• もっと見る
« 2021年02月 | Main | 2021年04月 »
<< 2021年03月 >>
  1 2 3 4 5 6
7 8 9 10 11 12 13
14 15 16 17 18 19 20
21 22 23 24 25 26 27
28 29 30 31      
月別アーカイブ
最新記事
最新コメント
Tomoko
虹の懸け橋 (10/05)
大館市A
東北地方太平洋地震 (03/13)
藤原 克己
NPO法人の活動資金 (02/28)
モヤコ
買ってもらえる民芸品 (02/19)
ダムの必要性より住民が中心になって真剣に考え決定できる仕組みづくり[2021年03月07日(Sun)]
 弁護士ドットコム2020年8月9日付け「水害対策、このまま「ダム頼み」でいいの? 成蹊大・武田真一郎教授「地方分権がカギに」」から、ことし7月、熊本県や山形県などが「豪雨災害」に見舞われた。とくに熊本県は、球磨川の氾濫や土砂崩れなどで、60人以上が犠牲となり、住宅が破損・浸水するなど、深刻な被害にあった。ダムや堤防などで、治水対策はされているはずなのに、毎年のように河川の氾濫による水害が起きている。地域を水害から守るためには何が必要なのか。行政法を通して、環境や財政問題に取り組む成蹊大学法科大学院の武田真一郎教授に聞いた。
 地球温暖化によって、日本でも雨の降り方が「熱帯」に近づいてきたことは否定できません。球磨川の水害で、7月3日から4日にかけての降水量は、人吉市は420.0ミリ、隣の湯前町で497.0ミリ、いずれも2日間で、平年の1カ月降水量に相当する量になりました。これまでの治水対策では想定できなかった事態が生じていて、それが原因になっていることは間違いないと思います。
 明治時代、外国人技師が、日本の川を見て「川でなくて滝だ」と驚いたと言われています。たとえば、黒部川は長さ85キロにしかないのに、標高差が3000メートル近くあります。このように水害リスクが大きい地形であっても、川は農業用水や水産物のほか、景観を含めて流域にいろいろな恩恵をもたらすため、人々は川の近くに住んで共生してきました。 また、国土の小さい日本では平地は多くないため、洪水が起こりやすい場所であっても住まざるをえないということもあります。「川の近くは危険だから住むな」とは、一概には言えないのです。だから、地球温暖化による異常な豪雨とどのように折り合いを付けていくかを考える時期に来ているのではないでしょうか。
 大都市圏の利水のための効果があるとしても、今回の球磨川の水害にしても、1日で平年の半月分の水量が降ったのですから、流域の大半が水没するほどのダムをつくっても調整できるかどうかは非常に疑問です。ダムで止めるなら、流域の大半が水没するほどの大きなダムをつくらないとならないのではないかという印象があります。
 ある専門家によると、八ッ場ダムの最大流量削減率は下流に行くほど小さくなり、中流域で3%程度、下流では1%に過ぎないと言われています。これでは治水上の効果は非常に小さいと言わざるをえません。 利水にしても、最近は人口減少や節水機器の普及で流域の水需要は減少しているのに、右肩上がりで水需要が増加するという見通しを前提にしてつくられています。何より5320億円もの建設費がかかっていますが、それに見合う効果があるのかは疑問で、その原資は税金だということも忘れてはならないと思います。 また、あまり報道されていないことなのですが、八ッ場ダム建設の基になった利根川の河川整備基本方針によると、利根川の上流域には、八ッ場ダムクラスの巨大ダムがあと3基も必要だとされています。物理的にも財政的にも不可能と思える話なのに、利根川上流では永久にダム建設が続けられる構造になっています。つまり治水や利水のために必要だからではなく、ダムをつくることそのものが自己目的化しているのではないか。そのように思えてなりません。
 河川工学や堤防の専門家によると、治水の基本は堤防強化です。堤防が決壊すると、そこから大量の洪水が長時間にわたって流出し続けることになります。昨年の千曲川の氾濫を思い出せば、まさにそういうパターンです。堤防さえ決壊しなければ、堤防を越える越流水が発生しても、それが何時間も何日も続くことはまずないそうです。ならば決壊しない程度に堤防を強化すべきです。費用をかけずに、堤防を強化するのが治水の基本です。今の時代では、それほど難しくない技術で堤防を強化できるにもかかわらず、ダムに頼るのは、やはりダム建設自体が目的化しているのではないかと疑いを持ってしまいます。
 地元のことを一番よくわかっているのは、霞が関の官僚でも永田町の政治家でもなく、地元の住民です。河川管理が都道府県知事の責任になれば、ムダな巨大ダムを造るのではなく、堤防強化や避難場所の確保など、地元の実情にあった治水対策がとられるようになると思います。たとえば、日本最長の信濃川でも、その流域は長野県と新潟県と限定的で、両県の知事が協力すれば、効果的な治水対策ができるはず。 地域分権を進めることは河川管理以外でも必要で、たとえば沖縄県辺野古への米軍基地移設工事の埋立てにしても、国が進める事業であっても承認するのは知事の権限となっています。なのに最高裁はことし3月、県民投票で決まった移設反対の声を無視し、沖縄防衛局が国土交通大臣の判断で知事がした埋立承認の取り消しを取り消すことを認めてしまいました。
 2000年に施行された改正地方自治法では「国と県は対等」という前提になっているにもかかわらず、最高裁が地方自治法の基本原則を骨抜きにしてしまいました。辺野古の現状は国家的なハラスメントです。しかし、地方分権を徹底させ、国と地方は対等なんだという前提で交渉を進めることで、民意を無視した工事の強行は防げるのではないかと思います。
 日本を含む現代の民主主義国家は、選挙制度を中心とする間接民主制を基本としています。しかし、選挙制度には、選挙で選ばれた代表が必ずしも民意を反映しない(住民の望むことをしない、住民が望まないことをする)という重大な欠陥があります。そこで間接民主制の機能不全を是正するために、直接民主制としての住民投票が求められます。 そしてこの住民投票には、「利権の温床となっていて、環境と財政に多大な負担をかけている大型公共工事に異議を唱える」というものが見られるように、環境と財政という2つのキーワードが大きく関わっています。住民投票が実施された多くの事例では投票結果が尊重され、事業の見直しがおこなわれています。
 地域のことをいちばんよく知り、考えたうえで正しい判断に導けるのは、その地域の住民と言えます。だから、住民投票などの住民参加制度の充実を含め、地方分権を進めていくことが地域の災害対策にも不可欠ではないかと思います。藤沢イベント 3.JPG

 いくら立派な巨大なダムを造っても、護岸工事を進めて洪水が起きないように考えても、それ以上に雨が降り続いてしまう状況が増えていることを考えれば、自然の驚異に打ち勝つことはできないのではないでしょうか。地球温暖化の影響だと思いますが、雨の降り方が尋常でなくなってきている現実を危機感を持って受け止めなければなりません。中国の三峡ダムも溢れんばかりに雨が降り続きました。今後は今回よりも降り続ければ決壊するという事態に陥ってしまうでしょう。人間がどれだけ高い強固なダムを造ってもそれ以上の自然の猛威が襲ってくればどうしようもないということです。命は大事なので、事前に安全な場所に逃げることを普段から訓練しておくことが必要なのでしょう。公共工事にお金を使って守ろうとすることも大事かもしれませんが、その際には地域のことを1番よく知っている住民が主体になってどのような方策を考えどのような工事を行うのか決定するようなする方がいいでしょう。国と都道府県だけで決めるようなやり方から市町村とその住民が関わってどのようにするのか決定するようにすべきではないでしょうか。大災害の後の復旧、復興に際しても住民の意見を尊重するあり方を考えるべきでしょう。ダムの是非を論じるより住民が議論し合い住民の意向が尊重される仕組みづくりを急ぐべきではないでしょうか。DSC00058.JPG
| 次へ
プロフィール

元気さんさんの画像
リンク集
https://blog.canpan.info/genkijuku/index1_0.rdf
https://blog.canpan.info/genkijuku/index2_0.xml
お問合せは下記よりお願いします。返信にはお時間をいただく事がございます。