人権尊重できない社会は住み易くなるわけがないのでは[2025年12月10日(Wed)]
FRaU2025年7月18日付け「「少子化を女のせいにするな」参院選を前に振りかえる、繰り返された「人権軽視発言」に思うこと」から、「SNSにデマ情報が多すぎて、怖いと感じることが増えた」 「ヘイトコメントがあまりに多くて、SNSの空気が変わったと思う」
「以前から暴言を吐く政治家はいたけど、それとは違う何を言ってもいいような無秩序で乱暴な感じがする」
今回の参院選では、空気感の変化を感じている人は少なくない。SRHR(性と生殖に関する健康と権利)やジェンダー平等の活動をしている福田和子さんもそのひとりだ。2025年7月16日には、新宿駅南口で、福田さん、高井ゆと里さん、松尾亜紀子さんを呼びかけ人とする「私のからだデモ」が『#人権ファースト デモ』を行った。「少子化を女のせいにするな」などのプラカードも見られた。
「私たちが求めるのは、#人権ファーストの政治です。それは、過去の過ちへの真摯な反省からなる、差別・暴力・戦争を許さない、平和を実現する政治であり、すべてのひとの尊厳ある人生、命を保障する政治です。そして、女性に対して産むことを強く求められることにも異論を発信しています。『私の身体(からだ)は、私のもの』『私の身体(からだ)は、あなたのものではない』、このことが当然の権利として保障される政治であってほしいと願っています」福田さんは言う。
福田さんも今回の参院選で起きている空気感の変化に危機感を感じている1人だ。投票日まであと2日、緊急で福田さんが今の想いを寄稿する。 以下より、福田さんの原稿です。
過去にも憤る発言はたくさんあったけれど…
「女性がたくさん入っている理事会の会議は時間がかかる」 「私どもの組織委員会にも女性は7人くらいおられる。みんなわきまえておられる」
2021年2月に開かれたオリンピック・パラリンピック組織委員会で森喜朗会長の性差別発言は当時話題を集めた。私自身、この言葉を聞いて、憤りを感じ仲間たちとすぐに抗議の署名を立ち上げ、発足から10日ほどで15万7千人以上の方々が署名に参加してくれた。このときの原動力は憤りと怒り、そして、これを一つの皮切りにこの社会がみんなにとって生きやすいものになってほしいという希望だった。
2022年7月5日には、自民・桜田義孝元五輪相(当時72歳)が自民党候補の応援演説でこんな発言をした。
「男の人は結婚したがっているんですけど、女の人は、無理して結婚しなくていいという人が、最近増えちゃっているんですよね。嘆かわしいことですけどもね。女性も、もっともっと、男の人に寛大になっていただけたらありがたいなと思っている」
ちなみに、桜田議員は2019年にも言っていた。
「結婚しなくていいという女性がみるみる増えちゃった」 「お子さんやお孫さんにぜひ、子どもを最低3人くらい産むようにお願いしてもらいたい」
2024年に国会議員を引退した自民党元幹事長の二階俊博氏は2018年にこう発言した。
「子どもを産まない方が幸せに送れるじゃないかと勝手なことを自分で考えて(いる人がいる)」
憤りを通り越して、恐怖すら感じる
差別発言が政治家から出るたびに、私は「私のからだは私のもので、私は子どもを産む機械じゃない!」「国の存続のための結婚、出産じゃない!」と叫びたくなり、SNSなどで声を挙げてきた。なぜなら、私の子宮、からだ、性と生殖に関わる選択は、私自身のものであって、誰かのために、ましてや国家存続のためにあるわけではないからだ。
私がこういった発言をすると、「わがままだ」「そうは言っても産めるのは女性しかいないじゃないか」と言う方がいる。しかし、決して私のわがままではない。誰もが持っていい「私のからだは私のものである」「産む・産まないは自分自身で決めていい」という当たり前の自己決定権なのだ。
しかし、私は今、怒りよりも恐怖を感じ始めている。
「間違えたんですよ、男女共同参画とか」 「子どもを産んだ方が安心して暮らせるなと、いう社会状況を作らないといけない」 「これぐらい(月10万)あればパートに出るよりも、ね、事務でアルバイトするよりもいいじゃないですか」 「日本人の女性に産んでもらわないと困るんです」 「子どもを産み育ててくれた女性を優遇する」
こういった言葉が、政治の場、7月3日からはじまった参院選から聞こえてくる。 テレビ、SNS、選挙ポスターにまで溢れるヘイトの山……。選挙活動で、女性や外国人、LGBT、障害者、高齢者などマイノリティへのヘイトスピーチが量産され、差別を煽動して票をとろうとするいくつかの政党、長らく差別的視点を放置してきた与党……。差別を利用して、一定の支持を得ようとする動きがあまりに露骨に広まっている。そういった差別的な発言は、ナイフの様に心に刺さり、「こんなのおかしい」と思う気持ちを抱くことさえしんどくさせる、そんな暴力の波が押し寄せている感覚がある。
私自身が身を置いてきた現状
私はスウェーデンの大学院でSRHRを学び、帰国後は、日本だけでなく国連の仕事でルワンダなどでも活動してきた。SRHRとは、Sexual and Reproductive Health and Rights(セクシュアル・リプロダクティブ・ヘルス・ライツ)の略称で、日本語では「性と生殖に関する健康と権利」を意味している。 からだや性、健康に関する事柄について、「自分自身で決定する」権利があることを示している。1994年にカイロで開かれた国際人口開発会議(ICPD)で初めて公式に提唱され、世界中で使われている。もちろん、日本の内閣府や自治体でも用いられている人権だ。
このSRHRに関心を持ったきっかけは、私の生い立ちも関係しているかもしれない。私は、新宿・歌舞伎町近くで生まれ育った。物心ついたころから、「若い女」という記号が社会でどんな価値を持つのか、子どもながらにも感じる部分があった。それは同時に年を重ねることへの不安に繋がった。また、高校時代には「JK」という言葉がメディアでも頻繁に使われるようになり、女子高校生であることが性的に消費される現実を知った。
そして、母はシングルマザーだった。「女だから」と大事な局面で明らかに軽く扱われることもあった。そういったとき、男の親戚と一緒に行くと相手の態度ががらりと変わるのも幼い頃から目にしてきた。母は非正規雇用で仕事をしてきたが、その立場の弱さ、賃金の低さ、正規雇用との格差など、その脆弱性は母娘ともに身に染みてきた。
さらに、成人してからは「あとはいい人を見つけるだけね」とたびたび言われた。日本の大学を卒業したときも、スウェーデンの大学院を卒業したときも、ルワンダで国連の仕事を終えたときも、「おめでとう」に続く言葉はいつもこれだった。言葉を送ってくれた方は、その人なりに祝福の気持ちだったのだろう。
しかし、この言葉を言われるたびに、「~だけね」が引っかかった。「結婚という形で配偶者を持たなければ、男性と添い遂げなければ、私という人間は未完成なんだ……」と突きつけられる気持ちになった。そして、同世代や少し上の女性たちに話を聞けば、結婚すれば、今度は「あとは子どもを産むだけね」と言われたという……。
「学び」から自分の人生に希望が生まれたのに……
こういった環境+時代に育った私にとって、中学校、高校、そして大学での様々な学び、そして、そこで出会ったSRHRの考えは、大きな救いになった。学ぶほどに、自分のからだは自分のもので、セクシュアリティ、性体験、結婚、出産などに関して自分で選べること、そしてその実現のために必要なあらゆるサービスを必要なときに受けられていい、ということを知った。知れば知るほど希望を感じ、そこで出会ったあらゆる言葉や概念は、私が生き延びるために傷つかなくてもいいことを、教えてくれた。
だからこそ私は、森氏の発言を始め、先に挙げたような政治家の発言に関しても、恐れず声を上げてこられた。しかし今、差別が助長されることが普通になる社会の中で、恐怖と無力さを感じることが増えている。
今回の選挙戦では、物議を呼ぶ発言が多いが中でもこの演説は、「高齢の女性は子どもが産めない」と発言し話題になった。その後、演説はこう続く。
「日本の人口を維持していこうと思ったら、若い女性に子ども産みたいなとか、子ども産んだほうが安心して暮らせるな、という社会状況を作らないといけないのに、働け働けってやりすぎちゃったわけですよ。やりすぎたんです」
この声に、「若い女性しか産めないのは正論だろう」「そうしなければ国が亡びるのなら産んでもらうのは当たり前」という声が上がっている。もちろん、子どもを持ちたいと当時者である女性が望んで出産するのは素敵なことだ。しかし、働きたいと思うよりも産むことに優位性があるように取れるこの発言、なぜ産める性を持つ女性だけが、荷を背負わされるのだろうか。
先日、女子高校生に向けてSRHRについて講演をしたばかりだが、当然のことだが彼女たち一人ひとりには意思があり、未来があり、夢がある。そういった彼女たちの声がまるでないかのように「若い女性は産まなくてはならない」という矢がまっすぐに彼女たちに向かっていると思うと、やりきれない思いがした。
SRHRの基本は、自分のからだ、自分の人生は自分で決められる、ということにある。そこには安心、安全、自己決定、ウェルビーイングなど、生きるうえで大切なことが詰まっている。本来政治というものは、子どもを産んでも産まなくても、誰もが安心して暮らせる社会を作るのが基本だと思うのだが、今でさえ、この社会構造はそういう形にはなっていない。女性に限らず、LGBTQ+の人たち、移民、難民、在日コリアン、障害を持ち生きる人たちをはじめ、この社会であらゆるマイノリティ性を持った人たちの多くが、脆弱な立場に置かれてきた。そして今、不安や恐怖はこれまでになく大きくなっているのではないかと想像する。 果たして、本当にそれでよいのだろうか? それで幸せに暮らせるのだろうか?
「ファースト」は人権であるべき
確かに、今、私たちの生活は大変なことになっている。
共働きでなければ、子育てはおろか、生きていくのも大変な経済状況だ。にも関わらず、非正規雇用は拡大し、大企業に就職してもそこには長時間労働の文化が根深く残る。
そして、子どもを持っても、男性の育休取得率は少しずつ増えはいるが、日々の育児+家事時間で比較すると、夫に比べて段違いに女性の比率が高い。
そもそも「子どもを産まない女性」「産めない女性」は、どうなるのだろう。子どもに対して10万円という助成金を提示する党もあるが、10万円で子どもを育てられる社会はどこにあるのだろうか。
「だからこそ、女性が『家』に、『台所』に戻ればいい」という声も上がった。
しかし、働くことよりも産むことを優先したほうがいいという対策が強まれば、妻の経済的自立は奪われてしまう。夫のみが経済的な大黒柱となる図式は、過去の歴史を見ても家庭内で力の差を生み、モラハラやパワハラが通常化する可能性もある。
また、苦しいのは妻側だけではない。夫は夫でこの厳しい物価高の中、家庭の経済をたった一人で担うことになる。もちろんそれができる人もいるだろうが、誰だっていつ、体調を崩したり、転職や失職を余儀なくさせられたりするかはわからない。このように、強固な性別役割分担は、結果として男性にとっても大きな負担、困難を生んでしまうと思うのだ。
つまり、現状を変えるために必要なことは、女を再び「家」に、男を「仕事という名の戦場」に、縛り付けることでは決してない。
はびこる低賃金長時間労働、非正規雇用の拡大、家事育児を担うのはいつも女性、上がるばかりの生活費や教育費、税金……。それらを変えることではないだろうか。
今私たちが生きづらいのは、(働く・もしくは産まない)女性のせいでも、外国人のせいでも、ない。誰かを矢面にしてヘイトに熱中し、問題の本質を覆ってしまうのはとても危険なことだし、一時的に歓喜した気持ちになっても、本質的にも実際にも私たちの生活を豊かにすることはないだろう。
投票日は7月20日。当日投票が難しい人は、ぜひ期日前投票で。 あなたの一票、あなたの持つパワーを、あなたが生きたい未来のために、使ってほしい。
「私たちが求めるのは、#人権ファーストの政治です。それは、過去の過ちへの真摯な反省からなる、差別・暴力・戦争を許さない、平和を実現する政治であり、すべてのひとの尊厳ある人生、命を保障する政治です。そして、女性に対して産むことを強く求められることにも異論を発信しています。『私の身体(からだ)は、私のもの』『私の身体(からだ)は、あなたのものではない』、このことが当然の権利として保障される政治であってほしいと願っています」「女性がたくさん入っている理事会の会議は時間がかかる」 「私どもの組織委員会にも女性は7人くらいおられる。みんなわきまえておられる」「男の人は結婚したがっているんですけど、女の人は、無理して結婚しなくていいという人が、最近増えちゃっているんですよね。嘆かわしいことですけどもね。女性も、もっともっと、男の人に寛大になっていただけたらありがたいなと思っている」「子どもを産まない方が幸せに送れるじゃないかと勝手なことを自分で考えて(いる人がいる)」差別発言が政治家から出るたびに、私は「私のからだは私のもので、私は子どもを産む機械じゃない!」「国の存続のための結婚、出産じゃない!」と叫びたくなり、SNSなどで声を挙げてきた。なぜなら、私の子宮、からだ、性と生殖に関わる選択は、私自身のものであって、誰かのために、ましてや国家存続のためにあるわけではないからだ。人権感覚が薄いような中高年というかベテランの政治家の発言を聞き流すのはよくないでしょう。日本社会の大きな問題であるという認識を持たなければ特に女性は辛い思いをしていますが、誰でも住み易い社会にはならないでしょう。母はシングルマザーだった。「女だから」と大事な局面で明らかに軽く扱われることもあった。そういったとき、男の親戚と一緒に行くと相手の態度ががらりと変わるのも幼い頃から目にしてきた。母は非正規雇用で仕事をしてきたが、その立場の弱さ、賃金の低さ、正規雇用との格差など、その脆弱性は母娘ともに身に染みてきた。さらに、成人してからは「あとはいい人を見つけるだけね」とたびたび言われた。日本の大学を卒業したときも、スウェーデンの大学院を卒業したときも、ルワンダで国連の仕事を終えたときも、「おめでとう」に続く言葉はいつもこれだった。言葉を送ってくれた方は、その人なりに祝福の気持ちだったのだろう。どうして一人ひとりの生き方、考え方が尊重されないのでしょう。「高齢の女性は子どもが産めない」と発言し話題になった。その後、演説はこう続く。「日本の人口を維持していこうと思ったら、若い女性に子ども産みたいなとか、子ども産んだほうが安心して暮らせるな、という社会状況を作らないといけないのに、働け働けってやりすぎちゃったわけですよ。やりすぎたんです」この声に、「若い女性しか産めないのは正論だろう」「そうしなければ国が亡びるのなら産んでもらうのは当たり前」という声が上がっている。もちろん、子どもを持ちたいと当時者である女性が望んで出産するのは素敵なことだ。しかし、働きたいと思うよりも産むことに優位性があるように取れるこの発言、なぜ産める性を持つ女性だけが、荷を背負わされるのだろうか。人口減少、少子化問題を解決するためだけに女性が存在しているわけではないでしょう。一人ひとりの考え方が尊重され、それぞれが望む生き方ができることの方が大事でしょう。共働きでなければ、子育てはおろか、生きていくのも大変な経済状況だ。にも関わらず、非正規雇用は拡大し、大企業に就職してもそこには長時間労働の文化が根深く残る。そして、子どもを持っても、男性の育休取得率は少しずつ増えはいるが、日々の育児+家事時間で比較すると、夫に比べて段違いに女性の比率が高い。そもそも「子どもを産まない女性」「産めない女性」は、どうなるのだろう。子どもに対して10万円という助成金を提示する党もあるが、10万円で子どもを育てられる社会はどこにあるのだろうか。「だからこそ、女性が『家』に、『台所』に戻ればいい」という声も上がった。しかし、働くことよりも産むことを優先したほうがいいという対策が強まれば、妻の経済的自立は奪われてしまう。夫のみが経済的な大黒柱となる図式は、過去の歴史を見ても家庭内で力の差を生み、モラハラやパワハラが通常化する可能性もある。中高年男性中心の政治のあり方を真剣に考える必要があるでしょう。現状を変えるために必要なことは、女を再び「家」に、男を「仕事という名の戦場」に、縛り付けることでは決してない。はびこる低賃金長時間労働、非正規雇用の拡大、家事育児を担うのはいつも女性、上がるばかりの生活費や教育費、税金。それらを変えることではないだろうか。今私たちが生きづらいのは、(働く・もしくは産まない)女性のせいでも、外国人のせいでも、ない。誰かを矢面にしてヘイトに熱中し、問題の本質を覆ってしまうのはとても危険なことだし、一時的に歓喜した気持ちになっても、本質的にも実際にも私たちの生活を豊かにすることはないだろう。解決しなければならない問題は山積しています。女性、若い世代の人たちが選挙に出て、投票に行って中高年男性中心の社会を変えなければ明るい未来を展望することは容易ではないでしょう。
「以前から暴言を吐く政治家はいたけど、それとは違う何を言ってもいいような無秩序で乱暴な感じがする」
今回の参院選では、空気感の変化を感じている人は少なくない。SRHR(性と生殖に関する健康と権利)やジェンダー平等の活動をしている福田和子さんもそのひとりだ。2025年7月16日には、新宿駅南口で、福田さん、高井ゆと里さん、松尾亜紀子さんを呼びかけ人とする「私のからだデモ」が『#人権ファースト デモ』を行った。「少子化を女のせいにするな」などのプラカードも見られた。
「私たちが求めるのは、#人権ファーストの政治です。それは、過去の過ちへの真摯な反省からなる、差別・暴力・戦争を許さない、平和を実現する政治であり、すべてのひとの尊厳ある人生、命を保障する政治です。そして、女性に対して産むことを強く求められることにも異論を発信しています。『私の身体(からだ)は、私のもの』『私の身体(からだ)は、あなたのものではない』、このことが当然の権利として保障される政治であってほしいと願っています」福田さんは言う。
福田さんも今回の参院選で起きている空気感の変化に危機感を感じている1人だ。投票日まであと2日、緊急で福田さんが今の想いを寄稿する。 以下より、福田さんの原稿です。
過去にも憤る発言はたくさんあったけれど…
「女性がたくさん入っている理事会の会議は時間がかかる」 「私どもの組織委員会にも女性は7人くらいおられる。みんなわきまえておられる」
2021年2月に開かれたオリンピック・パラリンピック組織委員会で森喜朗会長の性差別発言は当時話題を集めた。私自身、この言葉を聞いて、憤りを感じ仲間たちとすぐに抗議の署名を立ち上げ、発足から10日ほどで15万7千人以上の方々が署名に参加してくれた。このときの原動力は憤りと怒り、そして、これを一つの皮切りにこの社会がみんなにとって生きやすいものになってほしいという希望だった。
2022年7月5日には、自民・桜田義孝元五輪相(当時72歳)が自民党候補の応援演説でこんな発言をした。
「男の人は結婚したがっているんですけど、女の人は、無理して結婚しなくていいという人が、最近増えちゃっているんですよね。嘆かわしいことですけどもね。女性も、もっともっと、男の人に寛大になっていただけたらありがたいなと思っている」
ちなみに、桜田議員は2019年にも言っていた。
「結婚しなくていいという女性がみるみる増えちゃった」 「お子さんやお孫さんにぜひ、子どもを最低3人くらい産むようにお願いしてもらいたい」
2024年に国会議員を引退した自民党元幹事長の二階俊博氏は2018年にこう発言した。
「子どもを産まない方が幸せに送れるじゃないかと勝手なことを自分で考えて(いる人がいる)」
憤りを通り越して、恐怖すら感じる
差別発言が政治家から出るたびに、私は「私のからだは私のもので、私は子どもを産む機械じゃない!」「国の存続のための結婚、出産じゃない!」と叫びたくなり、SNSなどで声を挙げてきた。なぜなら、私の子宮、からだ、性と生殖に関わる選択は、私自身のものであって、誰かのために、ましてや国家存続のためにあるわけではないからだ。
私がこういった発言をすると、「わがままだ」「そうは言っても産めるのは女性しかいないじゃないか」と言う方がいる。しかし、決して私のわがままではない。誰もが持っていい「私のからだは私のものである」「産む・産まないは自分自身で決めていい」という当たり前の自己決定権なのだ。
しかし、私は今、怒りよりも恐怖を感じ始めている。
「間違えたんですよ、男女共同参画とか」 「子どもを産んだ方が安心して暮らせるなと、いう社会状況を作らないといけない」 「これぐらい(月10万)あればパートに出るよりも、ね、事務でアルバイトするよりもいいじゃないですか」 「日本人の女性に産んでもらわないと困るんです」 「子どもを産み育ててくれた女性を優遇する」
こういった言葉が、政治の場、7月3日からはじまった参院選から聞こえてくる。 テレビ、SNS、選挙ポスターにまで溢れるヘイトの山……。選挙活動で、女性や外国人、LGBT、障害者、高齢者などマイノリティへのヘイトスピーチが量産され、差別を煽動して票をとろうとするいくつかの政党、長らく差別的視点を放置してきた与党……。差別を利用して、一定の支持を得ようとする動きがあまりに露骨に広まっている。そういった差別的な発言は、ナイフの様に心に刺さり、「こんなのおかしい」と思う気持ちを抱くことさえしんどくさせる、そんな暴力の波が押し寄せている感覚がある。
私自身が身を置いてきた現状
私はスウェーデンの大学院でSRHRを学び、帰国後は、日本だけでなく国連の仕事でルワンダなどでも活動してきた。SRHRとは、Sexual and Reproductive Health and Rights(セクシュアル・リプロダクティブ・ヘルス・ライツ)の略称で、日本語では「性と生殖に関する健康と権利」を意味している。 からだや性、健康に関する事柄について、「自分自身で決定する」権利があることを示している。1994年にカイロで開かれた国際人口開発会議(ICPD)で初めて公式に提唱され、世界中で使われている。もちろん、日本の内閣府や自治体でも用いられている人権だ。
このSRHRに関心を持ったきっかけは、私の生い立ちも関係しているかもしれない。私は、新宿・歌舞伎町近くで生まれ育った。物心ついたころから、「若い女」という記号が社会でどんな価値を持つのか、子どもながらにも感じる部分があった。それは同時に年を重ねることへの不安に繋がった。また、高校時代には「JK」という言葉がメディアでも頻繁に使われるようになり、女子高校生であることが性的に消費される現実を知った。
そして、母はシングルマザーだった。「女だから」と大事な局面で明らかに軽く扱われることもあった。そういったとき、男の親戚と一緒に行くと相手の態度ががらりと変わるのも幼い頃から目にしてきた。母は非正規雇用で仕事をしてきたが、その立場の弱さ、賃金の低さ、正規雇用との格差など、その脆弱性は母娘ともに身に染みてきた。
さらに、成人してからは「あとはいい人を見つけるだけね」とたびたび言われた。日本の大学を卒業したときも、スウェーデンの大学院を卒業したときも、ルワンダで国連の仕事を終えたときも、「おめでとう」に続く言葉はいつもこれだった。言葉を送ってくれた方は、その人なりに祝福の気持ちだったのだろう。
しかし、この言葉を言われるたびに、「~だけね」が引っかかった。「結婚という形で配偶者を持たなければ、男性と添い遂げなければ、私という人間は未完成なんだ……」と突きつけられる気持ちになった。そして、同世代や少し上の女性たちに話を聞けば、結婚すれば、今度は「あとは子どもを産むだけね」と言われたという……。
「学び」から自分の人生に希望が生まれたのに……
こういった環境+時代に育った私にとって、中学校、高校、そして大学での様々な学び、そして、そこで出会ったSRHRの考えは、大きな救いになった。学ぶほどに、自分のからだは自分のもので、セクシュアリティ、性体験、結婚、出産などに関して自分で選べること、そしてその実現のために必要なあらゆるサービスを必要なときに受けられていい、ということを知った。知れば知るほど希望を感じ、そこで出会ったあらゆる言葉や概念は、私が生き延びるために傷つかなくてもいいことを、教えてくれた。
だからこそ私は、森氏の発言を始め、先に挙げたような政治家の発言に関しても、恐れず声を上げてこられた。しかし今、差別が助長されることが普通になる社会の中で、恐怖と無力さを感じることが増えている。
今回の選挙戦では、物議を呼ぶ発言が多いが中でもこの演説は、「高齢の女性は子どもが産めない」と発言し話題になった。その後、演説はこう続く。
「日本の人口を維持していこうと思ったら、若い女性に子ども産みたいなとか、子ども産んだほうが安心して暮らせるな、という社会状況を作らないといけないのに、働け働けってやりすぎちゃったわけですよ。やりすぎたんです」
この声に、「若い女性しか産めないのは正論だろう」「そうしなければ国が亡びるのなら産んでもらうのは当たり前」という声が上がっている。もちろん、子どもを持ちたいと当時者である女性が望んで出産するのは素敵なことだ。しかし、働きたいと思うよりも産むことに優位性があるように取れるこの発言、なぜ産める性を持つ女性だけが、荷を背負わされるのだろうか。
先日、女子高校生に向けてSRHRについて講演をしたばかりだが、当然のことだが彼女たち一人ひとりには意思があり、未来があり、夢がある。そういった彼女たちの声がまるでないかのように「若い女性は産まなくてはならない」という矢がまっすぐに彼女たちに向かっていると思うと、やりきれない思いがした。
SRHRの基本は、自分のからだ、自分の人生は自分で決められる、ということにある。そこには安心、安全、自己決定、ウェルビーイングなど、生きるうえで大切なことが詰まっている。本来政治というものは、子どもを産んでも産まなくても、誰もが安心して暮らせる社会を作るのが基本だと思うのだが、今でさえ、この社会構造はそういう形にはなっていない。女性に限らず、LGBTQ+の人たち、移民、難民、在日コリアン、障害を持ち生きる人たちをはじめ、この社会であらゆるマイノリティ性を持った人たちの多くが、脆弱な立場に置かれてきた。そして今、不安や恐怖はこれまでになく大きくなっているのではないかと想像する。 果たして、本当にそれでよいのだろうか? それで幸せに暮らせるのだろうか?
「ファースト」は人権であるべき
確かに、今、私たちの生活は大変なことになっている。
共働きでなければ、子育てはおろか、生きていくのも大変な経済状況だ。にも関わらず、非正規雇用は拡大し、大企業に就職してもそこには長時間労働の文化が根深く残る。
そして、子どもを持っても、男性の育休取得率は少しずつ増えはいるが、日々の育児+家事時間で比較すると、夫に比べて段違いに女性の比率が高い。
そもそも「子どもを産まない女性」「産めない女性」は、どうなるのだろう。子どもに対して10万円という助成金を提示する党もあるが、10万円で子どもを育てられる社会はどこにあるのだろうか。
「だからこそ、女性が『家』に、『台所』に戻ればいい」という声も上がった。
しかし、働くことよりも産むことを優先したほうがいいという対策が強まれば、妻の経済的自立は奪われてしまう。夫のみが経済的な大黒柱となる図式は、過去の歴史を見ても家庭内で力の差を生み、モラハラやパワハラが通常化する可能性もある。
また、苦しいのは妻側だけではない。夫は夫でこの厳しい物価高の中、家庭の経済をたった一人で担うことになる。もちろんそれができる人もいるだろうが、誰だっていつ、体調を崩したり、転職や失職を余儀なくさせられたりするかはわからない。このように、強固な性別役割分担は、結果として男性にとっても大きな負担、困難を生んでしまうと思うのだ。
つまり、現状を変えるために必要なことは、女を再び「家」に、男を「仕事という名の戦場」に、縛り付けることでは決してない。
はびこる低賃金長時間労働、非正規雇用の拡大、家事育児を担うのはいつも女性、上がるばかりの生活費や教育費、税金……。それらを変えることではないだろうか。
今私たちが生きづらいのは、(働く・もしくは産まない)女性のせいでも、外国人のせいでも、ない。誰かを矢面にしてヘイトに熱中し、問題の本質を覆ってしまうのはとても危険なことだし、一時的に歓喜した気持ちになっても、本質的にも実際にも私たちの生活を豊かにすることはないだろう。
投票日は7月20日。当日投票が難しい人は、ぜひ期日前投票で。 あなたの一票、あなたの持つパワーを、あなたが生きたい未来のために、使ってほしい。
「私たちが求めるのは、#人権ファーストの政治です。それは、過去の過ちへの真摯な反省からなる、差別・暴力・戦争を許さない、平和を実現する政治であり、すべてのひとの尊厳ある人生、命を保障する政治です。そして、女性に対して産むことを強く求められることにも異論を発信しています。『私の身体(からだ)は、私のもの』『私の身体(からだ)は、あなたのものではない』、このことが当然の権利として保障される政治であってほしいと願っています」「女性がたくさん入っている理事会の会議は時間がかかる」 「私どもの組織委員会にも女性は7人くらいおられる。みんなわきまえておられる」「男の人は結婚したがっているんですけど、女の人は、無理して結婚しなくていいという人が、最近増えちゃっているんですよね。嘆かわしいことですけどもね。女性も、もっともっと、男の人に寛大になっていただけたらありがたいなと思っている」「子どもを産まない方が幸せに送れるじゃないかと勝手なことを自分で考えて(いる人がいる)」差別発言が政治家から出るたびに、私は「私のからだは私のもので、私は子どもを産む機械じゃない!」「国の存続のための結婚、出産じゃない!」と叫びたくなり、SNSなどで声を挙げてきた。なぜなら、私の子宮、からだ、性と生殖に関わる選択は、私自身のものであって、誰かのために、ましてや国家存続のためにあるわけではないからだ。人権感覚が薄いような中高年というかベテランの政治家の発言を聞き流すのはよくないでしょう。日本社会の大きな問題であるという認識を持たなければ特に女性は辛い思いをしていますが、誰でも住み易い社会にはならないでしょう。母はシングルマザーだった。「女だから」と大事な局面で明らかに軽く扱われることもあった。そういったとき、男の親戚と一緒に行くと相手の態度ががらりと変わるのも幼い頃から目にしてきた。母は非正規雇用で仕事をしてきたが、その立場の弱さ、賃金の低さ、正規雇用との格差など、その脆弱性は母娘ともに身に染みてきた。さらに、成人してからは「あとはいい人を見つけるだけね」とたびたび言われた。日本の大学を卒業したときも、スウェーデンの大学院を卒業したときも、ルワンダで国連の仕事を終えたときも、「おめでとう」に続く言葉はいつもこれだった。言葉を送ってくれた方は、その人なりに祝福の気持ちだったのだろう。どうして一人ひとりの生き方、考え方が尊重されないのでしょう。「高齢の女性は子どもが産めない」と発言し話題になった。その後、演説はこう続く。「日本の人口を維持していこうと思ったら、若い女性に子ども産みたいなとか、子ども産んだほうが安心して暮らせるな、という社会状況を作らないといけないのに、働け働けってやりすぎちゃったわけですよ。やりすぎたんです」この声に、「若い女性しか産めないのは正論だろう」「そうしなければ国が亡びるのなら産んでもらうのは当たり前」という声が上がっている。もちろん、子どもを持ちたいと当時者である女性が望んで出産するのは素敵なことだ。しかし、働きたいと思うよりも産むことに優位性があるように取れるこの発言、なぜ産める性を持つ女性だけが、荷を背負わされるのだろうか。人口減少、少子化問題を解決するためだけに女性が存在しているわけではないでしょう。一人ひとりの考え方が尊重され、それぞれが望む生き方ができることの方が大事でしょう。共働きでなければ、子育てはおろか、生きていくのも大変な経済状況だ。にも関わらず、非正規雇用は拡大し、大企業に就職してもそこには長時間労働の文化が根深く残る。そして、子どもを持っても、男性の育休取得率は少しずつ増えはいるが、日々の育児+家事時間で比較すると、夫に比べて段違いに女性の比率が高い。そもそも「子どもを産まない女性」「産めない女性」は、どうなるのだろう。子どもに対して10万円という助成金を提示する党もあるが、10万円で子どもを育てられる社会はどこにあるのだろうか。「だからこそ、女性が『家』に、『台所』に戻ればいい」という声も上がった。しかし、働くことよりも産むことを優先したほうがいいという対策が強まれば、妻の経済的自立は奪われてしまう。夫のみが経済的な大黒柱となる図式は、過去の歴史を見ても家庭内で力の差を生み、モラハラやパワハラが通常化する可能性もある。中高年男性中心の政治のあり方を真剣に考える必要があるでしょう。現状を変えるために必要なことは、女を再び「家」に、男を「仕事という名の戦場」に、縛り付けることでは決してない。はびこる低賃金長時間労働、非正規雇用の拡大、家事育児を担うのはいつも女性、上がるばかりの生活費や教育費、税金。それらを変えることではないだろうか。今私たちが生きづらいのは、(働く・もしくは産まない)女性のせいでも、外国人のせいでも、ない。誰かを矢面にしてヘイトに熱中し、問題の本質を覆ってしまうのはとても危険なことだし、一時的に歓喜した気持ちになっても、本質的にも実際にも私たちの生活を豊かにすることはないだろう。解決しなければならない問題は山積しています。女性、若い世代の人たちが選挙に出て、投票に行って中高年男性中心の社会を変えなければ明るい未来を展望することは容易ではないでしょう。



