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村がなくなってしまえば農業もできないのでは[2025年06月18日(Wed)]
 BSN新潟放送2025年4月6日付け「“令和の百姓一揆”で訴えた「村なくして米なし」 棚田“星の谷”でコメを作って30年 天明伸浩さん(55)が感じる農村と都会の“距離” 新潟」から、コメの価格高騰が続く中、全国の農家が東京に集まり“令和の百姓一揆”と銘打ってデモ活動を行いました。新潟県上越市から参加した農家が掲げたメッセージは「村なくしてコメなし」。どんな思いが込められていたのでしょうか?
「農家を守ろう」「農村を守ろう」 東京都内の一等地に連なる大小さまざまなトラクター… 3月30日(日)に行われた“令和の百姓一揆”です。
農家が置かれている厳しい現状などを訴えるもので、主催者によりますと、この日は東京以外の10道府県以上でも同時に開催されました。
全国各地の農家などが集まったデモ前の集会。
実行委員を務めた小千谷市の農家・堀井修さん(75)を始め、新潟県内からはおよそ30人が参加しました。
実行委員 堀井修さん(75) 「今まで30年も米価は上がってないわけ。とてもじゃないですよ。後継者なんかやらせられない。“時給10円”だぜ、考えられる?」
参加したコメ農家の1人、上越市の天明伸浩(てんみょう・のぶひろ)さん(55)は当日の朝、新幹線に乗って上京し、集会会場に駆け付けました。
天明伸浩さん ―トラクターをみてどうですか。
「いいですね、やっぱりね。にぎやかな感じになりますからね。せっかくなので楽しくやっていきたいと思います」
天明さんが掲げたのは『村なくして米なし』と書かれたプラカードです。
天明伸浩さん 「『農業だけ残ればいい』というようなことを言う人もいるんですけど、村で暮らしてる人がいて、初めておコメができるっていうのはやっぱり伝えたい」
東京都出身の天明さんは上越市吉川地域の農業法人に誘われ、25歳の時に山深い川谷集落に移住し、コメ農家となりました。雪深い山奥に広がる棚田からは星がきれいに見えることから、天明さんは“星の谷”と名付け、コメ作りを続けています。
「学生時代に農業をやろうと思って全国を探したんですけど、米が作りたいということで新潟。たまたま新潟の川谷で離農される人がいるということで、『その場所でどうですか』という話が来たもので」
縁もゆかりもない土地でしたが、大学時代から交際していた香織さんとともに移住。3人の子どもと暮らしながら地域の田んぼを守り、コメ作りを続けてきました。
天明さんが上越に移住してから、今年で30年。今年もコメ作りの準備が始まっています。例年と変わらない春の風景ですが、この30年で農業を取り巻く環境は大きく変わったと感じています。
天明伸浩さん(55) 「30年前というと、まだ地域の人たちの平均年齢が50代とか40代の人もまだ結構残っていて、まだ村が賑やかだった。10軒以上の方が田んぼをやっていたんですけど、今は本当に4軒ぐらい」
県内全体で見ても、農家の数は30年ほどでおよそ6割減りました。 天明さんは、農家が置かれてきた厳しい経営環境がこうした事態を招いたとみています。
「(米価が)ずっと下がり基調で来た中で、資材とか機械代も全部上昇していくし。それなりの利益が出れば、皆さん、設備投資したりとか、人に投資したりできたんですけど、それがこの30年間、本当にできないまま来てしまっていて」
県産コシヒカリの卸売価格は30年間で3割低下。一方、農業資材の価格は全体で6割ほど上がっています。 天明さんはこうつぶやきました。「やっぱり農村に人が残らなかった」
そして「都会と農村の“距離”が離れていっているのではないか」とも話します。 天明伸浩さん(55) 「僕が(川谷集落に)入ったごろぐらいまでは、地方から東京に出た団塊の世代の人たちがかなりいて、地方の暮らしとか、地方がどういう役割を担っているかっていうのは、なんかわざわざ言葉で説明するまでもなく、わかっていたような気がするんです」 「でも米作りだけではなくて、地方で暮らしてること自体がなんか迷惑だみたいな感じが出てきていて、だけど、どこでも誰でもが暮らしてていけるような地域をやっぱり作っていかないと。そのベースになるのは、やっぱり農業政策だと思うんですよね」 農村が無くなればコメもなくなってしまう… こうした思いで天明さんは東京を歩きました。
「国産守ろう!」「お米を食べよう!」 沿道の人たちに訴えかけながら、3キロあまりを1時間ほどかけて歩き終えました。
天明伸浩さん(55) 「歩いている人たちにアピールできたので、楽しい時間でした」
天明さんは「米自体は輸入できるが、“田んぼ”は輸入できない。田んぼがあることで、自分が好きだと思える光景をずっと残していきたいなという思いは持っている」と話し、こう訴えます。
「農産物は農民が作ってるので、その農民が暮らす農村が疲弊すれば当然、農産物ができなくなるので、そのことを考えてもらえれば嬉しいなと思います」RIMG0248.JPG

 「『農業だけ残ればいい』というようなことを言う人もいるんですけど、村で暮らしてる人がいて、初めておコメができるっていうのはやっぱり伝えたい」「30年前というと、まだ地域の人たちの平均年齢が50代とか40代の人もまだ結構残っていて、まだ村が賑やかだった。10軒以上の方が田んぼをやっていたんですけど、今は本当に4軒ぐらい」県内全体で見ても、農家の数は30年ほどでおよそ6割減りました。農家が置かれてきた厳しい経営環境がこうした事態を招いたとみています。「(米価が)ずっと下がり基調で来た中で、資材とか機械代も全部上昇していくし。それなりの利益が出れば、皆さん、設備投資したりとか、人に投資したりできたんですけど、それがこの30年間、本当にできないまま来てしまっていて」県産コシヒカリの卸売価格は30年間で3割低下。一方、農業資材の価格は全体で6割ほど上がっています。「やっぱり農村に人が残らなかった」農村が残らなければ農業を続けることもできないでしょう。「でも米作りだけではなくて、地方で暮らしてること自体がなんか迷惑だみたいな感じが出てきていて、だけど、どこでも誰でもが暮らしてていけるような地域をやっぱり作っていかないと。そのベースになるのは、やっぱり農業政策だと思うんですよね」 農村が無くなればコメもなくなってしまう。その通りでしょう。「米自体は輸入できるが、“田んぼ”は輸入できない。田んぼがあることで、自分が好きだと思える光景をずっと残していきたいなという思いは持っている」「農産物は農民が作ってるので、その農民が暮らす農村が疲弊すれば当然、農産物ができなくなるので、そのことを考えてもらえれば嬉しいなと思います」農業を維持するために住民が生活できるようにしなければならないでしょう。農業のあり方と住民が安心して生活できる地域を維持することを真剣に考えるべきでしょう。CIMG5716.JPG
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