投票に行ってない人が共感するような政策を訴える[2020年02月27日(Thu)]
朝日新聞2019年9月28日付け「ポピュリストなのか れいわ新選組代表・山本太郎さん」から、私が1番リーチしたいのは投票を捨てた人たち。その人たちに『もう1度かけてみないか』と」
「世の中が大きく変わるのは、今まで投票に行かなかった人が投票するときなんだから」
「あきらめたくなるような世の中ですからね。ギリギリの生活をしていて、自分の人生でさえ逆転できる要素がないのに、世の中を変えるなんてできるはずがないと思い込んでしまっている。でもそれはとんでもないことで、その人たちこそが鍵を握っている。あなたがいなくちゃ始まらない、と訴えていくことです」
「生活困窮に陥っている人を何とか救うのが政治で、それを実現すると訴えることがポピュリストなら、間違いなく私はポピュリストですね」
「自助と共助というものを強調するような政治は変えなきゃならない。政治とは、人々が国のために何かできるという話ではない。国として人々の幸せをどう担保するのか。政治を小さくして自助と共助を強調してきて、日本は行き過ぎるところまで行き過ぎてしまった。今必要なのは新しい大きな政府なのです」
「本当の欲望が変革の力になる」から、世はSNS花盛り。ネット上には攻撃的な言葉が溢れ、分断と憎悪を加速する。その強度と不条理さにくたびれるものの、それでもひとは、情に笑い、情に狂い、情に救われる。
1部のエリートによる<少数者支配>、および排外主義の台頭に立ち向かうために、政治の言葉は人々の日常感覚に届くものでなければならない。ある感情に対抗しようとすれば、単に合理的な説得に拠るだけでなく、抑制しようとするものよりも強力な、別の感情を喚起することが不可欠になるというわけだ。
現代社会には対立を避けようとする傾向があると指摘し、権利を求めて闘うことの意義を説く。隣人を引き下げるのではなく、社会運動や労働運動に連なって、不満や怒りをともに表明することが重要なのだ。確かに、感情的な行き違いが連帯やつながりを壊すこともあるだろう。けれども「声を上げていいのだ、私たちは社会を変えられる力がある」、そう奮い立たせてくれるのもまた情なのである。
「世の中が大きく変わるのは、今まで投票に行かなかった人が投票するときなんだから」ギリギリの生活をしていて、自分の人生でさえ逆転できる要素がないのに、世の中を変えるなんてできるはずがないと思い込んでしまっている。でもそれはとんでもないことで、その人たちこそが鍵を握っている。あなたがいなくちゃ始まらない、と訴えていくことです」という考え方が間違っていないかもしれません。投票率が下がり続けているのは、投票しても変わらないと思う人が多いからでしょう。確かに組織票を持っている人が選挙に強いのは明らかですが、強い想いと熱意を持って寄り添う姿勢が明確ならば、共感してその人に託してみようという気持ちなって投票するかもしれません。野党には格差に苦しんでいる若者や女性、社会的弱者などに本当に寄り添ってその人たちのための政策を実現させようという強い意思があるのでしょうか。表面的に寄り添っている姿勢を見せても本当に苦しんでいる人たちには見破られてしまうのではないでしょうか。大企業や裕福な人たちのための自民党とは違うというところをはっきり示さなければ投票に行ってもらうことは難しいでしょう。不満や怒りを持っている人たちが何を求めているのか察知してその人たちと一緒に歩もうとする政治家が現れれば変化が起きてくるかもしれません。
「世の中が大きく変わるのは、今まで投票に行かなかった人が投票するときなんだから」
「あきらめたくなるような世の中ですからね。ギリギリの生活をしていて、自分の人生でさえ逆転できる要素がないのに、世の中を変えるなんてできるはずがないと思い込んでしまっている。でもそれはとんでもないことで、その人たちこそが鍵を握っている。あなたがいなくちゃ始まらない、と訴えていくことです」
「生活困窮に陥っている人を何とか救うのが政治で、それを実現すると訴えることがポピュリストなら、間違いなく私はポピュリストですね」
「自助と共助というものを強調するような政治は変えなきゃならない。政治とは、人々が国のために何かできるという話ではない。国として人々の幸せをどう担保するのか。政治を小さくして自助と共助を強調してきて、日本は行き過ぎるところまで行き過ぎてしまった。今必要なのは新しい大きな政府なのです」
「本当の欲望が変革の力になる」から、世はSNS花盛り。ネット上には攻撃的な言葉が溢れ、分断と憎悪を加速する。その強度と不条理さにくたびれるものの、それでもひとは、情に笑い、情に狂い、情に救われる。
1部のエリートによる<少数者支配>、および排外主義の台頭に立ち向かうために、政治の言葉は人々の日常感覚に届くものでなければならない。ある感情に対抗しようとすれば、単に合理的な説得に拠るだけでなく、抑制しようとするものよりも強力な、別の感情を喚起することが不可欠になるというわけだ。
現代社会には対立を避けようとする傾向があると指摘し、権利を求めて闘うことの意義を説く。隣人を引き下げるのではなく、社会運動や労働運動に連なって、不満や怒りをともに表明することが重要なのだ。確かに、感情的な行き違いが連帯やつながりを壊すこともあるだろう。けれども「声を上げていいのだ、私たちは社会を変えられる力がある」、そう奮い立たせてくれるのもまた情なのである。
「世の中が大きく変わるのは、今まで投票に行かなかった人が投票するときなんだから」ギリギリの生活をしていて、自分の人生でさえ逆転できる要素がないのに、世の中を変えるなんてできるはずがないと思い込んでしまっている。でもそれはとんでもないことで、その人たちこそが鍵を握っている。あなたがいなくちゃ始まらない、と訴えていくことです」という考え方が間違っていないかもしれません。投票率が下がり続けているのは、投票しても変わらないと思う人が多いからでしょう。確かに組織票を持っている人が選挙に強いのは明らかですが、強い想いと熱意を持って寄り添う姿勢が明確ならば、共感してその人に託してみようという気持ちなって投票するかもしれません。野党には格差に苦しんでいる若者や女性、社会的弱者などに本当に寄り添ってその人たちのための政策を実現させようという強い意思があるのでしょうか。表面的に寄り添っている姿勢を見せても本当に苦しんでいる人たちには見破られてしまうのではないでしょうか。大企業や裕福な人たちのための自民党とは違うというところをはっきり示さなければ投票に行ってもらうことは難しいでしょう。不満や怒りを持っている人たちが何を求めているのか察知してその人たちと一緒に歩もうとする政治家が現れれば変化が起きてくるかもしれません。



