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「停滞なる安定」、低成長だが社会は崩壊しない道を暗黙のうちに選択して[2025年04月26日(Sat)]
 東洋経済ONLINE2025年2月17日付け「勤勉な日本人が「低い生産性」に甘んじてきた必然 『ホワイトカラー消滅』冨山和彦氏に聞く・後編」から、産業構造の変化やデジタル化の進展が加速する日本で、ホワイトカラーは「人余り」の時代に突入する一方、地域経済を支えるエッセンシャルワーカーや観光産業には新たなチャンスも生まれている。冨山和彦氏の著書『ホワイトカラー消滅』の内容を基に、新時代の日本の稼ぎ方について掘り下げた。
よき人生の定義を「多元化」せよ  
日本はこれまで「停滞なる安定」、低成長だが社会は崩壊しない道を暗黙のうちに選択してきたと指摘されています。  
今のアメリカは経済成長して、株価も絶好調だけど、サンフランシスコなんて危なくて歩けない。ちょっと異様な感じだ。普通はあれだけ経済指標がよかったらウハウハのはず。日本がアメリカのようにならなかったことが本当に悪いことなのかはわからない。  
「両利きの国を目指す」、すなわちローカルは豊かでグローバルが強い国を目指すという提案をされていますが、それには何が必要ですか。
 まずは成功の仕方、よき人生の定義を多元化することが必要だ。大谷翔平選手や五輪金メダリストのように世界の頂点を目指す人生はつらい。人の何十倍も努力して、怪我もして、それを克服してという方向で頑張る人生を全員が目指す必要はない。自分の住む地域でエッセンシャルな仕事をして、目の前にいる人たちの役に立っていく人生もいいものだ。  
人それぞれの幸せの尺度、役立ち方を皆が認め合える社会にしていかないとまずい。若い人の空気感は変わってきているように感じる。今、スタートアップが最も多いのは東大だ。若い人たちは1つの軸で見るのはもう「無理ゲー」だと思っているんじゃないか。
国を組み替えていく過程で「付加価値労働生産性」が重要だという話をしています。
付加価値労働生産性というのはわれわれが1時間当たりどれだけの付加価値を稼げるかを示す指標だ。GDPは付加価値の総計だから、付加価値労働生産性に総労働時間をかけたものということになる。  
経済は循環系。生産、投資、消費が循環する。それが拡大再生産することが経済成長だ。ということは、循環のどこかに問題があると、それによって全体が規定されてしまう。今、日本における最大のリスク要因は労働供給にある。生産面の問題だ。
 需給ギャップという発想は古い。今は、500室あるホテルが300室しか稼働していないとき、原因は人手不足である場合が多い。起きているのは完全に労働供給による制約なわけだから、付加価値労働生産性を上げ経済を伸ばすことは、皆を幸福にする。  
とにかく、貧すれば鈍する。なんだかんだ言って、給料が安いとしんどい。やりがいだけで頑張れというのはやりがい搾取だ。皆が年収1億円を目指す必要はないし、それは無理だが、それぞれの人なりに自分の仕事に対する幸福感、充実感があって、給料からもそれなりに幸福感を満たせるようになっていないと、世の中全体としてうまくいかない。そういう脈絡で、今、経済指標でいちばん大事なのは付加価値労働生産性だ。
 最低賃金の議論を聞いていると、まだ人手が余っているという発想から抜け切れていない。「最低賃金を上げると雇用に響くから反対」というが、実際には響かない。マクロ的に労働受給は逼迫しているのだから。
「デフレと人手余り」から頭が切り替わっていない  
「中小企業が潰れたら、地域の社会インフラ機能がなくなって地域がもたなくなる」という主張もあります。  
われわれ自身が過疎地でバス事業をやっているのでわかるが、路線バスの廃線は会社が潰れて起きているわけではない。運転手がいなくなって起きているのだ。なぜ運転手がいなくなるかというと、給料が安いから。順番が逆だ。
デフレと人手余りで30年間やってきたから、頭の中がまだ切り替えられていない。経営者も平成脳のままだ。「最低賃金を上げられちゃうと、うちの会社はもちません」というが、それはつまり、経営が苦しいときには低賃金雇用とコストダウンで生き残れると思い込んでいるということ。でも今は、そんな平成モデルでは生き残れない。  
賃金の下方圧力には、グローバル産業が国際競争に劣後するから下げなければいけないという思い込みがあったと思います。今は日本のグローバル産業が競争力を持たなくなっていますが、これはなぜでしょうか? 
 ハードウェアの大量生産が求められていないからだ。実際、テレビを買うときにプレミアムのものを買うかというとそうではない。単なるディスプレーと見る人が多いだろう。  テレビ自体よりも、むしろAmazonプライムやYouTubeのプレミアムに入っちゃおうかなという感覚で、お金を払う対象が変わった。もうテレビの製造を歯を食いしばって頑張ったって報われない。ハードからソフトへ。30年前に始まった新たなゲームが今後も続くだろう。
 ゲームが変わったときにはその企業にとって必要な働き手も変わるから、終身雇用、年功制は厳しい。例えば、プレーする競技が野球からサッカーに変わるときに、チームに野球選手しかいなかったら負ける。  
でも、これまでの日本企業は、今いるメンバーで、野球選手の力でサッカーに挑んでしまった。だから、グローバルなIT産業で惨敗した。違うゲームなのだから最初から無理があった。  
例えて言うなら、「ソフトバンクホークスサッカー部」や「読売巨人軍サッカー部」を作り、若くて運動神経のいい野球選手にサッカーをやらせてきたようなものだ。ITはグローバル産業だから、いきなり欧州チャンピオンズリーグに行けというのと同じ。ピッチの向こうにはメッシがいる。バットとグローブは持たせてもらえない。
日本型経営はいったん99%否定したほうがいい  
日本型経営はかつて成功したものの、その成功の呪いから脱却するには時間がかかりそうですね。  
長い時をかけていろんな仕組みが制度化されており、猛烈な経路依存性がある。教育、個人の生き方、社会保障制度、年金、退職の仕組みなど、全部経路ができてしまっている。野球だけでなくサッカーもブレイキンもやることになりましたと急に言われても、転換するのは相当大変だ。
 アメリカでも、古い会社はほとんどIT革命に適応できなかった。スタートアップとM&Aでそれをカバーしたのだ。本来はそういうダイナミズムが必要だ。日本型経営は、申し訳ないけれど、いったん99%否定したほうがいいと思う。それでも半分ぐらいの企業は残るだろう。  
グローバル産業はそういうふうに変わっていくとして、本書には、今後ローカル産業が日本経済のある種の柱となっていくとあります。ローカル産業が新たな形で分厚い中間層を再建していくということですね。
 「日本は大量生産、つまり巨大設備産業が得意だから鉄鋼で勝ったのか、電機で勝ったのか?」をよくよく考えると、答えはノーだ。  
資本力ならアメリカが上だった。なぜ日本企業が強かったかというと、複雑性のある業務のデリバリー能力が高かったから。ややこしい組み立てでも再現性を持って何度も何度も繰り返しできる、かつそれを改善改良できる。これがある時期、ハードウェアの大量生産にバチっとハマった。  
実は、われわれの社会の組織能力の本質は大量生産ではなかった。複雑なオペレーションをデリバリーする組織のすごさが日本の強みだ。そう考えると、観光産業はまさにその本質に合致する。
 お客さんが空港に来る、入国する、宿泊地に移動する。その過程でいろんな交通機関を使うが、日本の電車は時間どおりに来る。これはすごいことだ。インバウンド医療が盛り上がっているが、医療もまさに複雑系だ。日本の社会的なコアコンピタンスは、観光も含めエッセンシャルワーク的なところで発揮される。
「次世代の基幹産業」の条件  
それに見合う付加価値を主張していく必要があると。  
そう。割安と思われてるからインバウンドが来すぎちゃう。「この人たちこのサービスになんでこれだけの値段しかつけないんだろう?」と思われているわけだ。
そうすれば観光産業も基幹産業になりうる。  
絶対チャンスだから。日本の製造業の1人当たりGDPや労働生産性が今でも高いのは、自動車産業が頑張れているからだが、それに代わる、大量の雇用を吸収できる高付加価値産業の可能性が製造業にないのは明らかだ。  
半導体は伸びているが、あまり雇用を生まない。工場に行ってみたらわかるが、半導体は装置産業だ。熊本には工場を作るために人が集まったが、実際に回りだしたら人はいらなくなる。データセンターもそう。
 基幹産業は、外貨が稼げることと多くの雇用が生まれることが2つの条件。いま製造業に力を注ぐのは明らかに間違いだ。  
観光産業を基幹産業に育てるため、今後必要なことは?   
観光経営人材の育成だ。日本の観光地はすでにオーバーツーリズム状態なので、はっきり言うと、安いツアーは来てもらわなくていい。限られた人数に高い付加価値を提供することをやっていかないと、観光産業自体が成り立たなくなっていく。  
観光産業の高付加価値化に、必要なのが経営者の力だ。観光業はどちらかというと分散的で、巨大産業に収斂しないので、相当数の優秀な経営者が各所で頑張らなければいけない。
 国策的に高付加価値産業を目指してるのはヨーロッパで、その典型がスイス。高付加価値観光をやって、来てくれた人にロレックスのような高い時計を買ってもらう。アメリカだと、ネバダ州ラスベガスとか。こういうところには必ず世界有数の観光専門ビジネススクールがある。アジアでもマカオなどにある。  
日本は学部レベルで立教大学に観光学部があり、いま非常に人気がある。これをもっと高度化して、グローバル標準の観光MBAを作るべきだ。だからやる気のある若者はホワイトカラーを漫然と目指してる場合じゃない。絶対観光業に行ったほうがいい。
 観光分野の教育を充実させることに加え、DMO(Destination Management Organization:観光物件、自然、食、芸術・芸能、風習、風俗など当該地域にある観光資源に精通し、地域と協同して観光地域作りを行う法人)の役割も重要だ。  
観光は、実は単独の旅館の勝負ではない。エリア一帯にどう誘客し、その中でどう楽しんでもらいお金を払ってもらうか。その中心になるのがDMOだ。欧米ではDMOがしっかりしている。日本でも一応DMOを作ったが、うまく機能しているところより、そうでないところのほうが多い。
その理由ははっきりしている。欧米のDMOはだいたい観光税や宿泊税から収入を得ており、頑張ると収入が増える。一方、今のところ日本のDMOの多くは、やりがい搾取型だ。これを変えていけばいいのだから、伸びしろ満載だ。
押さえつけていた生産性を開放する  
『ホワイトカラー消滅』では、今の日本にはマラソンでいうと5時間ぐらいで走ってる人が多いが、これをサブスリー(フルマラソンで3時間を切ること)に持っていけると。
 今、日本の時間当たりの付加価値労働生産性は世界30位だ。後ろを振り返ると、先進国はいない。それはおかしいだろう。正しい走り方を覚えて、トレーニングして、AIのようなテクノロジーを導入すればいい。そうすれば、生産性は単純計算で1.5倍。GDPが50%増える。  
日本人は教育水準が高く勤勉で規律正しい。それなのになぜ付加価値労働生産性がこんなに低いのかを考えると、暗黙のうちに生産性を押し下げてきたからだ。雇用を守らなきゃいけないというので抑制した。
 自発的なワークシェアリングが行われたということですね。  
そう。大企業は雇用を守る代わりに賃金を上げられませんといって頑張ってきた。当然、下請けもそうなる。そこからあふれ出た人はサービス産業に行くから、そこも低賃金。そういう経済が30年間続いた。高い代償を払って安定を保ってきた部分がある。  
安定のためには、むしろ労働生産性は低いほうがいい。雇用数が増えるから。そうやって「停滞なる安定」を選んできたのが、これまでの30年だった。そんなふうに無理やり押さえつけていた生産性を開放してあげればいい。DSC00412.JPG

 日本はこれまで「停滞なる安定」、低成長だが社会は崩壊しない道を暗黙のうちに選択してきた。確かにその通りでしょう。まずは成功の仕方、よき人生の定義を多元化することが必要だ。大谷翔平選手や五輪金メダリストのように世界の頂点を目指す人生はつらい。人の何十倍も努力して、怪我もして、それを克服してという方向で頑張る人生を全員が目指す必要はない。自分の住む地域でエッセンシャルな仕事をして、目の前にいる人たちの役に立っていく人生もいいものだ。人それぞれの幸せの尺度、役立ち方を皆が認め合える社会にしていかないとまずい。若い人の空気感は変わってきているように感じる。今、スタートアップが最も多いのは東大だ。若い人たちは1つの軸で見るのはもう「無理ゲー」だと思っているんじゃないか。時代が変われば考え方、価値観が変わるのは当たり前でしょう。それでも大事なのは人それぞれを認め合うことでしょう。デフレと人手余りで30年間やってきたから、頭の中がまだ切り替えられていない。経営者も平成脳のままだ。「最低賃金を上げられちゃうと、うちの会社はもちません」というが、それはつまり、経営が苦しいときには低賃金雇用とコストダウンで生き残れると思い込んでいるということ。でも今は、そんな平成モデルでは生き残れない。賃金の下方圧力には、グローバル産業が国際競争に劣後するから下げなければいけないという思い込みがあったと思います。今は日本のグローバル産業が競争力を持たなくなっています。日本型経営はかつて成功したものの、その成功の呪いから脱却するには時間がかかりそうですね。長い時をかけていろんな仕組みが制度化されており、猛烈な経路依存性がある。教育、個人の生き方、社会保障制度、年金、退職の仕組みなど、全部経路ができてしまっている。野球だけでなくサッカーもブレイキンもやることになりましたと急に言われても、転換するのは相当大変だ。固定観念に捉われているのでしょうか。われわれの社会の組織能力の本質は大量生産ではなかった。複雑なオペレーションをデリバリーする組織のすごさが日本の強みだ。そう考えると、観光産業はまさにその本質に合致する。お客さんが空港に来る、入国する、宿泊地に移動する。その過程でいろんな交通機関を使うが、日本の電車は時間どおりに来る。これはすごいことだ。インバウンド医療が盛り上がっているが、医療もまさに複雑系だ。日本の社会的なコアコンピタンスは、観光も含めエッセンシャルワーク的なところで発揮される。確かにそうですね。観光は、実は単独の旅館の勝負ではない。エリア一帯にどう誘客し、その中でどう楽しんでもらいお金を払ってもらうか。その中心になるのがDMOだ。欧米ではDMOがしっかりしている。日本でも一応DMOを作ったが、うまく機能しているところより、そうでないところのほうが多い。その理由ははっきりしている。欧米のDMOはだいたい観光税や宿泊税から収入を得ており、頑張ると収入が増える。一方、今のところ日本のDMOの多くは、やりがい搾取型だ。これを変えていけばいいのだから、伸びしろ満載だ。上手に変えていけば観光は日本にとっては飛躍できる分野でしょう。安定のためには、むしろ労働生産性は低いほうがいい。雇用数が増えるから。そうやって「停滞なる安定」を選んできたのが、これまでの30年だった。そんなふうに無理やり押さえつけていた生産性を開放してあげればいい。考え方、発想の転換が必要なのですね。DSC00411.JPG
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