
当事者責任、自己責任で片付けることではないのでは[2025年05月07日(Wed)]
Yahooニュース2025年3月4日付け「「出会いがないのではない、余裕がないのだ」婚姻減の本当の課題の的を外し続ける政府の謎」から、出会いがあれば婚姻増える?
2024年の出生数が統計開始後最少を更新したことに関連し、3月3日の衆院予算委員会で石破首相が答弁したものだが、首相の言う「出生減は婚姻減による」はその通りであり、もうひとつ「婚姻減は見合い結婚と職場結婚が減ったことによる(首相は「見合い結婚はほとんど絶滅した。社内結婚も数字としてものすごく下がって、そういうことを言おうものならばパワハラセクハラと指摘を受ける」と答弁)」も事実認識としては正しい。
しかし、だからといって、その後に続く「いかにして出会いの機会というものを作っていくかということは、やはり行政として努めていかねばならない」には疑問符が付く。
出会いを増やせば婚姻は増えるのか?
同記事を紹介したヤフーニュースにもコメントを描いているが、さらに補足で加筆したいと思う。
「出会いがない」の男女差
「出会いがないから結婚できない」
そういう意見は確かに若者中にはある。それは否定しない。2024年こども家庭庁が行った「若者のライフデザインや出会いに関する意識調査」によれば、婚姻のボリューム層である25-34歳未婚男女において、結婚のハードルとして「出会いの機会がない」は、男性で2位、女性では1位である。
これだけを切り取れば「出会いの機会」の創出が結婚を増やすカギになるかと思うかもしれないが、大きく見落としているのは男女において「出会いがない」の意味が全然違うことである。
まず、女性にとって「出会いがない」とは「自分の希望する相手との出会いがない」のであって、出会いの機会そのものがないのではない。わかりやすく言い換えれば「(本人主観からしたら)ロクでもない相手との出会いはたくさんある」ということである。
それをふまえて、男性にとっての「出会いがない」とは、「自分のことを好きになってくれる相手との出会いがない」という意味になる。こちらも出会ってはいるし、自分からアプローチをしたとしても相手から受け入れられないということだ。
同じ「出会いがない」といってもこれくらいその性質が違う。
平成31年内閣府が20-49歳の結婚願望のある未婚男女を対象とした「少子化社会対策に関する意識調査」結果でもわかる。「結婚相手に巡り合えないとする理由の男女差」を示したものだ。
簡単にいえば、「出会っても好きになってもらえない男」と「出会っても好きにならない女」という構図が浮かび上がる。
出会いが増えても結婚は増えない
要するに、「出会いの機会があればなんとかなる」という話ではない。
出会える機会が増えても人数が増えても婚姻増には結び付かない。これは「恋愛強者3割の法則」に基づく自由恋愛市場における避けられないメカニズムだからだ。自由恋愛においては、「恋愛強者の総取り」パターンになりやすい。
よく考えれば当然で、女性からしてもより良い相手を選びたいと欲すれば欲するほど、3割の恋愛強者に恋心は集中する。一方で残りの7割は見向きもされないか、たとえ知り合っても「あんたじゃない」とフラれてしまうわけだ。
出会える機会や人数が増えて得をするのは3割の恋愛強者だけで、皮肉なことに、この3割が独身恋愛市場において無双状態になればなるほど、女性は二股三股交際の相手になり、強者以外の男性にはいつまでもお鉢が回ってこない状態となる。
つまり、出会いの機会を単純に増やしたところで、結局は3割の恋愛強者の恋愛機会を増やすだけで、かえって全体の婚姻は減ることになる。強者男性と付き合った経験が女性にとっても「あれ以上を希望する」という条件のインフレを招くからだ。
そもそも、婚姻減は、年収中間層の若者が結婚できない問題という根本的な部分をいつも政府は無視しようとしている。しかも、中間層若者の婚姻はここ10年で大きく減少している。なんなら婚姻減はすべて中間層の減少分で、経済上位層や大企業勤務、公務員の婚姻は減っていない。
前述したこども家庭庁調査の「結婚のハードル」で男女差を見れば、女性に比べて男性は圧倒的に「経済力」が問題となっている。恋愛力以上に結婚となると男は経済力を求められるからだ。
そして、こちらも経済強者上位3割以外は相手にされないのである。
本質的な課題は…
出会いがないのではない、余裕がないのだ。
余裕のなさは自信のなさにつながるし、それは行動意欲も失わせる。
内閣府「国民生活に関する世論調査」によれば、将来の経済的不安を訴える20代男性の割合は、3割(1996年)から7割(2023年)に大幅に増えた、
同様に、「今後は良くなる」と思える20代男性の割合も、第二次ベビーブーム期の1970年は5割もあったのに、2024はたった1割にまで激減している。しかも、割合が下がるタイミングは「就職氷河期」「リーマンショック」「コロナ禍」とことごとく経済環境悪化のタイミングである。
政府の取り組みは、一事が万事そうなんだが「出生数が減っている→ようし、子育て支援だ」「婚姻数が減っている→ようし、婚活支援だ、出会い機会増加だ」などとやっているが、全て短絡的で的外れである。これだけ成果があがっていないのだから、いい加減に的外れであることに気付き、見直す時期ではないか。
若者が「出会いがない」と声をあげる本当の意味は「(恋愛や結婚まして子育てのことまで考える)余裕がない」ということである。
目を向けるべきはその余裕のなさの解決である。
普通に結婚できる人たちはあまり問題だと感じないのでしょうが、難しいと思う人たちには大変な問題になってしまうでしょう。首相の言う「出生減は婚姻減による」はその通りであり、もうひとつ「婚姻減は見合い結婚と職場結婚が減ったことによる(首相は「見合い結婚はほとんど絶滅した。社内結婚も数字としてものすごく下がって、そういうことを言おうものならばパワハラセクハラと指摘を受ける」と答弁)」も事実認識としては正しい。しかし、だからといって、その後に続く「いかにして出会いの機会というものを作っていくかということは、やはり行政として努めていかねばならない」には疑問符が付く。2024年こども家庭庁が行った「若者のライフデザインや出会いに関する意識調査」によれば、婚姻のボリューム層である25-34歳未婚男女において、結婚のハードルとして「出会いの機会がない」は、男性で2位、女性では1位である。これだけを切り取れば「出会いの機会」の創出が結婚を増やすカギになるかと思うかもしれないが、大きく見落としているのは男女において「出会いがない」の意味が全然違うことである。女性にとって「出会いがない」とは「自分の希望する相手との出会いがない」のであって、出会いの機会そのものがないのではない。わかりやすく言い換えれば「(本人主観からしたら)ロクでもない相手との出会いはたくさんある」ということである。それをふまえて、男性にとっての「出会いがない」とは、「自分のことを好きになってくれる相手との出会いがない」という意味になる。こちらも出会ってはいるし、自分からアプローチをしたとしても相手から受け入れられないということだ。当事者は頑張っても結婚できないということもあるのではないでしょうか。女性からしてもより良い相手を選びたいと欲すれば欲するほど、3割の恋愛強者に恋心は集中する。一方で残りの7割は見向きもされないか、たとえ知り合っても「あんたじゃない」とフラれてしまうわけだ。出会える機会や人数が増えて得をするのは3割の恋愛強者だけで、皮肉なことに、この3割が独身恋愛市場において無双状態になればなるほど、女性は二股三股交際の相手になり、強者以外の男性にはいつまでもお鉢が回ってこない状態となる。つまり、出会いの機会を単純に増やしたところで、結局は3割の恋愛強者の恋愛機会を増やすだけで、かえって全体の婚姻は減ることになる。強者男性と付き合った経験が女性にとっても「あれ以上を希望する」という条件のインフレを招くからだ。確かに現実はそういうことになるかもしれません。婚姻減は、年収中間層の若者が結婚できない問題という根本的な部分をいつも政府は無視しようとしている。しかも、中間層若者の婚姻はここ10年で大きく減少している。なんなら婚姻減はすべて中間層の減少分で、経済上位層や大企業勤務、公務員の婚姻は減っていない。女性に比べて男性は圧倒的に「経済力」が問題となっている。恋愛力以上に結婚となると男は経済力を求められるからだ。そして、こちらも経済強者上位3割以外は相手にされないのである。政府の取り組みは、一事が万事そうなんだが「出生数が減っている→ようし、子育て支援だ」「婚姻数が減っている→ようし、婚活支援だ、出会い機会増加だ」などとやっているが、全て短絡的で的外れである。これだけ成果があがっていないのだから、いい加減に的外れであることに気付き、見直す時期ではないか。若者が「出会いがない」と声をあげる本当の意味は「(恋愛や結婚まして子育てのことまで考える)余裕がない」ということである。目を向けるべきはその余裕のなさの解決である。当事者責任、自己責任と片付けないで経済的にも時間的にも余裕のない状況をどうするか考える必要があるのではないでしょうか。
2024年の出生数が統計開始後最少を更新したことに関連し、3月3日の衆院予算委員会で石破首相が答弁したものだが、首相の言う「出生減は婚姻減による」はその通りであり、もうひとつ「婚姻減は見合い結婚と職場結婚が減ったことによる(首相は「見合い結婚はほとんど絶滅した。社内結婚も数字としてものすごく下がって、そういうことを言おうものならばパワハラセクハラと指摘を受ける」と答弁)」も事実認識としては正しい。
しかし、だからといって、その後に続く「いかにして出会いの機会というものを作っていくかということは、やはり行政として努めていかねばならない」には疑問符が付く。
出会いを増やせば婚姻は増えるのか?
同記事を紹介したヤフーニュースにもコメントを描いているが、さらに補足で加筆したいと思う。
「出会いがない」の男女差
「出会いがないから結婚できない」
そういう意見は確かに若者中にはある。それは否定しない。2024年こども家庭庁が行った「若者のライフデザインや出会いに関する意識調査」によれば、婚姻のボリューム層である25-34歳未婚男女において、結婚のハードルとして「出会いの機会がない」は、男性で2位、女性では1位である。
これだけを切り取れば「出会いの機会」の創出が結婚を増やすカギになるかと思うかもしれないが、大きく見落としているのは男女において「出会いがない」の意味が全然違うことである。
まず、女性にとって「出会いがない」とは「自分の希望する相手との出会いがない」のであって、出会いの機会そのものがないのではない。わかりやすく言い換えれば「(本人主観からしたら)ロクでもない相手との出会いはたくさんある」ということである。
それをふまえて、男性にとっての「出会いがない」とは、「自分のことを好きになってくれる相手との出会いがない」という意味になる。こちらも出会ってはいるし、自分からアプローチをしたとしても相手から受け入れられないということだ。
同じ「出会いがない」といってもこれくらいその性質が違う。
平成31年内閣府が20-49歳の結婚願望のある未婚男女を対象とした「少子化社会対策に関する意識調査」結果でもわかる。「結婚相手に巡り合えないとする理由の男女差」を示したものだ。
簡単にいえば、「出会っても好きになってもらえない男」と「出会っても好きにならない女」という構図が浮かび上がる。
出会いが増えても結婚は増えない
要するに、「出会いの機会があればなんとかなる」という話ではない。
出会える機会が増えても人数が増えても婚姻増には結び付かない。これは「恋愛強者3割の法則」に基づく自由恋愛市場における避けられないメカニズムだからだ。自由恋愛においては、「恋愛強者の総取り」パターンになりやすい。
よく考えれば当然で、女性からしてもより良い相手を選びたいと欲すれば欲するほど、3割の恋愛強者に恋心は集中する。一方で残りの7割は見向きもされないか、たとえ知り合っても「あんたじゃない」とフラれてしまうわけだ。
出会える機会や人数が増えて得をするのは3割の恋愛強者だけで、皮肉なことに、この3割が独身恋愛市場において無双状態になればなるほど、女性は二股三股交際の相手になり、強者以外の男性にはいつまでもお鉢が回ってこない状態となる。
つまり、出会いの機会を単純に増やしたところで、結局は3割の恋愛強者の恋愛機会を増やすだけで、かえって全体の婚姻は減ることになる。強者男性と付き合った経験が女性にとっても「あれ以上を希望する」という条件のインフレを招くからだ。
そもそも、婚姻減は、年収中間層の若者が結婚できない問題という根本的な部分をいつも政府は無視しようとしている。しかも、中間層若者の婚姻はここ10年で大きく減少している。なんなら婚姻減はすべて中間層の減少分で、経済上位層や大企業勤務、公務員の婚姻は減っていない。
前述したこども家庭庁調査の「結婚のハードル」で男女差を見れば、女性に比べて男性は圧倒的に「経済力」が問題となっている。恋愛力以上に結婚となると男は経済力を求められるからだ。
そして、こちらも経済強者上位3割以外は相手にされないのである。
本質的な課題は…
出会いがないのではない、余裕がないのだ。
余裕のなさは自信のなさにつながるし、それは行動意欲も失わせる。
内閣府「国民生活に関する世論調査」によれば、将来の経済的不安を訴える20代男性の割合は、3割(1996年)から7割(2023年)に大幅に増えた、
同様に、「今後は良くなる」と思える20代男性の割合も、第二次ベビーブーム期の1970年は5割もあったのに、2024はたった1割にまで激減している。しかも、割合が下がるタイミングは「就職氷河期」「リーマンショック」「コロナ禍」とことごとく経済環境悪化のタイミングである。
政府の取り組みは、一事が万事そうなんだが「出生数が減っている→ようし、子育て支援だ」「婚姻数が減っている→ようし、婚活支援だ、出会い機会増加だ」などとやっているが、全て短絡的で的外れである。これだけ成果があがっていないのだから、いい加減に的外れであることに気付き、見直す時期ではないか。
若者が「出会いがない」と声をあげる本当の意味は「(恋愛や結婚まして子育てのことまで考える)余裕がない」ということである。
目を向けるべきはその余裕のなさの解決である。
普通に結婚できる人たちはあまり問題だと感じないのでしょうが、難しいと思う人たちには大変な問題になってしまうでしょう。首相の言う「出生減は婚姻減による」はその通りであり、もうひとつ「婚姻減は見合い結婚と職場結婚が減ったことによる(首相は「見合い結婚はほとんど絶滅した。社内結婚も数字としてものすごく下がって、そういうことを言おうものならばパワハラセクハラと指摘を受ける」と答弁)」も事実認識としては正しい。しかし、だからといって、その後に続く「いかにして出会いの機会というものを作っていくかということは、やはり行政として努めていかねばならない」には疑問符が付く。2024年こども家庭庁が行った「若者のライフデザインや出会いに関する意識調査」によれば、婚姻のボリューム層である25-34歳未婚男女において、結婚のハードルとして「出会いの機会がない」は、男性で2位、女性では1位である。これだけを切り取れば「出会いの機会」の創出が結婚を増やすカギになるかと思うかもしれないが、大きく見落としているのは男女において「出会いがない」の意味が全然違うことである。女性にとって「出会いがない」とは「自分の希望する相手との出会いがない」のであって、出会いの機会そのものがないのではない。わかりやすく言い換えれば「(本人主観からしたら)ロクでもない相手との出会いはたくさんある」ということである。それをふまえて、男性にとっての「出会いがない」とは、「自分のことを好きになってくれる相手との出会いがない」という意味になる。こちらも出会ってはいるし、自分からアプローチをしたとしても相手から受け入れられないということだ。当事者は頑張っても結婚できないということもあるのではないでしょうか。女性からしてもより良い相手を選びたいと欲すれば欲するほど、3割の恋愛強者に恋心は集中する。一方で残りの7割は見向きもされないか、たとえ知り合っても「あんたじゃない」とフラれてしまうわけだ。出会える機会や人数が増えて得をするのは3割の恋愛強者だけで、皮肉なことに、この3割が独身恋愛市場において無双状態になればなるほど、女性は二股三股交際の相手になり、強者以外の男性にはいつまでもお鉢が回ってこない状態となる。つまり、出会いの機会を単純に増やしたところで、結局は3割の恋愛強者の恋愛機会を増やすだけで、かえって全体の婚姻は減ることになる。強者男性と付き合った経験が女性にとっても「あれ以上を希望する」という条件のインフレを招くからだ。確かに現実はそういうことになるかもしれません。婚姻減は、年収中間層の若者が結婚できない問題という根本的な部分をいつも政府は無視しようとしている。しかも、中間層若者の婚姻はここ10年で大きく減少している。なんなら婚姻減はすべて中間層の減少分で、経済上位層や大企業勤務、公務員の婚姻は減っていない。女性に比べて男性は圧倒的に「経済力」が問題となっている。恋愛力以上に結婚となると男は経済力を求められるからだ。そして、こちらも経済強者上位3割以外は相手にされないのである。政府の取り組みは、一事が万事そうなんだが「出生数が減っている→ようし、子育て支援だ」「婚姻数が減っている→ようし、婚活支援だ、出会い機会増加だ」などとやっているが、全て短絡的で的外れである。これだけ成果があがっていないのだから、いい加減に的外れであることに気付き、見直す時期ではないか。若者が「出会いがない」と声をあげる本当の意味は「(恋愛や結婚まして子育てのことまで考える)余裕がない」ということである。目を向けるべきはその余裕のなさの解決である。当事者責任、自己責任と片付けないで経済的にも時間的にも余裕のない状況をどうするか考える必要があるのではないでしょうか。