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明日は我が身、助け合う仕組みづくりを考えなければならないのでは[2017年09月05日(Tue)]
 西日本新聞8月4日付け記事「「食いぶちもどうなるか…」見えぬ生活再建 豪雨避難者550人「涙も出ない」」から、慣れ親しんだわが家で暮らしたい。だが、被災から1カ月たとうとしているのに、片付けさえままならない。九州豪雨で被災した福岡県の朝倉市、東峰村、大分県日田市では、計550人が避難生活を余儀なくされている。「いつまで続くんかね…」。生活再建はまだ見えない。炎天下、朝倉市杷木星丸の日隈伸次さん(71)は泥にまみれながら自宅を掃除していた。7月5日の豪雨で乙石川が氾濫し、家が濁流に襲われた。生涯学習センターらくゆう館(同市杷木池田)で避難所生活を送りながら、片付けのため、毎日通っている。ボランティアの手を借りて床下の土砂は撤去した。直後、7月31日の大雨で再び浸水。建物は無事だったが、改修工事は順番待ちが続く。「盆には家族全員で集まりたいけどな」。日焼けした顔に疲労がにじむ。豪雨は生活の糧も奪った。「家も農機具もなんもかんも流された。この年齢では、他の仕事は見つからんし」。朝倉市黒川で農業を営む町田実さん(64)も避難先の総合市民センター「ピーポート甘木」で肩を落とす。自宅は流され、ヘリコプターで救助された。集落に20軒ほどあった民家はほとんど残っていない。道路も寸断されたままだ。農機具など全てそろえるには1千万円以上かかる。1ヘクタール以上ある田畑の修復費も計算できない。仮設住宅には真っ先に応募したが、外れれば避難所に残るしかない。「家も決まらんし、食いぶちもどうなるか分からん。涙も出らんよ」病気や障害のある避難者もいる。杷木中に身を寄せる男性(59)=朝倉市杷木寒水=は脊髄損傷で手足が不自由だ。頼れる身内はおらず、被災したアパートは家主が取り壊しを決めた。2万5千円だった家賃は、障害者年金が支えの男性にとって払える限界だった。仮設住宅や「みなし仮設」に入れても、行政の補助は2年で切れる。ソーシャルワーカーと相談し、長く住める物件を探している。「役所は頑張ってくれているし、わがままを言ったらいかん。ただ、途方に暮れている市民がいることも知ってほしい」。慣れ親しんだ杷木にとどまれるかどうか、まだ分からない。017.JPG

 災害はいつどこで起きても不思議でなくなった以上は、明日は我が身です。社会全体で助け合う仕組みづくりを考えなければならないのではないでしょうか。公助は原資が税金なので限界があります。自助は資産のある人は何とかなるかもしれませんが、年金暮らしの高齢者や収入の少ない人たちは自宅を再建するのが困難な人もいます。当然国や地方自治体が知恵を出して救済を進めなければなりませんが、さまざまな災害が絶え間なく国内のどこでも起こり得る状況では対応が遅れたり、十分な対応ができるとは限りません。それでも国民の生活のために災害対策用の準備金などをプールしておかなければならないし、災害発生時の速やかな災害対応に特化するような専門集団の組織を防衛省かそれ以外の国の省庁の中に構築する必要があるのではないでしょうか。生活再建できなければ、将来を見据えて頑張ることができないので、本来か公的団体で行っていることですが、時間がかかってしまうことがあるので、国内外からの寄付金、支援金などを速やかに必要なところに分配する専門的な民間団体もあってもいいのではないでしょうか。お互い様、みんなで助け合って安心して生活できるような社会を創り上げていかなければならないのではないでしょうか。018.JPG
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