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学校が変わる必要があるでしょう[2025年06月10日(Tue)]
 現代ビジネス2025年4月1日付け「不登校児が過去最多34万人に。小学校の校長が「学校が変わらないといけない」と気づいた理由」から、2024年10月31日文部科学省2023年度の 「問題行動・不登校調査」 で、全国の国公私立小中学校で「不登校」と判断された児童生徒が34万6482人(前年度比15・9%増)と発表された。不登校の生徒数は11年連続で増え続けており、特に小学生では「学校生活に対してやる気が出ない」や「不安・抑うつ」が大きな理由となっている。これは子どもにとって学校が行きたいと思える場所、安心できる居場所ではないことを示している。文部科学省では「不登校対策」として「学びの多様化学校(不登校特例校)」の設置の支援や、スクールカウンセラーなどの配置の相談体制の充実を図っているが、実際の学校の現場で教員たちは何を考えてどう子どもと向き合っているのだろうか。
さまざまな環境で悩み苦しむ子どもと親を、NPO法人『福祉広場』代表の池添素さんは支えている。不登校や発達障害の子どもと親にかかわり続けて40年。親たちに「素さんがいたから私たち親子は生きてこられた」と感謝される。
池添素さんに子どもの不登校の現状についてジャーナリストの島沢優子さんが取材し、具体的なエピソードと共にお伝えしていく連載「子どもの不登校と向き合うあなたへ~待つ時間は親子がわかり合う刻~」。第14回では、池添さんと出会い、その考え方に衝撃を受けたという小学校の校長・牧紀彦さんについてお伝えする。時代とともに変わる教育の現場で、牧さんは不登校の子たちにとっての学校の在り方についてどのように考えているのか。そして、池添さんから学んだこととは。
不登校の子どもが通う「E組」
「不登校の子どもが週に一度通う教室」が京都の公立小学校にある。
池添さんと出会った家族のお話を紡いできた当連載。今回は支援される側から、支援する側に焦点を移してみたい。京都府京都市立待鳳(たいほう)小学校。全校児童は2024年度でおよそ320人。創立152年目を迎えた歴史ある学び舎には週に一度、火曜日だけ開かれる教室がある。その名も「E組」。不登校の子どもたちだけのクラスだ。
「同じ立場の者同士なので、安心して過ごせるようです。E組がなかったら、学校に来られなかったであろう子どもたちの居場所として機能していると思います」と話すのは校長を務めて4年目になる牧紀彦さん。E組は、大学教員の保護者と、地域で子どもの居場所作りをしていた専門家が提案してくれた。22年3月のことだ。子どもたちとともに過ごすのは教員ではない。学生たちがボランティアで務める。臨床心理士や教員を目指す学生は支援やカウンセリングなど実践を学べるわけで、学校とはウィンウィンの関係と言える。ここに居場所の専門家ら大人たちも加わる。
E組は大人がネーミングしたわけではない。大人たちは当初は「居場所」と呼んでいたが、「いばしょ」の「い」なのか、子どもたちが「E組」と呼ぶようになった。牧さんは「何のEかわからないんですよ。『いいね』のいい? それも含まれているかな。『何をしてもいい』の、いい、なのかもしれません」とほほ笑む。
「不登校の子どもが過ごせる居場所が学校にあればと考えていました。少子化で子どもの数が減ってきているので空き教室はある。この資源を使わないともったいない。
でも、やはり人員配置が難しい。ここがどこの学校も二の足を踏むところです。普段の業務で学校は手一杯ですから。素敵なアイディアを出してくださったと感謝しています」(牧さん)。
E組の存在は保護者全員に伝えた。PTAからも周知してもらった。子どもたちは最初は恐る恐る学校に来ているように見えた。牧さんは「子どもたち、周りになんて言われるやろう? って不安やったと思います」と回顧する。自分が所属する教室に入れない子どもは人目を気にするため、ほかの子どもが出入りする保健室にも行けない。よって、例えば給食準備の時間帯に登校したり、出入口も正門とは違うものにするなど工夫した。そのうち慣れてくると教室を飛び出し、体育館で遊んだりするようになった。週に一日でも教室に入ることに価値があるのだ。
福祉広場のやり方にカルチャーショックを受けた
当然ながらE組にも来られない子もいる。24年度で毎週来ていた子どもは2人。多いときは6人いることもあった。1年から6年までさまざまな学年の子どもがやって来る。
つまり、学年ごとに過ごすほかの教室と違って縦割りの集団になる。そこも特色だろう。みんなで遊んだり、それぞれが好きなことに取り組むそうだ。オンライン学習をしたり、何か課題があればそれをやる。牧さんは「お兄さん、お姉さんたちと触れ合う場というか、学校へと足を踏み出す前に力を蓄える場所として位置付けています」と言う。
「学校へと足を踏み出す前に、力を蓄える」
このことを、牧さんは池添さんから学んだ。およそ9年前にさかのぼる。牧さんの息子が通う保育園に巡回相談でやって来たのが池添さんだった。友達とスムーズに遊べないところがあった息子を連れて福祉広場に2年間通った。保育園は好きじゃないと言うわが子が夢中になって遊ぶ姿に感激した。池添さんとは広場で立ち話をし、登壇する講演を聴きに行った。
「子どもの捉え方であったり、不登校の考え方であったり、すべて衝撃的でした。子どもを待つ。待ったらうまくいく。子どもの充電がうまくいって満タンになったら自分で動き出す。ちゃんとできるから、子どもが満たされる状態まで待ってあげようというのが根本にありました。親として、教員としてカルチャーショックを受けました」
ほかにも「ゲームはさせといたらええ。与えるだけ与えたらいい。いつか飽きて、自分で卒業しはる」との論説にも驚かされた。息子にはついつい「1時間だけね」と制限してしまう。特に、池添さんの不登校支援の考え方をインプットしていくなかで「子どもによっていろいろで、学校は今のやり方ではもう通用しないっていうことがわかり始めたんです」(牧さん)。
一番の衝撃はわが子の笑顔だった。牧さんは「福祉広場に行くと、ほんまに楽しそうにする。こころの底から解放されてるんです。生き生きしてるんですよ。これはなんや? と、何の魔法だろう? と」。決して叱らず見守る安心安全な居場所のパワーを目にした。
「そこを僕は実感してるんです。子どもが自分を出せる居場所があれば、自分を出すのが楽しくなる。信頼関係を結べた大人と安心できる環境であれば、子どもってすごい力を出すし、すごい幸せになる。それって学校が学ぶべきやなと思いました」
「今の学校のやり方は通用しないのでは」
それまでは180度異なる考え方だった。これをやりなさい。こうするべきだ。学校には行こう。行けば何とかなる。子どもは学校で過ごすことが最も重要ですよ。そんな感覚だった。牧校長が現場で担任を務めた2000年代でも行き渋りのある子どもは存在した。その子たちに対しては、担任らが車で児童の自宅まで迎えに行って学校に連れてきた。嫌がったり、あからさまに抵抗する子どもはいなかったと記憶している。
「今思えばなんて強引なと思いますが、それがうまくいった時代でした。子どもにも『学校行きたくないなと思ったら、朝電話しておいで。先生、迎えに行くしな。迎えに行ったら、ちょっと先生とドライブしようか』と言って。そのまま教室に連れて行けば元気に過ごせた。僕ら(教員)も、結局その子らも中学になったらちゃんと学校に行けてるし大丈夫だと。不登校もそこまで大きな問題になっていませんでした」
例えば03年度に全国で30日以上欠席した不登校の状態にある子どもは12万6226人。うち小学生は2万4077人だった。これらの数字は20年後、劇的に増加する。2023年度に不登校だった小中学生は34万6482人で、前の年度と比べて4万7000人余り増加。率にして15%多く、11年連続増え続け過去最多となった。小学生は13万370人。20年前の6倍となった。
不登校の子どもが増えたり、いじめや教師の疲弊などさまざまな問題が顕在化するにつれ、「今のやり方ではもう通用しないのでは」との懸念は、牧さんのなかで徐々に現実味を帯びた。
「子どもが力を蓄えるために、学校ができることは何だろう」 「何かスイッチを作りたい」 管理職になっても考え続けた。DSC_0349.JPG

 京都府京都市立待鳳(たいほう)小学校。全校児童は2024年度でおよそ320人。創立152年目を迎えた歴史ある学び舎には週に一度、火曜日だけ開かれる教室がある。その名も「E組」。不登校の子どもたちだけのクラスだ。「同じ立場の者同士なので、安心して過ごせるようです。E組がなかったら、学校に来られなかったであろう子どもたちの居場所として機能していると思います」と話すのは校長を務めて4年目になる牧紀彦さん。E組は、大学教員の保護者と、地域で子どもの居場所作りをしていた専門家が提案してくれた。22年3月のことだ。子どもたちとともに過ごすのは教員ではない。学生たちがボランティアで務める。臨床心理士や教員を目指す学生は支援やカウンセリングなど実践を学べるわけで、学校とはウィンウィンの関係と言える。ここに居場所の専門家ら大人たちも加わる。いいですね。多様な子どもたちを受け入れるあり方を模索するための1つですね。E組は大人がネーミングしたわけではない。大人たちは当初は「居場所」と呼んでいたが、「いばしょ」の「い」なのか、子どもたちが「E組」と呼ぶようになった。牧さんは「何のEかわからないんですよ。『いいね』のいい? それも含まれているかな。『何をしてもいい』の、いい、なのかもしれません」とほほ笑む。「不登校の子どもが過ごせる居場所が学校にあればと考えていました。少子化で子どもの数が減ってきているので空き教室はある。この資源を使わないともったいない。給食準備の時間帯に登校したり、出入口も正門とは違うものにするなど工夫した。そのうち慣れてくると教室を飛び出し、体育館で遊んだりするようになった。週に一日でも教室に入ることに価値があるのだ。学年ごとに過ごすほかの教室と違って縦割りの集団になる。そこも特色だろう。みんなで遊んだり、それぞれが好きなことに取り組むそうだ。オンライン学習をしたり、何か課題があればそれをやる。「お兄さん、お姉さんたちと触れ合う場というか、学校へと足を踏み出す前に力を蓄える場所として位置付けています」「子どもの捉え方であったり、不登校の考え方であったり、すべて衝撃的でした。子どもを待つ。待ったらうまくいく。子どもの充電がうまくいって満タンになったら自分で動き出す。ちゃんとできるから、子どもが満たされる状態まで待ってあげようというのが根本にありました。親として、教員としてカルチャーショックを受けました」一番の衝撃はわが子の笑顔だった。「福祉広場に行くと、ほんまに楽しそうにする。こころの底から解放されてるんです。生き生きしてるんですよ。これはなんや? と、何の魔法だろう? と」。決して叱らず見守る安心安全な居場所のパワーを目にした。子どもの笑顔が見られるようになることが理想でしょう。不登校の子どもが増えたり、いじめや教師の疲弊などさまざまな問題が顕在化するにつれ、「今のやり方ではもう通用しないのでは」「子どもが力を蓄えるために、学校ができることは何だろう」 「何かスイッチを作りたい」多様な子どもたちが笑顔で生活できるような学校に変わらなければならないのでしょう。DSC_0299.JPG
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