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「学業」と「農業」の“兼業農家”19歳の大学生のような人が増えればいいですね[2025年10月13日(Mon)]
 SBC信越放送2025年6月1日付け「「学業」と「農業」の“兼業農家”!祖父の影響で農業のとりこになった19歳の大学生 二刀流で奮闘中 「耕作放棄地などに視点を置いて規模拡大を図りたい」長野」から、現在、長野県内の農家のおよそ8割が、農業のほかにも仕事を持ついわゆる「兼業農家」とされます。そうした中、安曇野市には、学業との兼業で農業に奮闘する若者がいます。その働きぶりとは?
「メイン(の枝)に一番栄養が行くように、1番下とか2番目当たりの枝はこうやって切っちゃってあげます」
伸び盛りの、トマトの苗。わき芽を取り除き、支柱に固定していきます。
川下大翔さん:「植物って自分が手を加えた分だけ応えてくれるので、それが楽しいから。今もそうだし、昔からずっとやってるかなっていう感じですね」
川下大翔さん。2006年生まれの19歳、この畑の主です。
「(何歳から畑に?)4歳ですね。僕の祖父が管理してた頃は、田んぼも自分一緒にやってたので、一緒にトラクター乗ったり、あとは畑に入って収穫を手伝ったりしながら」
母方の祖父の影響で、いつしか農業のとりこに。その祖父が4年前、体調を崩したのをきっかけに高校1年生だった大翔さんが畑の跡継ぎになりました。
この春からは山梨県内の大学に進学して経済学や経営学を学ぶかたわら、「まごころファーム」と名付けた安曇野市内にある5か所の畑で農業に取り組んでいます。
すなわち、「大学生」と「農家」の二刀流!学業と農業という“兼業農家”なのです。
こちらは、収穫期を迎えたレタスの畑。
川下大翔さん:「今年は出来栄え的には、何も管理してないんですけど、よくできてるかなという感じです」
畑を見回すと、少々、雑草が伸びているようにも見えますが…これも異色の“兼業”だからこそ。
川下大翔さん:「一番の理由としてはコスト削減をしたいので、なるべく農薬使わないで自分のもとに入ってくるお金の量を増やすってところで。自分1人でやっているので、来年度の次の資材投資とかもあるので、その辺も考えながらやってますね」
平日は大学の授業があるため、農作業は週末が中心。不在の間の水やりだけは両親に頼んでいるものの、基本的にすべての作業は大翔さんが1人で行います。
制約がある中でもしっかり収穫につなげられるよう、何に時間とお金をかけるべきかを見極めているといいます。
ただもちろん、うまくいくことばかりではありません。今月上旬、夏野菜の種をまいてあった苗床に、悲劇が…。
川下大翔さん:「遅霜が来て、朝見に来た時にはもう、くたーってなっていて全滅しちゃっていました。気温を見ながら、あす(霜が)来そうだなみたいな感じだったら、ビニールかけてあげなきゃいけないんですけど、僕はそれを怠ったせいでこうなってるので、今年は大失敗っていう…」
苦労はあるものの、それも含めて畑と向き合う時間は人生に欠かせないもの。
大学との“兼業”にも、迷いはなかったといいます。
川下大翔さん:「あまり規模は大きくないですけど、でも野菜に触れていた時間は誰よりも長いと思うので、その中で自然とふれあいながら生きていくことが自分にとって楽しいんだなっていうことに気づいて、祖父が残してくれたこの畑を使わない理由はないかなっていうところで」
今の時期は、レタスや小松菜、チンゲンサイなどの葉物が中心。
夏はトマトやキュウリ、ブロッコリー、秋には、ジャガイモにキャベツ。
さらに冬もホウレンソウや白菜と、1年を通して50種類以上もの作物を栽培しています。
川下大翔さん「一つの野菜に頼り過ぎると、災害や病気でダメになったときに売り上げが得られないので…」
朝収穫した野菜は、新鮮なうちに包装していきます。
主に、インターネットの直売サイトなどを通じた販売をしてきましたが、去年からは、直売所にも出し始めました。
とれたての野菜を持って、近所の直売所へ。
直売所の値付けは、それぞれの生産者の自由です。この日は、小松菜とチンゲンサイを120円、レタスを130円に設定。シールには、生産者として大翔さんの名前が記されています。
Vif穂高 小林幸岐人理事長:「これだけのものができるっていうのは素晴らしいよ」
さっそく、地元産のコーナーに並べていきます。棚にはほかにも、新鮮な野菜や果物がずらり。どんな種類がどの時期にいくらで売られているのか、市場調査も欠かせません。
川下大翔さん:「周りの人との値段関係が一番売れるコツでもあるので、そこは常に気にしながら。できれば全部売れてほしいな」
祖父が残してくれた蓄えを基に始めた農業経営は、今年で4年目。 最初の1年の売り上げは支出に対して2割ほどでしたが、試行錯誤を続けることで去年は9割近くに伸ばしました。
SNSなどを通じて全国各地の農家からノウハウを学びながら、大学生との“兼業農家”の間にその後に向けた足掛かりを作りたいと考えています。
川下大翔さん:「今のままこの規模でやってくわけにはいかないので、大学に通ってる間に、規模拡大。今少しずつ力を入れてますけど、耕作放棄地とかに視点を置いて、もうちょっと規模拡大を図れればなと思っています」
ゆくゆくは農家民宿の開業なども思い描く、大翔さん。19歳の挑戦は、続きます。IMG_20230702_091214.jpg

 「植物って自分が手を加えた分だけ応えてくれるので、それが楽しいから。今もそうだし、昔からずっとやってるかなっていう感じですね」その祖父が4年前、体調を崩したのをきっかけに高校1年生だった大翔さんが畑の跡継ぎになりました。山梨県内の大学に進学して経済学や経営学を学ぶかたわら、「まごころファーム」と名付けた安曇野市内にある5か所の畑で農業に取り組んでいます。すなわち、「大学生」と「農家」の二刀流!学業と農業という“兼業農家”なのです。「一番の理由としてはコスト削減をしたいので、なるべく農薬使わないで自分のもとに入ってくるお金の量を増やすってところで。自分1人でやっているので、来年度の次の資材投資とかもあるので、その辺も考えながらやってますね」苦労はあるものの、それも含めて畑と向き合う時間は人生に欠かせないもの。「あまり規模は大きくないですけど、でも野菜に触れていた時間は誰よりも長いと思うので、その中で自然とふれあいながら生きていくことが自分にとって楽しいんだなっていうことに気づいて、祖父が残してくれたこの畑を使わない理由はないかなっていうところで」インターネットの直売サイトなどを通じた販売をしてきましたが、去年からは、直売所にも出し始めました。祖父が残してくれた蓄えを基に始めた農業経営は、今年で4年目。 最初の1年の売り上げは支出に対して2割ほどでしたが、試行錯誤を続けることで去年は9割近くに伸ばしました。SNSなどを通じて全国各地の農家からノウハウを学びながら、大学生との“兼業農家”の間にその後に向けた足掛かりを作りたいと考えています。「今のままこの規模でやってくわけにはいかないので、大学に通ってる間に、規模拡大。今少しずつ力を入れてますけど、耕作放棄地とかに視点を置いて、もうちょっと規模拡大を図れればなと思っています」大変共感できる考え方、生き方ですね。このような若者が増えてきてほしいですね。そうすれば日本の農業にも明るい展望を描くことができ変わってくる可能性があるでしょう。いい話ですね。20230121_110232.jpg
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