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この国の死生観について考えて[2020年05月28日(Thu)]
 朝日新聞be2019年12月14日付け「点ではなくプロセスで見る死」から、これまでの現代医学では、人間の死は「心臓死」とか、便宜的に「脳死」とか言われるように、点で捉えられてきた。心肺停止とか脳機能の不可逆的停止とかいった言い方に象徴されている。しかもそれを宣言するのは医師だけ。医師は、神の代理人であるかのように、そのような死の1点を告知する。けれども現実の人間の死は、決してそんな単純なものではない。年を取り、老衰し、致命的な疾患を発して死へと運ばれていく。つまり、一定のプロセスを経て、最終のゴールに到達する。それは、ある1点に凝縮されたような形で、突然やってくるのではない。老いという病をさまざまに抱えて、やってくる。もはや心臓死とか臓器移植のための脳死とかいう、人工的に設定された死の定義の枠なかで訪れてくるものではないからである。
 私は、このような現実ありのままのわれわれの死を、老病死と名付けて、再定義してみたいのである。言ってみれば、心臓死から老病死への転換のすすめ、である。それこれが人間の死についての、真の実態的な考え方、捉え方ではないだろうか。そもそも人間の老病の状態は、すでに死の領域、少なくともその入り口に実態的に参入していると私は考えるのである。それが、この国の長い伝統で育んできた死生観の根幹だったと思う。001.jpg

 現実の人間の死は、決してそんな単純なものではない。年を取り、老衰し、致命的な疾患を発して死へと運ばれていく。つまり、一定のプロセスを経て、最終のゴールに到達する。それは、ある1点に凝縮されたような形で、突然やってくるのではない。老いという病をさまざまに抱えて、やってくる。心臓死から老病死への転換のすすめ、である。それこれが人間の死についての、真の実態的な考え方、捉え方ではないだろうか。そもそも人間の老病の状態は、すでに死の領域、少なくともその入り口に実態的に参入していると私は考えるのである。それが、この国の長い伝統で育んできた死生観の根幹だったと思う。死生観の捉え方がわかったような気になりましたが、深いところは私には理解できていないのでしょう。生まれてきた以上は少しずつ死に向かって歩んでいることは間違いありません。いつかは市が訪れるのですが、死の受け止め方が少しでもわかれば幸せな最期を迎えることができるかもしれません。032.jpg
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