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異質なものを受け入れ個を尊重して多様性になれてきているのか[2020年06月21日(Sun)]
 朝日新聞2020年1月1日付け「誰も否定されないこと」から、誰もが日本語が分かって当然という均質的な社会なので、言外の意味を忖度したり、空気を読むという圧力が生じてしまう。アメリカでは、違う文化で生まれ育った人々がプアな英語で意思疎通しているため、言葉で表現したこと以外に気を回す余裕はないし、それを求められてもしない。自分自身や自国の文化を相対化する環境に身を置く経験は貴重ですね。
 「身を置く」っていい言葉。私はエンパシーを働かせるためには土壌がいると思うんです。それは街で異なる人たちと実際に関わり合うこと。それが他者を想像するときの土台になる。ツイッターで頭の中だけの議論をするのはやめて、まちでようようって思う。
 種が生き残るためには、個体のバリエーションが豊富なほうがいいという多様性ですね。
 平たく言えば「変わり者」を多く内包している社会の方が実は強靭だと示唆してくれます。
 不幸にも人間はつい群がりたくなるんですね。そして、人種とか民族とか、国家といった階級を作りたがる。それ故に争いが絶えないのです。
 真の多様性とは、違う者の共存を受け入れるという、言わば利他的な概念です。
 学ぶのは「自由」になるため。そして「自由」になれば、人間は「他人の靴を履く」こともできると思うんです。
 山に登ると遠くまで見渡せるように、勉強すれば人の視野は広くなる。すると、お互いの自由も尊重し合う力を持てるようになる。
 個と個の違いをみんなで認め、共有していこう、という方向へ進み出ていますよ。
 日本でも否応なく異質な存在と出会う場が増えていますし、少しずつですが、「個」を尊重する方向に向かっていると思います。DSC_0349.JPG

 日本は今まで誰もが日本語が分かって当然という均質的な社会を意識して生活してきたのかもしれませんが、観光客を含めて海外から訪れる人たちが急激に増え続けて、話されている言語はさまざまです。国内では学校ばかりでなく企業、社会でもいじめが絶えることがありません。同調圧力が強いからそのような状況に耐えられない人たちが息苦しくなっているのではないでしょうか。違う者を受け入れるということができていなかった日本で海外からの人たちが増え続けているため社会が変化しているのですが、それでも異文化を理解したり、違いを認めることができない状況があるのではないでしょうか。個と個の違いを認め、共有することが当たり前になるにはまだそう簡単ではないのかもしれませんが、個を尊重して自由を尊重する社会になっていかなければ世界の中では取り残されていってしまうかもしれません。多様性を尊重して多様性を容認することは日本社会では容易ではありませんが、それができなければ大変なことになってしまうかもしれません。DSC_0299.JPG
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