなたにこんないいことをしてあげます」「あなたの鬱屈がスッキリするようなことをしてあげます」と言う。もしあなたが出馬しても、きっとそうするだろう。だから「何をしてくれるかな」を基準に候補者を選ぶと、一番セールスの上手い人に引っかかることになる。もし「なんか感じがいい」「なんかやってくれそう」と感じる候補者がいたら、それはあなたがまんまとセールスに乗っかっている証拠だ。そうかもしれませんね。悲しいことに、人は不満が溜まると誰かをいじめたくなる。「あいつをいじめようぜ」とみんなで叫んでいると、なんだか"強者"になれた気がしてしまう。いとも簡単にいじめに加担してしまうのだ。あなたと異なる人々さえいなければ、あなたはもっと大事にされるだろうか。つらい目に遭っても我慢しているあなたには「痛がり、欲しがるやつらを制裁する権利」があるのだろうか。あなたは傷ついているのだから、気に入らない人をいじめても構わないのだろうか。そうだそうだと叫ぶあなたが、胸の内にいるかもしれない。差別や暴力の芽は、誰の中にもある。弱い者いじめで憂さ晴らしをしても、あなたは幸せにはならない。なぜならいじめをそそのかす者は、あなたの幸せには全く関心がないからだ。いじめをそそのかす者は、いじめが正当化される社会を望んでいる。あなたがそれに加担することを望んでいる。それで得をするのは、あなたよりも強いいじめっ子だ。あなたが今苦しいのも、あなたより強い誰かにいじめられているからだろう。加害者が誰なのかを見誤ってはいけない。それはあなたを焚き付け、利用する人たちなのだ。外国人や女性やトランスジェンダーの人や障害者や病気の人や高齢者や、誰であれあなたにとって目障りな者をいじめると、自身の首を絞めることになる。「邪魔者は、いじめていい」が罷り通る世の中では、いじめが蔓延する教室と同じことが起きるからだ。次はいつ自分がやられる番になるのかわからないのだ。人は、誰の邪魔にもならないで生きていくことはできない。そして誰が邪魔者かを決める権利は、あなたにはない。邪魔者認定されたら排除されるだけだ。排外主義を叫ぶ政治家やジェンダー平等を否定する政治家は、他にどんなに「感じのいい」政策を謳っていようと、人権という個人にとって最も重要なものを軽視している。人間に優劣をつける者たちが、あなたを大切にすることはない。「この世には大事にしなくてもいい人間がいる。それは国の利益にならない人間だ」と言う政治家には、決して力を与えてはならないのだ。強権を望む者が守るのは、あなたではない。その者たちは、自らが「お国」になることを望んでいる。あなたの自由を守る仲間のような顔をしてあなたを手なづけ、あなたに言うことを聞かせる「お国」そのものになりたいのだ。そしてこう言う。「お国のために産め」「お国のために死んでこい」と。「お国」になりたがる者が守りたいのは、自分だけである。あなたも私も誰も国家によって優劣をつけられることなく、侵すことのできない尊厳を持つ人間として尊重されるという大原則なのだ。命には全て名前があり、一度きりの人生を一つきりの思い通りにならない生身で生きている。人はモノではない。あなたも私も見知らぬ誰かも、等価で無二の存在だ。その大原則を否定する為政者は、他にどれほど「良さげな施策」を掲げようとも、善き統治者ではない。そのような為政者は自ら人々に与えた快適な生活や新しい仕組みを、いとも簡単に取り上げるからだ。古今東西、「お国」となった為政者のもとで数多の人々が自由を奪われ、命を落としてきた。かつて日本もそうだった。それをもう一度やるのか。今年をその潮目にしてはならない。他人事だから関係ないというのではなく自分事として立ち止まってじっくり考える時期になっているのではないでしょうか。



