
政治的な意図が働いているとすればどうでしょうか[2020年05月26日(Tue)]
朝日新聞2019年12月12日付け「万歳!万歳!万歳!・・・? 作られ 失われた純粋さ」から、「三唱」と呼ばれるはずなのに、会場を煽るように何度も繰り返された万歳。天皇陛下の即位を祝う国民祭典の「万歳連呼」は、センスが悪いなと思いました。
見た気になって、民衆をひとつに捉えてしまうのは間違いです。日常でも「目の権力」によって、一人ひとりを尊重しないことにつながりかねない。少数が尊重されないことも少なくない政治や社会の空気に、国民も慣らされてしまっているのではないか。個々の違いに目を向けようとしなくなってはいないか。
天皇陛下の即位を祝うことはいいのでしょうが、莫大な税金の使い方を考えるとあり方について政権だけ決めるのではなく国民を交えて事前に検討すべきではなかったのではないでしょうか。万歳の連呼に対しては、天皇陛下の即位を祝うのだからと言って政権や政治の意図が働いていなかったでしょうか。現政権は国民一人ひとりを尊重するというよりは、国家、公、集団の中の国民という位置づけと考え、個々の一人ひとりを尊重するとか大事にするということを避けようとしているように思われます。個々、少数を尊重しないという空気に慣らされてしまってきている国民はその問題性に気づく必要があるのではないでしょうか。祝うことを利用して政治的な思惑があるとすれば、その問題性を意識する必要があるのではないでしょうか。
見た気になって、民衆をひとつに捉えてしまうのは間違いです。日常でも「目の権力」によって、一人ひとりを尊重しないことにつながりかねない。少数が尊重されないことも少なくない政治や社会の空気に、国民も慣らされてしまっているのではないか。個々の違いに目を向けようとしなくなってはいないか。

天皇陛下の即位を祝うことはいいのでしょうが、莫大な税金の使い方を考えるとあり方について政権だけ決めるのではなく国民を交えて事前に検討すべきではなかったのではないでしょうか。万歳の連呼に対しては、天皇陛下の即位を祝うのだからと言って政権や政治の意図が働いていなかったでしょうか。現政権は国民一人ひとりを尊重するというよりは、国家、公、集団の中の国民という位置づけと考え、個々の一人ひとりを尊重するとか大事にするということを避けようとしているように思われます。個々、少数を尊重しないという空気に慣らされてしまってきている国民はその問題性に気づく必要があるのではないでしょうか。祝うことを利用して政治的な思惑があるとすれば、その問題性を意識する必要があるのではないでしょうか。
