「貧困を生まない社会」[2025年11月01日(Sat)]
毎日新聞2025年6月9日付け「貧困とは何か 現金給付の限界と「貧困を生まない社会」から、貧困は一部の人たちだけの問題なのか。「貧困とは何か」(ちくま新書)の著書がある、大分大学福祉健康科学部准教授の志賀信夫さんに聞きました。
貧困を根絶するにはどうしたらいいのでしょう。
根絶を目指すならば、なぜ貧困が生まれるかを考えなければなりません。
貧困は生産のありかたと関係します。いまの社会では働く人は生産するための手段を持たず、就活のように、労働力を市場に出し、労働力が売れれば、賃金をもらいます。何を、どのように、どのくらいの量を作るかにはほとんど関われません。
自分たちにとって必要かどうかではなく、企業が売れると判断したものを作らざるを得なくなっています。
必要ではないものを作らされている
必ずしも必要ではないものを作っているということですね。
食べるものがなくて困っている人はたくさんいるのに、牛乳でも野菜でも価格を維持するために廃棄することが起きています。
利益を上げるためには意図的に供給を少なくする必要があります。生きていくために不可欠な食べ物であっても、アクセスできない人が一定数出てくる仕組みになっています。
必要なものにアクセスできない人が、貧困状態を余儀なくされた人たちです。
すると今の社会では貧困は必然になります。
働く人が、何をどのように生産するかに主体的に関わることができれば、自分にとって必要なものが不足することは起きないはずです。
ところが、必要なものよりも売れるものを作ることになっています。これでは貧困は緩和するどころか、激化する一方です。
そんなに難しい話ではありませんね。
たとえば水俣の例で考えてみましょう。
加害企業のチッソがくるまでは、魚をとるなどして、自分たちに必要なものを、ある程度みんなで話し合いながら作っていました。
ところがチッソが入ってくると、漁業などの生産手段を奪われます。チッソの工場で働くようになると、何を作るかという話し合いはありません。チッソが売れそうだと考えたものを、売れると考えられた分だけ作ります。
しかも、チッソはチッソが必要と考える人数しか雇いません。だから失業者が必ず出ます。すると必要なものを買うためのおカネを得られない人たちが出てきます。
これは世界中でおこっていることです。自分たちで何を生産するかを決められないなかでは、必ず貧困が生まれます。
このように生産をめぐる社会関係から貧困を考える理論を、私は生産関係論的貧困理論と呼んでいます。
分配だけではなく
どのように生産するかが問題なのですね。
貧困を緩和するための分配は必要ですが、分配だけではなく、生産をめぐる社会の関係を変えていく必要があります。
たとえば、私は宮崎県の出身なのですが、宮崎牛やマンゴーをみな自慢するものの、地元の人の口にはあまり入りません。ブランディングとは利益を上げるためにあえて少なく作ることです。
衣食住が地元で自給できていれば、おカネがなくても生きていけます。おカネがなくても生きていける状態をどう作るかが大切です。いまの社会はおカネの役割が大きすぎます。
現金給付は
すると、現金給付をどう考えますか。
現金給付は一定程度は必要です。しかし、おカネを給付するだけでは、貧困は緩和されても、根絶はできません。「給付したからいいだろう」という言い訳に使われる危険もあります。
では、すべての人に現金収入を保証するベーシックインカムの考え方はどうでしょうか。
注意しなければならないのは、おカネの力を強める作用があることです。
大切なことは、生活に必要なものをおカネで取引される商品ではなくしていくことです。これをやれば生活におカネがかからなくなります。そうなればベーシックインカムはあまり必要ではなくなります。
「商品ではなくしていく」というと、実現が難しいと思うかもしれませんが、世界では高等教育(大学、ドイツ)や医療(英国)などを商品ではなくしていくことが進んでいます。
このような政策をベーシックサービスと呼んでいます。
ひとつひとつ進めていけば現実的です。
日本でも高額療養費制度が議論になりました。おカネがなくて医療が受けられないならば、人権の問題です。
たとえば住宅はどうでしょうか。空き家が問題になる一方でホームレスの人がいるのはおかしなことです。
貧困の緩和は短期的にはとても大切です。きょうあすの生活に困っている人がいます。一方で、長期的な視点で、貧困を生まない社会を作ることも必要です。
根絶を目指すならば、なぜ貧困が生まれるかを考えなければなりません。貧困は生産のありかたと関係します。いまの社会では働く人は生産するための手段を持たず、就活のように、労働力を市場に出し、労働力が売れれば、賃金をもらいます。何を、どのように、どのくらいの量を作るかにはほとんど関われません。自分たちにとって必要かどうかではなく、企業が売れると判断したものを作らざるを得なくなっています。食べるものがなくて困っている人はたくさんいるのに、牛乳でも野菜でも価格を維持するために廃棄することが起きています。利益を上げるためには意図的に供給を少なくする必要があります。生きていくために不可欠な食べ物であっても、アクセスできない人が一定数出てくる仕組みになっています。必要なものにアクセスできない人が、貧困状態を余儀なくされた人たちです。必要なものよりも売れるものを作ることになっています。これでは貧困は緩和するどころか、激化する一方です。確かにそうですね。貧困を緩和するための分配は必要ですが、分配だけではなく、生産をめぐる社会の関係を変えていく必要があります。衣食住が地元で自給できていれば、おカネがなくても生きていけます。おカネがなくても生きていける状態をどう作るかが大切です。いまの社会はおカネの役割が大きすぎます。日本でも高額療養費制度が議論になりました。おカネがなくて医療が受けられないならば、人権の問題です。たとえば住宅はどうでしょうか。空き家が問題になる一方でホームレスの人がいるのはおかしなことです。 貧困の緩和は短期的にはとても大切です。きょうあすの生活に困っている人がいます。一方で、長期的な視点で、貧困を生まない社会を作ることも必要です。貧困を根絶することは容易ではありませんが、貧困で苦しむ人たちが少なくなるように長期的視点で貧困を生まない社会を作ることを真剣に考えなければならないでしょう。
貧困を根絶するにはどうしたらいいのでしょう。
根絶を目指すならば、なぜ貧困が生まれるかを考えなければなりません。
貧困は生産のありかたと関係します。いまの社会では働く人は生産するための手段を持たず、就活のように、労働力を市場に出し、労働力が売れれば、賃金をもらいます。何を、どのように、どのくらいの量を作るかにはほとんど関われません。
自分たちにとって必要かどうかではなく、企業が売れると判断したものを作らざるを得なくなっています。
必要ではないものを作らされている
必ずしも必要ではないものを作っているということですね。
食べるものがなくて困っている人はたくさんいるのに、牛乳でも野菜でも価格を維持するために廃棄することが起きています。
利益を上げるためには意図的に供給を少なくする必要があります。生きていくために不可欠な食べ物であっても、アクセスできない人が一定数出てくる仕組みになっています。
必要なものにアクセスできない人が、貧困状態を余儀なくされた人たちです。
すると今の社会では貧困は必然になります。
働く人が、何をどのように生産するかに主体的に関わることができれば、自分にとって必要なものが不足することは起きないはずです。
ところが、必要なものよりも売れるものを作ることになっています。これでは貧困は緩和するどころか、激化する一方です。
そんなに難しい話ではありませんね。
たとえば水俣の例で考えてみましょう。
加害企業のチッソがくるまでは、魚をとるなどして、自分たちに必要なものを、ある程度みんなで話し合いながら作っていました。
ところがチッソが入ってくると、漁業などの生産手段を奪われます。チッソの工場で働くようになると、何を作るかという話し合いはありません。チッソが売れそうだと考えたものを、売れると考えられた分だけ作ります。
しかも、チッソはチッソが必要と考える人数しか雇いません。だから失業者が必ず出ます。すると必要なものを買うためのおカネを得られない人たちが出てきます。
これは世界中でおこっていることです。自分たちで何を生産するかを決められないなかでは、必ず貧困が生まれます。
このように生産をめぐる社会関係から貧困を考える理論を、私は生産関係論的貧困理論と呼んでいます。
分配だけではなく
どのように生産するかが問題なのですね。
貧困を緩和するための分配は必要ですが、分配だけではなく、生産をめぐる社会の関係を変えていく必要があります。
たとえば、私は宮崎県の出身なのですが、宮崎牛やマンゴーをみな自慢するものの、地元の人の口にはあまり入りません。ブランディングとは利益を上げるためにあえて少なく作ることです。
衣食住が地元で自給できていれば、おカネがなくても生きていけます。おカネがなくても生きていける状態をどう作るかが大切です。いまの社会はおカネの役割が大きすぎます。
現金給付は
すると、現金給付をどう考えますか。
現金給付は一定程度は必要です。しかし、おカネを給付するだけでは、貧困は緩和されても、根絶はできません。「給付したからいいだろう」という言い訳に使われる危険もあります。
では、すべての人に現金収入を保証するベーシックインカムの考え方はどうでしょうか。
注意しなければならないのは、おカネの力を強める作用があることです。
大切なことは、生活に必要なものをおカネで取引される商品ではなくしていくことです。これをやれば生活におカネがかからなくなります。そうなればベーシックインカムはあまり必要ではなくなります。
「商品ではなくしていく」というと、実現が難しいと思うかもしれませんが、世界では高等教育(大学、ドイツ)や医療(英国)などを商品ではなくしていくことが進んでいます。
このような政策をベーシックサービスと呼んでいます。
ひとつひとつ進めていけば現実的です。
日本でも高額療養費制度が議論になりました。おカネがなくて医療が受けられないならば、人権の問題です。
たとえば住宅はどうでしょうか。空き家が問題になる一方でホームレスの人がいるのはおかしなことです。
貧困の緩和は短期的にはとても大切です。きょうあすの生活に困っている人がいます。一方で、長期的な視点で、貧困を生まない社会を作ることも必要です。
根絶を目指すならば、なぜ貧困が生まれるかを考えなければなりません。貧困は生産のありかたと関係します。いまの社会では働く人は生産するための手段を持たず、就活のように、労働力を市場に出し、労働力が売れれば、賃金をもらいます。何を、どのように、どのくらいの量を作るかにはほとんど関われません。自分たちにとって必要かどうかではなく、企業が売れると判断したものを作らざるを得なくなっています。食べるものがなくて困っている人はたくさんいるのに、牛乳でも野菜でも価格を維持するために廃棄することが起きています。利益を上げるためには意図的に供給を少なくする必要があります。生きていくために不可欠な食べ物であっても、アクセスできない人が一定数出てくる仕組みになっています。必要なものにアクセスできない人が、貧困状態を余儀なくされた人たちです。必要なものよりも売れるものを作ることになっています。これでは貧困は緩和するどころか、激化する一方です。確かにそうですね。貧困を緩和するための分配は必要ですが、分配だけではなく、生産をめぐる社会の関係を変えていく必要があります。衣食住が地元で自給できていれば、おカネがなくても生きていけます。おカネがなくても生きていける状態をどう作るかが大切です。いまの社会はおカネの役割が大きすぎます。日本でも高額療養費制度が議論になりました。おカネがなくて医療が受けられないならば、人権の問題です。たとえば住宅はどうでしょうか。空き家が問題になる一方でホームレスの人がいるのはおかしなことです。 貧困の緩和は短期的にはとても大切です。きょうあすの生活に困っている人がいます。一方で、長期的な視点で、貧困を生まない社会を作ることも必要です。貧困を根絶することは容易ではありませんが、貧困で苦しむ人たちが少なくなるように長期的視点で貧困を生まない社会を作ることを真剣に考えなければならないでしょう。



