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健常者と体の不自由な人が一緒に共生する社会が望ましいのでは[2020年07月01日(Wed)]
 朝日新聞2020年1月8日付け「快も不快も分かち合う 一様でない障害者 理解は進まぬまま 教育の場で接点」から、「障害者と交わらない現場で教育を受けた若者たちが社会に出て『共生せよ』と言われても、自然な声掛けや手伝いができるはずがありません。『障害者は迷惑だ』と感じ、分断や排除が起きる可能性すらあります」
 「日本の学校は、長らく障害者と健常者を分けてきました。スキルや学力を伸ばすには効率的かもしれませんが、日本が多様性が尊重される社会を目指すのなら、見直していくことも必要かと思います。ですが、最近は身体障害者に代わって、発達障害者を別学級にして支援するようになっています。
 「日本は、障害者と健常者が触れ合う機会をもっと増やさなくてはなりません」「建前だけの多様性が蔓延ると、マジョリティーは、マイノリティーが自分を脅かさない範囲に限って多様性を認める、ということになりがちです。だからマジョリティー=迷惑を受け入れる存在、マイノリティー=迷惑をかける存在、という構図がいつまでも変わらない。本来の多様性とは、それぞれ違う条件で生きている個人が快も不快も同じように分かち合うことだと思います」017.JPG

 「障害者と交わらない現場で教育を受けた若者たちが社会に出て『共生せよ』と言われても、自然な声掛けや手伝いができるはずがありません。『障害者は迷惑だ』と感じ、分断や排除が起きる可能性すらあります」。日本の教育現場では、健常な子どもたちと体に不自由な障害を持った子どもたちを別々にしていますが、果たしてそれでいいのでしょうか。さらに発達障害の子どもたちも別学級にしてしまっていますが、そうではなくお互いに触れ合う機会を増やさなければ、多様な個性を持った子どもたちがいるということを認識できずに障害の持った人たちは迷惑であり、あまり関わらないようにしようとする考えが助長されてしまう不安がないでしょうか。体の不自由な人たちも違った個性を持っていると考えて普通に接して生きて行くことが大事なのではないでしょうか。016.JPG
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