責任の取り方は人それぞれではおかしいのでは[2017年03月21日(Tue)]
石原慎太郎元東京都知事の記者会見を見ましたが、豊洲を決定した都知事として責任は認識しているようですが、議会、東京都職員にも責任はあるという言い方で終始していました。部下である副知事に任せていたとしても公印を押して事業を推進したとすれば最終責任はトップにあるのは明らかなのではないでしょうか。会見を通して感じたのは責任逃れにのための方便であったような気がします。
築地で働いていることの混迷の原因は現小池知事にあるような言い方はテレビを見ている人たちは受け入れられないかもしれません。小池都知事が過去に遡って調査した方こそいままでわからなかったことが判明したのではないでしょうか。その分からないことの多くが石原元知事のときに遡るわけなので、まるで他人事のように小池都知事批判することが都民の反発を受けるだけなのではないでしょうか。公職のトップに立つ者は最終的な責任を取る覚悟がなければならないのではないでしょうか。そのような意味からも今回の会見は、石原元知事から責任逃れのために行ったことなのでしょうか。政治家をはじめ企業のトップも含めて人の上に立つ人は潔く責任を取るという心構えが求められるのではないでしょうか。
築地で働いていることの混迷の原因は現小池知事にあるような言い方はテレビを見ている人たちは受け入れられないかもしれません。小池都知事が過去に遡って調査した方こそいままでわからなかったことが判明したのではないでしょうか。その分からないことの多くが石原元知事のときに遡るわけなので、まるで他人事のように小池都知事批判することが都民の反発を受けるだけなのではないでしょうか。公職のトップに立つ者は最終的な責任を取る覚悟がなければならないのではないでしょうか。そのような意味からも今回の会見は、石原元知事から責任逃れのために行ったことなのでしょうか。政治家をはじめ企業のトップも含めて人の上に立つ人は潔く責任を取るという心構えが求められるのではないでしょうか。