教育委員会改革にも関心を[2013年05月11日(Sat)]
4月28日付け秋田さきがけ「社説」から、大津のいじめにしろ、大阪市の体罰にしろ、むしろ教育委員会事務局側、さらには学校の無責任さや隠蔽体質にこそ問題があったのである。教育委員会事務局や学校現場の再点検も含めた改革の視点が欠かせない。事務局や学校のあり方を点検し、指揮監督するのに適しているのは、その身内である教育長よりは、外部から選ばれる教育委員の方である。この意味からも教育委員会を教育長の単なる諮問機関的存在に格下げするようなことがあってはならないのではないか。
教育も学校もどちらかといえば保守的な色彩が強く、どうしても革新的にはなれない性質のものなのでしょう。それにしても日本の社会では教育界に限らず警察、柔道界の一連の問題を見ても隠蔽体質が色濃く残っているような気がします。まずはそのようなグレーゾーンをなくして、国民にガラス張りにして情報が伝わるような体質にしなければならないでしょう。教育委員会改革は、教育委員会の強化として事務方の教育長に権限を集中してしまうと、首長の意向に沿った教育行政になり、住民の意向が反映されなくかもしれません。いままで通りに外部の教育委員長を中心の体制の方が好ましいのではないでしょうか。
教育も学校もどちらかといえば保守的な色彩が強く、どうしても革新的にはなれない性質のものなのでしょう。それにしても日本の社会では教育界に限らず警察、柔道界の一連の問題を見ても隠蔽体質が色濃く残っているような気がします。まずはそのようなグレーゾーンをなくして、国民にガラス張りにして情報が伝わるような体質にしなければならないでしょう。教育委員会改革は、教育委員会の強化として事務方の教育長に権限を集中してしまうと、首長の意向に沿った教育行政になり、住民の意向が反映されなくかもしれません。いままで通りに外部の教育委員長を中心の体制の方が好ましいのではないでしょうか。