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人間は必ず死ぬという意識で生をまっとうすべきでは[2018年08月28日(Tue)]
 朝日新聞be 7月7日付け「それぞれの最終章」から、永遠の別れは悲しいですが、私は死をこわいとは感じません。30年近く、主に緩和ケア病棟で数多くの方を見送ってきて、病で苦しんだ後に穏やかな表情で命の灯が消えていくのを見ると、「死はさまざまなことから解放されるプロセス」と受け止められるようになりました。「必ず自分にも訪れる。順番が先か後かの違いだけ」が実感です。だから「よく頑張りましたね。いずれ私もそちらに行きます。また会いましょう」という気持ちで送り出します。人は誰しも死を迎えます。これほどの絶対的事実はありません。でも今の日本人を見ていると、心のどこかで「自分だけは死なない」と思っているのでは?そう思わされるほど、死が遠い存在になっています。死を忌避しすぎていると思います。自分の死を人生のどこかの段階で考えておくことは不可欠だと思います。それを避け続けて、直前になって死が迫っている現実を受け入れるのはとても難しいことです。ですから、あらかじめの準備をしておくが大切です。きっかけは病気だったり、老いの実感だったり、近しい人の死であったり、様々です。死を身近に感じた記憶が鮮明な間に、これから自分はどんな生き方をしたいか、何をやり残しているか、どんなふうに最期を迎えるのか、正面から考えることを薦めます。病はつらく、自分の思い通りにできないものです。だからと言って忌み嫌うだけでなく、生き方を考えるきっかけにしてほしい。見送り見送られる立場からの、切なる願いです。006.JPG

 人間はいつか必ず死にます。死ぬまで悔いがなく生き抜くことは大変でしょうが、いろいろなしがらみなどから解放されると考えれば肩の荷が下りるかもしれません。病気をしないで健康な状態で死を迎える人は少ないかもしれませんが、病気や老いを感じた際に死に近づいていることを実感して最期までどんな生き方をしたいか考えることは大事かもしれません。自分自身が生きたいように生きることで死を迎えても心安らかに最期を迎えることができるのでしょう。母をはじめ妻と私と誰が最初にお迎えが来るかわかりませんが、多少の前後はあってもまたあの世で一緒になれると思えば気も軽くなるのではないでしょうか。死を迎えるまで生き方を考え、生をまっとうすることが大事なのではないでしょうか。001.JPG
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