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可能性を信じて挑戦し続ける!左手の指のない高校球児[2026年02月08日(Sun)]
 NHKおはよう日本2025年8月12日付け「バッティングと守備 ほぼ右腕1本で 県岐阜商 横山温大選手」から、生まれた時から左手の指がない高校球児は、地方大会でチーム1の打率で憧れの甲子園の舞台に立ちました。
 「いかにみんなと変わらずできるか」「自分と同じ境遇の子どもたちへ」努力で乗り越えた記録です。
野球一家に生まれて
県立岐阜商業の背番号「9」、横山温大選手。レギュラーとして活躍しています。左手に障害があり、生まれた時から左手の指がありません。
3人きょうだいの末っ子として生まれた横山選手は、兄の野球の応援に毎週のように行って野球に興味を持つようになりました。
横山温大選手「小さい頃から野球が身近にあって、野球にしかない魅力を感じていました」野球を始めたのは小学3年生の時、兄と同じ地元のチームでした。
 当時は左手に義手をつけて、その上にグラブをはめてプレーしていました。大きな挑戦でしたが家族が反対することはありませんでした。
母・尚美さん「応援に行って兄のチームが負けると兄より悔しがるくらい負けず嫌いでした。努力できる子どもだったので、みんなと同じようにできるように自分で工夫できると思っていました」
バッティングも守備もほぼ右腕でだけで
しかし、5年生のころに義手の使用を断念。感覚のない義手を使うと、捕球などで難度が上がり、中学や高校では通用しなくなってしまうと考えたからでした。それでも野球を続けたい。新しい方法が必要になる中で、大きなヒントになったのは腕に障害がある大リーグの選手でした。
ジム・アボット投手です。アボット投手は、先天性の障害で右手首から先がありません。いわゆる「アボット・スイッチ」でボールを持ち替えて投げ、大活躍しました。横山選手にとって一筋の大きな希望が見えたのです。
横山温大選手「親に教えてもらって、大リーグにそういう選手がいたんだなと驚きましたし、すごいと思いました。自分でもこういうことができるかなと希望が見えました」アボット投手のようにいかにして素早くグラブを付け替えてボールを投げることができるか。横山選手はひたすら試行錯誤を続けました。右手につけたグラブで捕球したあと、瞬時にグラブを左脇に抱え、このあと右手でボールを握って投げる。他にもいろいろな形を試して、最も速い方法を探りました。捕ってからボールを握るまで1秒を基準に特訓し、今のような素早い動きができるようになるまで、およそ1年かかったということです。
横山選手が取り組んだのがもう1つ。バッティングです。左打席に入って右手でバットを握ります。両手でバットを振れず、打球もあまり強く打てませんでした。その分、右腕を徹底的に強化しました。重さ25キロのダンベルなどで鍛え上げた結果、右腕は左腕より1回りも大きくなりました。スイングスピードは去年の秋から1年足らずで10キロ以上増しました。
横山温大選手「いかにみんなと一緒、変わらずにできるかを意識して、左手以外の部位は、皆に負けないように鍛えましたし、右腕は腕2本分を補えるように鍛えました」
たゆまぬ努力の結果、この夏はレギュラーを示す背番号「9」をもらいました。地方大会ではチーム1の打率5割を超え、決勝では3打数3安打の大活躍。監督からは“決勝のMVP”とたたえられ、甲子園出場に大きく貢献しました。
横山温大選手「甲子園は観客も多くて注目される大きな舞台で憧れ。ここで活躍して、自分と同じような境遇の子どもたちにもやればできるんだと教えてあげたいです」
見守る両親の思い
横山選手の甲子園出場が決まったあと、母・尚美さんのもとには同じような障害がある子どものいる親からメッセージが寄せられるようになりました。
母・尚美さん「同じような障害がある赤ちゃんが生まれた方が直接、球場に来て励みになったと言ってもらうこともありました。自分の息子だから特別だとは思ってはいないんですけど、本人が頑張ったことで応援してもらえたり勇気や希望を与えられたりしているのは、すごいなと思います」初戦の当日、父の直樹さんと母・尚美さんが初めて甲子園を訪れました。おそろいのポロシャツに青いメガホンで息子を応援します。
憧れの舞台で
横山選手は7番・ライトで先発出場し、1点を追う5回、1アウト二塁のチャンスでした。変化球を捉えた打球は一、二塁間を抜けました。甲子園初ヒットが同点のタイムリー。両親はメガホンをたたいて祝福します。横山選手は後続のヒットでホームに帰り勝ち越しのホームを踏みました。8回の第4打席にもヒット。18年間支えて、見守り続けてくれた両親に努力の証しを結果で示し、最大の恩返しをしました。
横山温大選手「家族や周囲の人がいっぱい応援してくれて、支えてもらったので、自分の活躍を見てもらえてとてもうれしいです。まだまだ甲子園で活躍して自分のように障害があっても周りのみんなに負けないプレーができるところを示していきたいです」DSC00758.JPG

 生まれた時から左手の指がない高校球児は、地方大会でチーム1の打率で憧れの甲子園の舞台に立ちました。左手に障害があり、生まれた時から左手の指がありません。3人きょうだいの末っ子として生まれた横山選手は、兄の野球の応援に毎週のように行って野球に興味を持つようになりました。「小さい頃から野球が身近にあって、野球にしかない魅力を感じていました」野球を始めたのは小学3年生の時、兄と同じ地元のチームでした。当時は左手に義手をつけて、その上にグラブをはめてプレーしていました。大きな挑戦でしたが家族が反対することはありませんでした。まわりの人たちが優しく支えているのですね。5年生のころに義手の使用を断念。感覚のない義手を使うと、捕球などで難度が上がり、中学や高校では通用しなくなってしまうと考えたからでした。それでも野球を続けたい。新しい方法が必要になる中で、大きなヒントになったのは腕に障害がある大リーグの選手でした。ジム・アボット投手です。アボット投手は、先天性の障害で右手首から先がありません。いわゆる「アボット・スイッチ」でボールを持ち替えて投げ、大活躍しました。横山選手にとって一筋の大きな希望が見えたのです。バッティングです。左打席に入って右手でバットを握ります。両手でバットを振れず、打球もあまり強く打てませんでした。その分、右腕を徹底的に強化しました。重さ25キロのダンベルなどで鍛え上げた結果、右腕は左腕より1回りも大きくなりました。スイングスピードは去年の秋から1年足らずで10キロ以上増しました。可能性を信じた挑戦ですね。「同じような障害がある赤ちゃんが生まれた方が直接、球場に来て励みになったと言ってもらうこともありました。自分の息子だから特別だとは思ってはいないんですけど、本人が頑張ったことで応援してもらえたり勇気や希望を与えられたりしているのは、すごいなと思います」「家族や周囲の人がいっぱい応援してくれて、支えてもらったので、自分の活躍を見てもらえてとてもうれしいです。まだまだ甲子園で活躍して自分のように障害があっても周りのみんなに負けないプレーができるところを示していきたいです」多くの人たちからの応援の声援が聞こえてきそうです。可能性を信じて挑戦する人たちが増えればいいですね。DSC00757.JPG
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