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豊かな食生活と脆弱な自給率 コメ不足の今こそ、米国依存に警鐘が必要では[2025年11月17日(Mon)]
 毎日新聞2025年6月18日付け「<毎日農業記録賞×聞く>豊かな食生活と脆弱な自給率 コメ不足の今こそ、米国依存に警鐘」から、コメの価格高騰を受け、安い米国産米の輸入拡大を求める声が聞かれ始めた。終戦後、日本人の胃袋に生産過剰になった小麦を送り込んだ米国の輸出戦略を追った元NHKのジャーナリストがいる。高嶋光雪さん(77)だ。大きな反響を呼んだ約半世紀前のリポートが、「米と小麦の戦後史 日本の食はなぜ変わったのか」(ちくま学芸文庫)としてこのほど刊行された。米国の農業生産力と冷徹な戦略を知る彼は、安易な輸入解禁に警鐘を鳴らす。
シリーズ<令和のコメ騒動>9  
著書の中で、次のようなことを書いておられますね。  
日本の食料安全保障に危険信号がともり始めた戦後転換期の一つの記録としてこの本を読み、「日本の食と農を見つめ直す機会になってくれるとありがたい」と。  
今の「コメ不足」や価格高騰は、1970年代に始まった減反政策の帰結であるとも言えます。この本の旧版を出した79年は、米穀の流通や価格を政府が決める食糧管理制度の時代でした。端的に言えば、政府が生産者からコメを高く買い入れて、消費者に安く売り渡す。
従って、消費者の「コメ離れ」とそこから来る「コメ余り」は財政赤字に直結し、政治問題化していきました。その解消を目指して、コメの生産量自体を減らす目的で導入されたのが減反です。日本人の食生活の洋風化がもたらした「必然」のように今も語られていますが、注意しなければいけないのは、この洋風化は「自然」に起きたものではない、ということです。その背景には、最初は小麦、続いて飼料用穀物の新たな販路開拓を目指す米国の生産者団体の運動と、それを支援する米国農務省との用意周到な輸出戦略があった。  
その内容を詳細に取材されています。  
終戦後、それまで戦時増産体制にあった米国産小麦は余剰に直面します。ロッキー山脈に隔てられたオレゴン州など西部の穀倉地帯は流通面でも不利な立場にありました。一方、敗戦国の日本は食料難の渦中にあった。アイゼンハワー政権時代の54年に成立した「農業貿易促進援助法(PL480)」は、米国の余剰農産物を外国通貨で売ることを認めました。簡単に言えば、日本は不足するドルを使わずに円で小麦を買えることになった。また、日本が支払った代金を日本の産業基盤強化のための借款に充てることも認めました。食料増産を目指した八郎潟干拓(秋田県)や愛知用水のほか、電源開発など工業生産につながる財源にもなった。「食料と外資の一挙両得」とばかり、日本政府はもろ手を挙げて歓迎。「ワシントン詣で」を繰り返します。  
戦勝国の「温情」のようにも見えます。  
彼らが冷徹な戦略を持っていたことも見逃せません。それは、コメ中心の日本人の食生活そのものを変えることにありました。PL480には、日本が払った代金を米国産農産物の市場開拓のための需要喚起に使うことも盛り込まれていました。端的に言えば「工作費」です。
日本に人脈を築きます。日本人の栄養改善に取り組む厚生省や、粉食業界、製粉会社など関係する日本側の利害とも結びつきます。都市部で開催した国際見本市ではパンや菓子などが無料でふるまわれ、昭和30〜40年代には小麦を食材にした調理法を紹介する栄養指導車「キッチンカー」が全国の農村を走り回りました。製パン技術者や生活改良普及員など、産業を支える人材の育成にも力を入れます。文部省はパンと脱脂粉乳による学校給食を農村部にも普及させますが、給食が導入されていない農村の児童を都市の児童がからかうような事例が起きます。今考えると悪乗りとしか言いようがないのですが、「コメを食べるとバカになる」と説く日本人の学者も現れました。  
「胃袋からの属国化」と評する研究者もいます。  
高度経済成長期以降は、単に日本人の胃袋を小麦で満たすだけでなく、副食の肉への転換が顕著に表れます。食肉需要を満たす米国産の飼料用穀物輸出の急伸とパラレルに進みます。  
「ホッグリフト(種豚の空輸)」と呼ばれる有名なエピソードがあります。59年の伊勢湾台風で大きな被害を受けた人々を励ますために、アイオワ州産の近代大型品種の豚35頭が米空軍機を使って日本にプレゼントされました。60年のことですが、同じ年に、その後の対日輸出の実務を担う米国飼料穀物協会が設立されます。テレビコマーシャルを使った食肉キャンペーンや、受け手となる日本の飼料産業の育成などの戦略は、小麦と同様、生産者と農務省を統合した総力戦として展開されました。飼料穀物輸入を前提としたサプライチェーン(供給網)が完成し、米国一国に依存する体制に日本は組み込まれていく。  
昭和30年代、主食のコメはまず小麦に食われ、昭和40年代以降は副食である肉類に食われた、と言える状況です。冷蔵庫など家電製品の急速な普及や、「流通革命」によるスーパーマーケットの急成長も食肉消費を促しました。こうして、食生活「そのもの」が変わったのです。  
一方で、日本人の食生活が豊かになったことは事実です。市場開拓に切り込んだ米国西部のパイオニア農民や、当時の農務省高官らへのインタビューを読みましたが、自分たちの「成功物語」を生き生きと語っていますね。「日本と相互利益の関係を築いたのだ」と、彼らは誇りに思っているようです。  
大谷翔平選手の存在が象徴的に映ります。この間の食生活の進化が、日本人の体位向上につながった。今や米国人選手を凌駕(りょうが)する活躍ぶりで、取材をした半世紀前には想像すらできなかったことです。日本人の食生活は確かに豊かになりました。ただしそれは、食料自給率が38%しかない脆弱(ぜいじゃく)な環境と背中合わせであることを確認したい。これも米国の戦略が日本にもたらした側面です。  
インタビューの中で、ミネソタ州の農家出身でカーター政権時代のバーグランド農務長官が語った言葉が印象的です。当時の日本の余剰米について「もっと企業努力をして輸出をしたらどうなのでしょうか」と答えています。半世紀近くたった今も、同じ課題がテーマになっています。  
私にも刺さった言葉でした。パイオニア農民たちの努力を見てきただけに。当時は食糧管理法の時代でしたが、日本の稲作は守られるだけの存在でよいのか、と考えました。市場開拓に切り込んだのは米国の生産者の団体であり、日本の農協も、もっと積極的に動くべきだと、別のところで書きました。今も続く課題であると言われれば、その通りでしょう。  
政府備蓄米が減った分を、米国産米の輸入で賄え、という意見が聞かれます。  
慎重に考えるべきだと思います。米国の輸出戦略にさらされた日本の小麦生産ですが、実は60年ごろまでは捨てたものではなかった。自給率で見ると、小麦39%、大麦では104%の完全自給でした。転機は63年の大不作で、それ以降は輸入に代替され、国産小麦は「安楽死」と呼ばれる状況に進みました。  
農産物貿易は「アメ」と「ムチ」に向き合うことを意味します。戦後の食料難を救ったPL480は「アメ」と言えますが、その裏には冷徹な計算があった。現在のトランプ政権が掲げる関税政策は、まさに「ムチ」です。米国の農業生産力の勢いを肌身で知る者として、一度堰(せき)を切るとどうなるか、という危惧を常に感じます。唯一とも言える自給農産物であるコメの完全自給を守るべきです。一消費者としても考えたい。DSC00625.JPG

 今の「コメ不足」や価格高騰は、1970年代に始まった減反政策の帰結であるとも言えます。79年は、米穀の流通や価格を政府が決める食糧管理制度の時代でした。端的に言えば、政府が生産者からコメを高く買い入れて、消費者に安く売り渡す。従って、消費者の「コメ離れ」とそこから来る「コメ余り」は財政赤字に直結し、政治問題化していきました。その解消を目指して、コメの生産量自体を減らす目的で導入されたのが減反です。日本人の食生活の洋風化がもたらした「必然」のように今も語られていますが、注意しなければいけないのは、この洋風化は「自然」に起きたものではない、ということです。その背景には、最初は小麦、続いて飼料用穀物の新たな販路開拓を目指す米国の生産者団体の運動と、それを支援する米国農務省との用意周到な輸出戦略があった。、敗戦国の日本は食料難の渦中にあった。アイゼンハワー政権時代の54年に成立した「農業貿易促進援助法(PL480)」は、米国の余剰農産物を外国通貨で売ることを認めました。簡単に言えば、日本は不足するドルを使わずに円で小麦を買えることになった。また、日本が支払った代金を日本の産業基盤強化のための借款に充てることも認めました。食料増産を目指した八郎潟干拓(秋田県)や愛知用水のほか、電源開発など工業生産につながる財源にもなった。「食料と外資の一挙両得」とばかり、日本政府はもろ手を挙げて歓迎。「ワシントン詣で」を繰り返します。過去に行われた政策を検証しなければならないでしょう。日本人の食生活は確かに豊かになりました。ただしそれは、食料自給率が38%しかない脆弱(ぜいじゃく)な環境と背中合わせであることを確認したい。これも米国の戦略が日本にもたらした側面です。日本の余剰米について「もっと企業努力をして輸出をしたらどうなのでしょうか」と答えています。半世紀近くたった今も、同じ課題がテーマになっています。パイオニア農民たちの努力を見てきただけに。当時は食糧管理法の時代でしたが、日本の稲作は守られるだけの存在でよいのか、と考えました。市場開拓に切り込んだのは米国の生産者の団体であり、日本の農協も、もっと積極的に動くべきだと、別のところで書きました。今も続く課題であると言われれば、その通りでしょう。米を作りたいだけ作って余った米は輸出する戦略は必要だったのではないでしょうか。米国の輸出戦略にさらされた日本の小麦生産ですが、実は60年ごろまでは捨てたものではなかった。自給率で見ると、小麦39%、大麦では104%の完全自給でした。転機は63年の大不作で、それ以降は輸入に代替され、国産小麦は「安楽死」と呼ばれる状況に進みました。米国の農業生産力の勢いを肌身で知る者として、一度堰(せき)を切るとどうなるか、という危惧を常に感じます。唯一とも言える自給農産物であるコメの完全自給を守るべきです。一消費者としても考えたい。米の輸入を認めて拡大してしまえば日本のお米づくりの農家は大変な事態になってしまうかもしれないのでないでしょうか。DSC00624.JPG
ノルウェーの民主主義の育て方、SNSで叩かれても声を上げる理由とは[2025年11月16日(Sun)]
 Yahooニュース2025年6月18日付け「ノルウェーでは「青春=政治」? 青年部が語る民主主義の育て方、SNSで叩かれても声を上げる理由」から、北欧の若者政治の最前線に迫る
北欧の政党青年部のことを、もっと知りたい。
その思いで、今回は若い世代の政治参加を促進する団体NO YOUTH NO JAPANの共同代表である能條桃子さんと足立あゆみさんと一緒に、ノルウェー最大の青年政党である労働党の青年部「AUF」のリーダー、ガウテ・ボルスタ・スカーヴォウさん(29歳/Gaute Børstad Skjervø)にオンラインでお話を伺いました。
高校生の5%が参加、ノルウェーの青年部とは?
ガウテさんによると、ノルウェーの高校生の約5%がAUFに参加しているといわれており、その影響力はとても大きいです。国政選挙が近づく今年、ノルウェーでは日々選挙の話題がニュースを賑わせていますが、日本と大きく違うのが「青年部」の存在感です。
すべての政党に青年部があり、10代から20代の若者たちが、母体の政党や社会に必要な政策を届ける重要な役割を担っています。
14歳から政治活動、現場で磨かれるリーダーシップ
「若者が声を上げるとき、政府は耳を傾けてくれます」。そう語るガウテさんは、14歳で政治活動を始め、すでに15年のキャリアを持つベテランです。
現在はAUFのリーダーであると同時に、労働党の中央執行部メンバーの一人。国会では、議員の病欠などの際に代理を務める「代理議員」としても8年間の経験を持ちます。
AUFが押し上げた具体的な政策
AUFは約1万人の会員を持ち、全国に150の支部があります。高校生の参加が多く、政治教育の場としても機能しています。
「AUFは単なるボランティア団体ではなく、実際に提案した政策が政府に届く影響力があります」とガウテさんは語ります。
たとえば、次のような政策をAUFが後押ししました。
・中絶の合法化:50年前、当時は違法だった中絶を合法にすべきと最初に主張したのがAUFでした。
・パレスチナ国家の承認:ガザでの状況を受け、AUFは政府に対して国家承認を求め、党の立場にも影響を与えました。
・学校給食の無償化:ノルウェーでは基本的に給食がなくお弁当が主流ですが、AUFは経済格差による栄養の不平等を問題視し、温かい給食を全員に提供すべきと訴えています。
模擬選挙や夏合宿で鍛える討論力
AUFでは国政や自治体選挙のある年に模擬選挙を行い、高校を訪問して他の青年部と公開討論を行います。この数週間の間に10万人以上の生徒と意見交換をすることもあります。
「政治について一緒に語り合える仲間がいること、自分の意見が必要とされていると実感することは、若者にとってとても大切なことです」とガウテさん。
AUFの夏合宿では、首相や閣僚、一流の専門家が参加し、週末の3日間を使って徹底的に議論を行います。
「自分たちの外務大臣に、なぜガザの人々のためにもっと動かないのかと直接聞ける。そんな『権力に挑戦する場』があるのがAUFなのです」
人生の仲間を得られる場所としての政治
AUF出身の政治家には、歴代の首相も含まれます。若いうちから論理力や議論力を鍛えることが、将来のリーダーシップにつながっているのです。
「私の意見が党に聞き入れられるのは、私個人が重要だからではなく、若者世代の代表だからです。17歳や19歳の意見が首相に届いていると分かれば、その世代の投票意欲も高まります」
なによりも、ガウテさんは「仲間を得て、信頼を得る」ことが、いかに若者に大きな影響を与えるかについても触れました。
「可能性を与えられ、コミュニティの一員であると感じ、ミーティングが終わった後もお互いに話をし、何人かは恋仲になり、一緒に青春を分かち合うのです。政治がベースでありながら、AUFではさまざまな形で社会生活を送ることができ、生涯の友人を得ることができます」
国会とつながる若者の声
AUF出身の国会議員は現在15人。AUFのリーダーとして、定期的に会合を開き、「今、この問題が国会で取り上げられていますが、私たちは、皆さんが若者の利益のために投票してくれることを期待しています」と働きかけています。
若者の声を無視することは、政党にとって大きな代償になります。
組織の運営と「若者の政治参加に、お金がかからない理由」
AUFはほとんどの活動を無償で提供しています。年会費は約5ドル(約800円)で、ほぼすべての研修・交通費・宿泊費が無料。財源は国の予算からの助成金で、党勢に応じて分配されます。
「国会や政治家が国家予算を決定するときに、サッカーチームにお金を出したり、高齢者を支援する団体にお金を出したり、市民団体にお金を出したりします。同じく、政府は青年部にも寄付しています。若者の声を反映する場があることは民主主義にとって良いことだと政府が考えているからです」
「選挙での得票数に応じて資金が分配されるため、最大政党が最も多くの資金を得ることができます。つまり公平に分け前をもらえるので、小さな青年部でも全国大会を開いたり、模擬選挙の際に10万人の生徒に会うこともできるのです」
政治参加の機会を平等にするために、AUFは多くの活動を無料で提供しています。夏合宿を除けばすべて無償、年会費も約5ドル。経済的に厳しい家庭の若者にも参加しやすいよう、旅費や食費を補助する制度も整えています。
「だからこそ、政府が青年部に資金を提供することで、政府は貧しい家庭の人々にも政治に参加する声を上げることを可能にしているのです」
政敵とも「同じテーブル」で議論できる文化
また、選挙シーズンには各高校で青年部による討論会が開催されます。保守党の青年部などと白熱した議論を交わした後は、同じテーブルでビールを飲むことも。
「私たちは敵でも友人でもない、意見の違う同僚。それが北欧流です」
このような信頼にもとづいた対話文化も、北欧の政治における特徴です。
「もし言いすぎたとしても、仲間はそれを単なる言い間違い言い間違いと受け止め、攻撃の材料にはしない。信頼があるからこそ、自由に考え、話すことができます。よって、より自由に考えることが可能となり、他の青年部から憎悪を向けられることもない。敵同士ではないから」
「私たちは、たまたま政治的には違う側にいるだけ。どの政党も若者にとってのベストを望んでいると信じています」
SNS時代のヘイトへの対処についても、ガウテさんは語ってくれました。自身も、労働党青年部を狙ったテロ事件の生存者として「死ねばよかったのに」といった中傷を受けたこともあります。
「誰かが、『あの人はバカだ』『黙っているべきだ』と言ったとしても、それを言うことは許されます。私はそれを好みませんが、民主主義とはそういうものです。愚かな人々にも言いたいことを言う権利があります。すべてを違法化することはできないけれど、声を上げる若い人たちに、それをする価値があることを教えることはできます」
「つまり、あなたがノルウェーや日本の政治を変えることで、あなたの後に続く他の人たちがやりやすくなるのです。そして、十分な数の若者が声を上げれば、政治的な議論の力学も変わると思います。代償はかかる。けれど、その代償以上の価値があると私は信じています」
また、「もし相手が本気で自分を恐れているなら、それは自分が社会を動かしている・正しいことをしている証だ」と捉えているそうです。
「相手はあなた自身を恐れているのではなく、あなたがやろうとしていることを恐れているのです」
ノルウェーでは、脅迫などの違法行為には警察が介入し、また青年部内でも心理的サポート体制があります。何が許され、何が許されないかの明確な基準があることが、若者の安全にもつながっているとガウテさんは説明しました。
若者が「代表」になる構造、重要な決定をするテーブルには若者がいて当たり前
AUFでは、すべての重要ポストが選挙で選ばれ、代表制を重視しています。母体の労働党にも、すべての委員会にAUFのメンバーのメンバーが入っており、政策に直接関与できる体制です。
「これは母党にとってもチャンス。若者が入ることで、党そのものもリニューアルしていけるのです」
さらに、人口の少ない地方でも3人いれば支部を作ることができ、自治体からの支援金(交通費やピザ代など)も活用できます。地方の若者の声も、中央へ届けることができるのです。
「私たちが声を上げることで、次の世代の子たちがもっと声を出しやすくなります」。
そう話すガウテさんの言葉には、政治と信頼しあう文化、民主主義の未来への希望が込められていると、筆者は感じました。
今回のインタビューを終えて、NO YOUTH NO JAPANの共同代表である足立あゆみさんは、次のような思いを共有してくれました。
北欧の政党青年部が、若者にとって政治を学ぶ教育の場となっており、政治家としての基礎を仲間とともに育む環境があることに感銘を受けました。イデオロギーの違いがあっても、討論後に信頼関係を保ち、友人でいられる文化があることも、とても素敵です。また、若い候補者が誹謗中傷を恐れて立候補をためらわないよう、SNS上の投稿に関して明確な法的基準が設けられていることの重要性を感じました。DSC00627.JPG

 ノルウェーの高校生の約5%がAUFに参加しているといわれており、その影響力はとても大きいです。国政選挙が近づく今年、ノルウェーでは日々選挙の話題がニュースを賑わせていますが、日本と大きく違うのが「青年部」の存在感です。すべての政党に青年部があり、10代から20代の若者たちが、母体の政党や社会に必要な政策を届ける重要な役割を担っています。14歳から政治活動、現場で磨かれるリーダーシップ。「若者が声を上げるとき、政府は耳を傾けてくれます」。そう語るガウテさんは、14歳で政治活動を始め、すでに15年のキャリアを持つベテランです。現在はAUFのリーダーであると同時に、労働党の中央執行部メンバーの一人。国会では、議員の病欠などの際に代理を務める「代理議員」としても8年間の経験を持ちます。ノルウェーのノウハウを日本でも学び反映することができないでしょうか。AUFは約1万人の会員を持ち、全国に150の支部があります。高校生の参加が多く、政治教育の場としても機能しています。「AUFは単なるボランティア団体ではなく、実際に提案した政策が政府に届く影響力があります」組織化され声を上げ国の政策に影響を与えることは素晴らしいですね。AUFでは国政や自治体選挙のある年に模擬選挙を行い、高校を訪問して他の青年部と公開討論を行います。この数週間の間に10万人以上の生徒と意見交換をすることもあります。「政治について一緒に語り合える仲間がいること、自分の意見が必要とされていると実感することは、若者にとってとても大切なことです」AUFの夏合宿では、首相や閣僚、一流の専門家が参加し、週末の3日間を使って徹底的に議論を行います。政治について一緒に話し合うことは大変重要ですね。日本でも意見交換できないでしょうか。AUF出身の政治家には、歴代の首相も含まれます。若いうちから論理力や議論力を鍛えることが、将来のリーダーシップにつながっているのです。「私の意見が党に聞き入れられるのは、私個人が重要だからではなく、若者世代の代表だからです。17歳や19歳の意見が首相に届いていると分かれば、その世代の投票意欲も高まります」リーダーの育成が行われるからこそ民主的な政治ができるのでしょう。「可能性を与えられ、コミュニティの一員であると感じ、ミーティングが終わった後もお互いに話をし、何人かは恋仲になり、一緒に青春を分かち合うのです。政治がベースでありながら、AUFではさまざまな形で社会生活を送ることができ、生涯の友人を得ることができます」AUF出身の国会議員は現在15人。AUFのリーダーとして、定期的に会合を開き、「今、この問題が国会で取り上げられていますが、私たちは、皆さんが若者の利益のために投票してくれることを期待しています」若者の声を無視することは、政党にとって大きな代償になります。羨ましい限りです。日本でも行うことができないでしょうか。「政府は青年部にも寄付しています。若者の声を反映する場があることは民主主義にとって良いことだと政府が考えているからです」「選挙での得票数に応じて資金が分配されるため、最大政党が最も多くの資金を得ることができます。つまり公平に分け前をもらえるので、小さな青年部でも全国大会を開いたり、模擬選挙の際に10万人の生徒に会うこともできるのです」政治参加の機会を平等にするために、AUFは多くの活動を無料で提供しています。夏合宿を除けばすべて無償、年会費も約5ドル。経済的に厳しい家庭の若者にも参加しやすいよう、旅費や食費を補助する制度も整えています。「だからこそ、政府が青年部に資金を提供することで、政府は貧しい家庭の人々にも政治に参加する声を上げることを可能にしているのです」政府自らお金を出しているのですか。素晴らしいシステムですね。選挙シーズンには各高校で青年部による討論会が開催されます。保守党の青年部などと白熱した議論を交わした後は、同じテーブルでビールを飲むことも。「私たちは敵でも友人でもない、意見の違う同僚。それが北欧流です」このような信頼にもとづいた対話文化も、北欧の政治における特徴です。対話文化は最も尊重されなければならないでしょう。理想的ですね。「つまり、あなたがノルウェーや日本の政治を変えることで、あなたの後に続く他の人たちがやりやすくなるのです。そして、十分な数の若者が声を上げれば、政治的な議論の力学も変わると思います。代償はかかる。けれど、その代償以上の価値があると私は信じています」ノルウェーでは、脅迫などの違法行為には警察が介入し、また青年部内でも心理的サポート体制があります。何が許され、何が許されないかの明確な基準があることが、若者の安全にもつながっている。「私たちが声を上げることで、次の世代の子たちがもっと声を出しやすくなります」政治と信頼しあう文化、民主主義の未来への希望が込められている。素晴らしいことは日本でも参考にして北欧流というかノルウェー流の民主主義が浸透するようになればと思います。DSC00626.JPG
米作りの現場のリアルとその先に描く未来像[2025年11月15日(Sat)]
 Yahooニュース2025年6月17日付け「新潟発、Z世代米農家の挑戦:効率化の先に見据える「文化」/稲作農家・燕潤輝さん」から、米どころ新潟で、八代続く農家の系譜を継ぐZ世代の若き担い手、燕潤輝(つばめ じゅんき)さん(27)。長岡市三島地域で約50ヘクタールもの広大な水田を管理しています。現代の日本農業が直面する課題と、その先に広がる可能性を独自の視点で見つめる彼の言葉から、米作りの現場のリアルとその先に描く未来像を探ります。
1.八代続く農家の長男として生まれて
燕さんは、新潟県長岡市三島地域で専業稲作農家として活躍する27歳の若手です。彼は、兼業の時代を含めると8代続く農家の家系に生まれ、専業としては3代目にあたります。大学卒業後の2020年に家業に入り、2025年で就農6年目を迎えました。
現在、燕さんの家族は両親、祖父母、彼自身の5人で、約50ヘクタール(50町)もの広大な水田を管理しています。これは東京ドーム10個分以上に相当する広さです。地域内では「一番広い範囲をやってる農家」とのこと。
彼の農家としての現状は、「経済的専業農家」としての側面と、「文化的農耕民」としての側面が同居していると言います。
2. 気候変動と高騰する生産コスト。米産業の今。
日本の米産業は現在、深刻な苦境に直面しています。燕さんもその影響を肌で感じています。
最大の要因は気候変動。彼は就農してからの6年間で、「毎年、今までなかったみたいなこと」が起きていると語ります。特に顕著なのは、猛暑による米の品質低下です。燕さんはこの変化を肌で感じています。
2023年の猛暑では、彼が栽培するコシヒカリの全ての圃場が「三等米」(最低ランク)になってしまいました。また、暖冬の影響でカメムシなどの虫害も増加しており、防除回数を増やすなどの対応を迫られています。
さらに、生産コストの急騰も深刻な問題です。燕さんが就農してから、農薬や肥料の価格は約2倍に高騰しました。これらの要因が絡み合い、現在の米不足と価格高騰を招いていると分析されています。
それでも、猛暑の被害がひどかった2023年も高温に強い品種である「新之助」は「一等米」(最高ランク)を維持したといい、専業農家として耐暑性品種の導入や栽培管理の徹底で対応できることはあると言います。けれど、これらが安定的な米生産につながるかと言うと「根本的な解決かといえば、違う」と、楽観視できない状況を明かしています。
また、高騰する生産コストを吸収するためには、規模拡大と単位面積あたりのコスト削減が不可欠です。しかし、稲作農家の規模拡大にあたってもさまざまな壁が立ちはだかっています。
3. 大規模専業農家としてのリアル
米不足や農家の高齢化に伴い、日本の稲作は大規模化が急務と言われています。
そのモデルともいえる大規模専業農家でもある燕さんは、独特の「リアル」を感じています。彼は現在の営農スタイルについて、「就農当初は、やりがいや、手応えは正直あまり感じられなかったんです」と明かしています。
大規模営農では田植え作業など同じ工程が1ヶ月以上続くなど、日々の作業は機械化と効率化が最優先されます。就農して最初の年は、工業的で反復的な作業に「自分がロボットなんじゃないか」と感じるほどだったそう。自身を「大きな何かの流れの末端に位置する感覚が強い。まるで下請けの末端のようで、自分の思い描く農業とは何かが違うと感じた」と当時を振り返ります。
しかし、メディアで報じられるように「周りの農家さんがやめていく」といった状況が広がる中、彼のような農家にどんどんと土地が集まっています。燕さんも就農当初の37〜38ヘクタールだった農地が、あれよあれよという間に50ヘクタールまで耕作面積が拡大しています。「僕もびっくりした。気づいたらこんな面積に…」と、担い手の減少スピードに驚きを隠せません。
今後さらに農地を引き受けねばならなくなるのは目に見えており、「受け入れる準備ができてないと回らなくなってしまう」と危機感を感じています。
より広い農地を担うにはさまざまな経営改革が必要です。例えば、効率化の取り組みとして、昨年から直播(ちょくは)栽培を導入しました。これは、苗を育てる手間やスペースが削減でき、収量も安定しているため、「かなりでかい」と評価しています。
また、小麦や大豆などの稲以外の作物の作付けもすすめています。
そんな中で高いハードルを感じているのが、経営組織の拡大です。燕さんの農家は家族経営であり、両親や祖父母との間には「阿吽の呼吸」で成り立つ効率性があります。しかし、今後さらに規模を拡大しようとすれば、法人化や、雇用が必要です。つまり、人材マネジメントという新しい課題が立ちはだかっているのです。しかし、自分たち農業者は「教育者ではない」ため、従業員を抱えた際の指導の難しさやストレスを懸念して、なかなか踏み切れずにいます。
4. 「文化的農耕民」としての模索
効率を追求する大規模農業の傍らで、燕さんの心にはもう一つの問いかけが芽生えました。それが、『文化的農耕民』としての農業の模索です。
農業機械のオペレーターのような仕事が中心の中で、燕さんは就農1年目からネットショップでの直接販売を始めました。消費者と直接つながることで、米が誰の食卓に届くか分からないという流通への不満を解消し、「やりがい」を感じることができています。
また、2025年から始めた自然栽培米への挑戦は「文化的農耕民」としての象徴的な取り組みです。現在の主流である効率化の流れに逆行し、わずか4畝(約400平方メートル)の小さな田んぼで、肥料や農薬を一切使わない自然栽培を始めたのです。理由は、稲作という行為の「プロセスを一から全て体験してみたかった」から。近代化された農「作業」から離れ、落ち葉や刈草などの有機物を積み重ねながら、土が少しずつ変化していく過程に目を凝らす。燕さんはこれを「土に向き合うという“関係”」が生まれていると表現しています。
この小さな田んぼを通じて、彼は農業が経済だけでなく、文化、生活、祈り、芸術といった多面的な意味を持っていることを再認識しました。効率や生産性だけでは測れない「豊かさ」を田んぼの中に見つけることこそ、「未来の農業の可能性」だと信じています。
5. 理想の「バランス」を目指して
しかし、彼は「経済的専業農業を否定するわけではない」とし、自身の生活を支える経済活動としての農業と、文化的な側面のバランスを追求していくことの重要性を強調しています。
燕さんは、日本の米農業の未来を切り開くために、いくつかの方向性を模索しています。
一つは、「プレミアム米」への注力です。カリフォルニアやオーストラリアの事例も参考に、高温に強い品種の導入や、有機栽培を増やし、付加価値の高い米作りを進めるべきだと考えています。
そして、大規模化を進める上で避けて通れないのが人材マネジメントです。
日本の農業が直面する課題、特に人手不足や高齢化が進む中で、「どう持続させていくのか」が最大のテーマだと認識しています。農業の人材の確保や、教育は大きな課題ですが、これまでの家族経営から組織的な農業経営へと移行する経営体が増えなければ食料の安定供給は難しいと考えています。
そのためには、多くの人材に農業界に入ってきてもらわなければいけません。「都会から人材をヘッドハンティング」してくるような農業経営者が出てくることが必要だと言います。
農業を次世代が「やりたい」と心から思える仕事にするために。徹底した効率化で稼ぎを生む「経済的専業農家」である一方で、燕さんが「小さな田んぼが、これほどまでに私を感動させた」と語るように、農が持つ本質的な喜びや、土との「関係性」を追求する「文化的農耕民」としての側面も不可欠です。
経済的な合理性と、人としての感性や心の豊かさ。この一見相反する要素をいかに調和させるか。その「バランス」を追求することこそが、燕潤輝さんが描く、次世代へと繋がる農業の理想像なのです。DSC00629.JPG

 農家としての現状は、「経済的専業農家」としての側面と、「文化的農耕民」としての側面が同居していると言います。最大の要因は気候変動。彼は就農してからの6年間で、「毎年、今までなかったみたいなこと」が起きていると語ります。特に顕著なのは、猛暑による米の品質低下です。燕さんはこの変化を肌で感じています。2023年の猛暑では、彼が栽培するコシヒカリの全ての圃場が「三等米」(最低ランク)になってしまいました。また、暖冬の影響でカメムシなどの虫害も増加しており、防除回数を増やすなどの対応を迫られています。さらに、生産コストの急騰も深刻な問題です。燕さんが就農してから、農薬や肥料の価格は約2倍に高騰しました。これらの要因が絡み合い、現在の米不足と価格高騰を招いていると分析されています。高騰する生産コストを吸収するためには、規模拡大と単位面積あたりのコスト削減が不可欠です。しかし、稲作農家の規模拡大にあたってもさまざまな壁が立ちはだかっています。地球温暖化対策として品種改良は必要なのでしょう。カメムシなどの害虫対策も喫緊の課題なのでしょう。大規模営農では田植え作業など同じ工程が1ヶ月以上続くなど、日々の作業は機械化と効率化が最優先されます。就農して最初の年は、工業的で反復的な作業に「自分がロボットなんじゃないか」と感じるほどだったそう。自身を「大きな何かの流れの末端に位置する感覚が強い。まるで下請けの末端のようで、自分の思い描く農業とは何かが違うと感じた」今後さらに農地を引き受けねばならなくなるのは目に見えており、「受け入れる準備ができてないと回らなくなってしまう」と危機感を感じています。より広い農地を担うにはさまざまな経営改革が必要です。効率化の取り組みとして、昨年から直播(ちょくは)栽培を導入しました。これは、苗を育てる手間やスペースが削減でき、収量も安定しているため、「かなりでかい」と評価しています。今後さらに規模を拡大しようとすれば、法人化や、雇用が必要です。つまり、人材マネジメントという新しい課題が立ちはだかっているのです。しかし、自分たち農業者は「教育者ではない」ため、従業員を抱えた際の指導の難しさやストレスを懸念して、なかなか踏み切れずにいます。引き受け規模拡大することに対応して効率的な栽培方法を考えなければならないでしょう。法人化、雇用は大変ですね。『文化的農耕民』としての農業の模索です。農業機械のオペレーターのような仕事が中心の中で、燕さんは就農1年目からネットショップでの直接販売を始めました。消費者と直接つながることで、米が誰の食卓に届くか分からないという流通への不満を解消し、「やりがい」を感じることができています。農家の人と消費者がつながることは大変大事でしょう。2025年から始めた自然栽培米への挑戦は「文化的農耕民」としての象徴的な取り組みです。現在の主流である効率化の流れに逆行し、わずか4畝(約400平方メートル)の小さな田んぼで、肥料や農薬を一切使わない自然栽培を始めたのです。理由は、稲作という行為の「プロセスを一から全て体験してみたかった」から。近代化された農「作業」から離れ、落ち葉や刈草などの有機物を積み重ねながら、土が少しずつ変化していく過程に目を凝らす。燕さんはこれを「土に向き合うという“関係”」が生まれていると表現しています。この小さな田んぼを通じて、彼は農業が経済だけでなく、文化、生活、祈り、芸術といった多面的な意味を持っていることを再認識しました。効率や生産性だけでは測れない「豊かさ」を田んぼの中に見つけることこそ、「未来の農業の可能性」だと信じています。農業としっかり向き合うためには大変重要な視点でしょう。「プレミアム米」への注力です。カリフォルニアやオーストラリアの事例も参考に、高温に強い品種の導入や、有機栽培を増やし、付加価値の高い米作りを進めるべきだと考えています。そして、大規模化を進める上で避けて通れないのが人材マネジメントです。日本の農業が直面する課題、特に人手不足や高齢化が進む中で、「どう持続させていくのか」が最大のテーマだと認識しています。農業の人材の確保や、教育は大きな課題ですが、これまでの家族経営から組織的な農業経営へと移行する経営体が増えなければ食料の安定供給は難しいと考えています。そのためには、多くの人材に農業界に入ってきてもらわなければいけません。「都会から人材をヘッドハンティング」してくるような農業経営者が出てくることが必要だと言います。農業を次世代が「やりたい」と心から思える仕事にするために。徹底した効率化で稼ぎを生む「経済的専業農家」である一方で、燕さんが「小さな田んぼが、これほどまでに私を感動させた」と語るように、農が持つ本質的な喜びや、土との「関係性」を追求する「文化的農耕民」としての側面も不可欠です。経済的な合理性と、人としての感性や心の豊かさ。この一見相反する要素をいかに調和させるか。その「バランス」を追求することこそが、燕潤輝さんが描く、次世代へと繋がる農業の理想像なのです。まったくその通りではないでしょうか。国は農業を国の最も重要産業の1つと捉え次世代のことを真剣に考えた政策を実現していかなければならないでしょう。DSC00628.JPG
農業分野に進出する大手企業 社会的な課題の解決に向けて進める企業努力[2025年11月14日(Fri)]
 中京テレビNEWS2025年6月16日付け「農業分野に進出する大手企業 社会的な課題の解決に向けて進める企業努力 中部電力とNEXCO中日本」から、大手企業が新規事業として、農業の分野にも進出しています。
今回、中部電力、NEXCO中日本の事例を紹介していきます。
中部電力は、温室効果ガスの削減に加え、稲作の過重な労働を軽減する目的で、これまでとは全く異なる農法での稲作に取り組んでいます。
また、NEXCO中日本では、コーヒー豆のハウス栽培に注目。労働負担が少ない上、天候不順の影響を受けにくい、商品価値の高い農産物で地域活性化を目指します。
新たな稲作で、水田が抱える課題に取り組む中部電力
昨年の不作でコメが高値で推移し続ける現在、水が張られた田んぼの近くを通ると、しっかり育って!と稲の苗に声をかけたくなる人も多いのかもしれません。
ただ、見慣れたこの光景がもしかしたら一変してしまうかもしれません。
愛知県新城市では、一面に広がる田んぼに水が張られ、青々とした苗が揺れています。 稲作においては、最も水が必要な時期です。
ところが水田の隣には、水が張られていない田んぼがあります。
その田んぼには、雑草もちらほら見えます。
実は、電力会社の中部電力が、ある方法で試験栽培に取り組む田んぼなのです。
中部電力 事業創造本部・犬飼涼二さん: 「水を張らずに稲を栽培する方法の実証実験を行っています」
なんと、水を張らないコメ作り! 乾いた田んぼに種もみを直接まく「節水型乾田直播」という栽培方法です。
通常の水を張る稲作では、田植え前にまず土を起こしてから田んぼに水を張って土を細かく砕き、平らにならします。
苗はビニールハウスなどの別の場所で、種もみから育てます。
稲の収穫直前に田んぼの水を抜くまで、水質や水量の管理が欠かせません。
それに対し、水を張らない稲作では、耕した土に種もみを直接まくので苗を別に作る手間もありません。降雨を除き、稲に水が供給されるのは年に5回ほどです。
しかし、デメリットもあります。
中部電力 事業創造本部・犬飼涼二さん: 「これは去年収穫した稲です。地域の平均が(1000平方メートルあたり)7〜8俵くらいなんですけど、そこから3割くらい減っている」
この栽培方法では収穫量が減ってしまうのが現状です。
そこで、この日に中部電力が実施したのは、ビール酵母などを混ぜた特別な肥料のドローンでの散布。 成長に必要な栄養分を稲に多く吸収させ、収穫量を安定させるのが狙いです。 ところで、なぜ電力会社がこの栽培方法に挑戦するのでしょうか。
実は、労働量の削減以外にも解決しなければいけない問題を、水田による稲作は抱えているのです。
中部電力 事業創造本部・犬飼涼二さん: 「水田は、温室効果ガスの一つであるメタン(CH₄)を排出していますので、地球温暖化を進めてしまいます」
水を張った田んぼの中で酸素が少ない状況になると、微生物が作ってしまう温室効果ガスのメタン。
水を張らなければ酸素が十分にあるため、メタンの発生を8割ほど減らせるということです。
企業活動においてカーボンニュートラル(二酸化炭素の排出量実質ゼロ)を目指す中で、農業分野でも温室効果ガスを減らそうと企業努力を続けているといいます。
中部電力事業創造本部の山田倫章(ともあき)部長は、現在の農業分野での高齢化や従事者の減少、それに伴う農地の荒廃といった課題について、その解消につながるのではないかということで新しい稲作に取り組んでいる、と話します。
中部電力 事業創造本部・山田倫章部長: 「(この農法で去年収穫した米について)高級なブランド米に比べると少し味は落ちるかと思いましたが、おいしくいただける品質でした」
施設でのコーヒー豆栽培で、新たな農産物の事業化を目指すNEXCO中日本
静岡県浜松市で耕作放棄地などを活用し、枝豆やレタスを栽培し販売しているNEXCO中日本。
農業分野での新たな取り組みとして、2024年3月からコーヒー豆の試験栽培を名古屋市港区の「農業文化園・戸田川緑地」で進めています。
約200平方メートルのガラス温室で、アラビカ種の4品種を約90株栽培しています。
この1年は植え付けて間もないことから、今年1月から6月までの実の収穫は少量でした。
しかし現在は、昨年よりも多くの花が咲いている状況であり、来年はより多くの実が収穫できる見込みです。
NEXCO中日本は、農業従事者の高齢化や重労働による担い手不足、天候不順による不作リスクなどを社会的な課題として捉えているといいます。
その解決策の1つとして、比較的軽作業で、天候の影響も受けにくい、施設でのコーヒー豆の栽培に着目しました。
日本は世界有数のコーヒー消費国で、栽培して商品化できれば収益性の高い農産物です。
今後、NEXCO中日本は栽培ノウハウを習得し、高速道路のサービスエリアでの提供や観光農園などによる地域社会の活性化も視野に入れた事業化を目指しています。DSC00629.JPG

 中部電力は、温室効果ガスの削減に加え、稲作の過重な労働を軽減する目的で、これまでとは全く異なる農法での稲作に取り組んでいます。NEXCO中日本では、コーヒー豆のハウス栽培に注目。労働負担が少ない上、天候不順の影響を受けにくい、商品価値の高い農産物で地域活性化を目指します。企業が農業分野に進出するのは人材を確保しやすい点も含めて歓迎されるでしょう。「水を張らずに稲を栽培する方法の実証実験を行っています」なんと、水を張らないコメ作り! 乾いた田んぼに種もみを直接まく「節水型乾田直播」という栽培方法です。苗はビニールハウスなどの別の場所で、種もみから育てます。水を張らない稲作では、耕した土に種もみを直接まくので苗を別に作る手間もありません。降雨を除き、稲に水が供給されるのは年に5回ほどです。中部電力が実施したのは、ビール酵母などを混ぜた特別な肥料のドローンでの散布。 成長に必要な栄養分を稲に多く吸収させ、収穫量を安定させるのが狙いです。労働量の削減以外にも解決しなければいけない問題を、水田による稲作は抱えているのです。「水田は、温室効果ガスの一つであるメタン(CH₄)を排出していますので、地球温暖化を進めてしまいます」水を張った田んぼの中で酸素が少ない状況になると、微生物が作ってしまう温室効果ガスのメタン。水を張らなければ酸素が十分にあるため、メタンの発生を8割ほど減らせるということです。農業分野での高齢化や従事者の減少、それに伴う農地の荒廃といった課題について、その解消につながるのではないかということで新しい稲作に取り組んでいる地球温暖化、環境面までよく考えられていますね。施設でのコーヒー豆栽培で、新たな農産物の事業化を目指すNEXCO中日本。静岡県浜松市で耕作放棄地などを活用し、枝豆やレタスを栽培し販売しているNEXCO中日本。農業分野での新たな取り組みとして、2024年3月からコーヒー豆の試験栽培を名古屋市港区の「農業文化園・戸田川緑地」で進めています。約200平方メートルのガラス温室で、アラビカ種の4品種を約90株栽培しています。NEXCO中日本は、農業従事者の高齢化や重労働による担い手不足、天候不順による不作リスクなどを社会的な課題として捉えているといいます。その解決策の1つとして、比較的軽作業で、天候の影響も受けにくい、施設でのコーヒー豆の栽培に着目しました。日本は世界有数のコーヒー消費国で、栽培して商品化できれば収益性の高い農産物です。今後、NEXCO中日本は栽培ノウハウを習得し、高速道路のサービスエリアでの提供や観光農園などによる地域社会の活性化も視野に入れた事業化を目指しています。高齢化、人手不足を解消するために進出してくる企業が増えれば耕作放棄地が活用され多様な農作物が栽培され収量も増え農業が盛り上がるのではないでしょうか。DSC00628.JPG

「権利の制限があって仕方がない」は正しいか[2025年11月13日(Thu)]
 毎日新聞2025年6月16日付け「生活保護バッシング 「権利の制限があって仕方がない」は正しいか」から、貧困は一部の人たちだけの問題なのか。「貧困とは何か」(ちくま新書)の著書がある、大分大学福祉健康科学部准教授の志賀信夫さんに聞きました。
みんなを縛り付ける  
自民党は2012年衆院選で生活保護水準の1割カットを公約に掲げました。  
単に選挙に勝つために、生活保護バッシングにおもねっただけではありません。経済界の思惑があります。  
生活保護は働く人の避難場所です。いざという時の逃げ場をなくすことで、働く人をより強く賃金労働に縛りつけることができます。  
低賃金で働かざるを得ないとか、劣悪な状況でも働かざるを得ない状況を、貧困状態ではない人もふくめた人たちに強要する効果があります。  
現実に今、日本はそのような状況になっています。  
生活保護基準以下なのに、生活保護を利用せずに生活している人がたくさんいます。  
まず、制度的に生活保護を利用しにくくさせるハードルが多くあります。親族に扶養できるかどうかを問い合わせる扶養照会は、政府が主張するような意味では機能していませんが、申請をためらわせる効果はなお強くあります。  
もう一つは財産要件、具体的には車の所有です。この二つはからみあって生活保護を利用するハードルを高くしています。  
制度だけではありませんね。  
日本の生活保護だけではなく、世界中の公的扶助制度で、劣等処遇やスティグマ(負の刻印)の問題があります。貧困状態を余儀なくされている人への差別があります。  
私は、差別という表現は、少し優しすぎる表現だと思います。ある種の人種化だと言っています。人種は生物学的ではなく、社会的に作られたものです。人種化された集団は社会的に劣っているとみなされます。  
貧困問題が社会問題と考えられるようになった当初から「貧困者は遺伝的にどうしようもない人たちなのだ」というように人種化することで、その人たちの生活を監視、管理することが正当化されてきました。  
食べさせればそれでいいだろうというような監視、管理が制度に埋め込まれ、それがいまも続いています。  
2級市民にする  
社会から排除しようとするのですね。  
自民党の世耕弘成参院議員(当時、現在は衆院議員)は、2012年に、「フルスペックの人権」という言葉を使い、生活保護を利用している人について「一定の権利の制限があって仕方がない」と述べました。生活保護を利用するならば市民として認めない、社会から排除する、2級市民にするということです。  
貧困を一部の特別な人の問題にしようとしています。  
日本では特に貧困とは何かについての議論が少ないと感じています。そのために貧困を絶対的、固定的なものとして考えてしまう傾向があります。  
日本は社会的な連帯がとても弱く不寛容な社会です。だから貧困に関する関心が低く、議論も広がりません。政治家や研究者だけの問題ではありません。個人が分断され、バラバラにされています。  
バラバラにされている  
バラバラというのは実感にあいます。  
おカネの力がとても強くなっていて、おカネさえ持っていれば、他者との関係が無くても生活できてしまいます。おカネの力に振り回されていて、それが一人一人に影響しています。  人と助けあうのではなく、おカネの力に頼ってしまう。人間関係がおカネの関係に置きかわってしまっています。  
そう考えればみんなの問題に思えます。  
私たちが分断されると、「底が抜けて」しまいます。逃げ場がなくなると、現在生活保護を利用している人だけではなくて、現役の働いている人たちも、ますます厳しい労働といやな仕事でも依存せざるを得ない状況が完成していきます。生活保護を切り下げることと、労働条件を切り下げることは、お互いが分断されて、下への競争をしていることです。  
わかりやすい仕組みですが、みえにくくなっています。  
生活保護バッシングは下への競争をあおることです。現在の自分の生活への不満を他に向けさせる役目を果たしています。労働者をどう管理するかと考えると分断が一番いいのです。だから世耕さんは、2級市民をつくるような主張をするのです。一人一人を分断するような主張は厳しく警戒しなければなりません。DSC00631.JPG

 自民党は2012年衆院選で生活保護水準の1割カットを公約に掲げました。単に選挙に勝つために、生活保護バッシングにおもねっただけではありません。経済界の思惑があります。  生活保護は働く人の避難場所です。いざという時の逃げ場をなくすことで、働く人をより強く賃金労働に縛りつけることができます。低賃金で働かざるを得ないとか、劣悪な状況でも働かざるを得ない状況を、貧困状態ではない人もふくめた人たちに強要する効果があります。生活保護基準以下なのに、生活保護を利用せずに生活している人がたくさんいます。まず、制度的に生活保護を利用しにくくさせるハードルが多くあります。親族に扶養できるかどうかを問い合わせる扶養照会は、政府が主張するような意味では機能していませんが、申請をためらわせる効果はなお強くあります。もう一つは財産要件、具体的には車の所有です。この二つはからみあって生活保護を利用するハードルを高くしています。貧困問題が社会問題と考えられるようになった当初から「貧困者は遺伝的にどうしようもない人たちなのだ」というように人種化することで、その人たちの生活を監視、管理することが正当化されてきました。食べさせればそれでいいだろうというような監視、管理が制度に埋め込まれ、それがいまも続いています。2級市民にする。社会から排除しようとするのですね。思惑やねらいはわかりませんが、貧困に瀕している人たちに対して救済の手を差し伸べるのではなく自己責任として片付けるようなことがあってはならないのでしょう。自民党の世耕弘成参院議員(当時、現在は衆院議員)は、2012年に、「フルスペックの人権」という言葉を使い、生活保護を利用している人について「一定の権利の制限があって仕方がない」と述べました。生活保護を利用するならば市民として認めない、社会から排除する、2級市民にするということです。貧困を一部の特別な人の問題にしようとしています。おカネの力がとても強くなっていて、おカネさえ持っていれば、他者との関係が無くても生活できてしまいます。おカネの力に振り回されていて、それが一人一人に影響しています。人と助けあうのではなく、おカネの力に頼ってしまう。人間関係がおカネの関係に置きかわってしまっています。裕福な人、生活の苦を感じない人にとっては貧困の状況を考えることがないのでしょう。生活保護バッシングは下への競争をあおることです。現在の自分の生活への不満を他に向けさせる役目を果たしています。労働者をどう管理するかと考えると分断が一番いいのです。だから世耕さんは、2級市民をつくるような主張をするのです。一人一人を分断するような主張は厳しく警戒しなければなりません。貧困に苦しんでいる人たちのことを真剣に受け止める必要があるのではないでしょうか。DSC00630.JPG
日本でのファクトチェックはどうなるか[2025年11月12日(Wed)]
 Yahooニュース2025年6月16日付け「日本でもファクトチェックが本格化するか 〜「ニュースの消費者」として期待すべきことは?」から、2025年7月の参議院選挙などを前に「これからファクトチェックに本格的に取り組みます」と、大手のニュースメディアが相次いで宣言しています。
朝日新聞も6月13日に「ファクトチェック編集部」という専任のファクトチェッカー職を置き(編集長しか発表になっておらず、何人の体制になるのかなどはまだわかりませんが)、都知事選から動き始めるとのことです。(ファクトチェック記事は無料で読めるようにするというのは、非常に良いことだと思います。)
フジテレビは選挙報道の「質的公平性」を重視するという方針転換を明らかにし、ファクトチェックを行っていくことも表明しています。
日本新聞協会も方針転換
日本の主だった新聞や通信社、放送局が所属する日本新聞協会も大きく方針を転換しました。
6月12日に「インターネットと選挙をめぐる声明」を発表、選挙における報道・評論の自由を再確認し、「国際的なファクトチェックの手法も参照しながら」有権者の判断に資する確かな情報を提供する報道を積極的に展開していくと明らかにしました。
また、協会に加盟する報道各社の選挙に関する「真偽検証記事」を拡散するため、X(旧ツイッター)に「選挙情報の真偽検証_新聞協会」というアカウントを開設しました。
およそ1年前の2024年8月20日、同協会は意見を発表して、筆者も構成員のひとりだった総務省の「デジタル空間における情報流通の健全性確保の在り方に関する検討会」のとりまとめに対して、
「これまでも申し述べてきた通り、ファクトチェックという語句に対する共通認識が形成されないまま、対象を『ファクトチェックの推進』に特定して『伝統メディアに期待される役割・責務』を、とりまとめ(案)に盛り込むことには慎重であるべきだと考える」と非常に消極的な姿勢でした。
それに比べて大きな変化です。
兵庫県知事選報道の深刻さ
このような動きについて伝える読売新聞の記事「選挙公正性 担保急務…新聞協会有志4社、ファクトチェック実施へ」の書き出しには「SNSで偽・誤情報が拡散した昨年の衆院選や東京都・兵庫県両知事選を受け、選挙の公正性を担保する仕組み作りが急務となっている」と記してあります。
特に2024年11月に行われた兵庫県知事選(出直し選挙)では、「既存メディアが伝えない真実」などと銘打ち、ソーシャルメディアで偽・誤情報が飛び交い、選挙の結果に影響を及ぼした可能性が指摘されています。この一連の出来事が、大手のニュースメディア各社を動かしたと思われます。
自殺した兵庫県議や関係者らをめぐるミスインフォメーション(誤情報)やディスインフォメーション(偽情報:ターゲットとなった人を攻撃したり、評判を落としたりしようとする間違った情報)、マルインフォメーション(ターゲットとなったプライバシーや個人情報の暴露など)が数多く発信され、部分的に強調する「切り抜き動画」などが爆発的に拡散しました。
切り抜き動画を制作した人たちの中には、ソーシャルメディアでの「いいね!」の獲得などという経済的な利益が主な動機で、政治的な使命感などが必ずしも強くなかったことも明らかになっています。
ニュースメディアが無力だった理由
兵庫県知事選挙では新聞やテレビ・ラジオは「今まで通りの」報道をしていました。
しかし、その方法が現在の、さまざまなソーシャルメディアが乱立し、人々がニュースメディアからではなく、それらのソーシャルメディアを中心に情報を得るような生態系の中で、信頼できる情報や評論を届けるジャーナリズムとしての機能を果たすことができなかったという、限界を露呈したということです。
それは「形式的平等」という、公職選挙法や放送法を「口実にした」自主規制です。候補者が所属する政党の扱いを物理的に平等にするという報道です。
記事の行数を各党で同じにするとか、写真の大きさを同じにするとか、テレビなら党首や候補者の演説の映像の尺(秒数)を揃えるなど、表向き平等に見えるようにするというニュースの処理方法です。
ファクトチェックを阻んできた構造
このような報道のスタイルが法律に定められているのではありません。報道機関は「編集権」(何をニュースの題材に選び、それをどのようなボリュームで伝えるかを自分で決める)があるので、特定の候補や政党の支持を促したり、著しく不利になるような内容でなければ、むしろ多様な報道があっても良いはずです。
しかし、選挙戦の報道は当落に関わるため、政党や候補者の中には「うちの扱いが小さい」とか「あちらの候補の方が好印象な伝え方になっている」などの抗議をするケースも多くあります。
しかしニュースメディアは、報道の意図を納得してもらう努力をするよりも、説明の労力を惜しんだり、報復され取材に制限がかかることなどを心配して、安全策としての形式的平等方式を採ってきたのが実態です。
このような「トラブルフリー」の考え方に支配されてしまうと、ファクトチェックは非常にやりにくくなります。特定の候補の発言を取り上げて、「根拠が希薄」とか「ミスリード」などのフラグを立てるという作業だからです。激しい抗議や、訴訟のリスクなども覚悟しなければなりません。
「ニュースの消費者」が期待すべきこと
今回の報道各社や日本新聞協会の発表は、そのようなスタンスを全面的に見直し、報道の自由、表現の自由のまっとうな行使として、特定の政党や候補であっても、必要ならファクトチェックなどをして、有権者の真っ当な判断を助けることが使命であると、改めて確認したということです。
これから本格化していくであろうファクトチェックの動きを、私たちが「ニュースの消費者」としていかに期待して見守るべきか、良質のファクトチェックをいかに見極め、それを実践するニュースメディアを応援していくかについて考えてみたいと思います。
ニュースメディアがファクトチェックをすべき理由
筆者は何年も前から、ファクトチェックを担う中心は、ニュースメディアであるべきだと主張してきました。
このYahoo!エキスパートの過去の記事を参照していただければわかります。
ここでは最近、作家の一田和樹さんが経営するINODS UNVEILのウェビナー(内容のレポートは、こちら )で説明した内容をかいつまんでお伝えしておこうと思います。
1) 情報検証のノウハウを持っている
ひとつは、情報の正しさを判定する方法を実践する実力があるということです。必要なエビデンスを得るには誰と誰に取材すればいいのか、また必要であれば、政治家や外国の要人など、一般市民がアクセスできないような人や組織にも直接確認ができることです。そして、検証のためのリソースや人材も持っています。
2) ニュースメディアが出した「正確な情報」も曲解、改ざんされて偽・誤情報に加工されて出回る
メディアがニュースとして発信した情報であっても、部分的に切り取られたり、文脈を違えたり、あるいは写真や映像に別の説明を付けられたりして、間違ったニュアンスや偽情報として拡散するケースは多々あります。そのような加工改ざんによるフェイク情報を打ち消すのは、プラットフォーム任せではなく、メディアにも担うべきだし、オリジナルを知っているメディアが一番効果的にファクトチェックできるはずだからです。
3) 間違えを正すだけでなく、その偽情報を含んだ言説や画像映像を「選び出す」作業こそ重要性を持つ
ファクトチェックとは、検証の前に、「何が一番社会に影響を及ぼすか」という優先順位を付けることにこそ社会的な意味があります。基準を明確に持っていて、説明できるポリシーを有した組織がその役割を担うのがふさわしいとしたら、それはニュースメディアであるのは自明のことです。
4)純粋なファクトチェックではなくても、検証のジャーナリズムとして発信しなければならないものがある
これはウェビナーでとりあげた実例などを挙げて具体的に説明します。例えばいろいろな報道の問題が指摘されている、件の兵庫県知事選の時点では、斎藤知事がパワハラをしたかどうかの判断は、百条委員会も第三者委員会も下していませんでしたが、「認定した」などと断定する言説が数多くソーシャルメディアで見られました。
それを個別にファクトチェックして「間違い」などと断定するのではなく、「まだ認定がなされていないので、予断を持つな」ということを広く伝えるニュースにした方が、同種の他の偽情報にも効果があるかも知れないなどの判断は、ニュースの編集に熟練した組織にしかできないことだと思うからです。
あるいは、兵庫県の問題は選挙が混乱したことだけでなく、斎藤知事やその周辺の保身などのために、偽・誤情報が利用された可能性もあります。例えばTBS「報道特集」が、偽・誤情報の拡散プロセスについて継続的なキャンペーン報道をしています。日本中で地方自治の信頼や社会正義の実践のために、私たちが教訓としなければならないこともあるとの使命感からの報道と思います。TBSは自らファクトチェックと名乗っていませんが、このような検証作業も報道のリソースを活用した重要な営みだと思います。
「ジャーナリズムとして適切か」というめやす
世界のファクトチェック・コミュニティで、その検証行動が妥当であるかどうかを判断する基準として、「ジャーナリズムとして適切か(Journalistic Relevance)」という言葉が良く使われます。
ファクトチェックもジャーナリズムの営みの一部であり、どんな情報発信で、社会にどのように貢献できるかという論理的な考え方が必要だということです。
「社会に数多く漂っている偽・誤情報の中から何を真っ先に検証の俎上に載せるべきか」、「それを選択する理由は何か」、「検証の結果は特定の偽情報に対するファクトチェックとして発信するべきか」、「それともニュース特集や評論の一部など別の形で発信する方が社会の役に立てるか」、などを判断し、明快に説明出来ることが必要で、ニュースメディアならそれができると、ニュースの消費者が期待するのは当然のことなのです。
「量」で競うものではない
これから本格的にファクトチェックを行うメディアは、「やります宣言」をしたからと言って、無理やり件数を増やして「実績作り」を目指してほしくないと思います。
成功や実績をアピールするために、ファクトチェックの本数で競うのは間違いで、むしろ質で勝負するべきです。
おそらく東京都議選や参議院選でも、多くの偽・誤情報が発生することでしょう。しかし、その中には稚拙だったりして拡がりに欠けるものから、ごく短時間でバズってしまうようなものまであります。
急速に拡散する情報の中から、特定の候補者などを中傷したり、評判を落としたりして、偏った投票行動を誘発する恐れがあるなど、問題があるものを、それぞれのメディアが「独自の価値観」で判断しファクトチェックを行うべきものです。
そして、精度の高いファクトチェックは取材や検証に時間がかかるものです。頻度が高ければ優れているわけではないのです。
新型コロナの時なども、世界の他の国と比べ、日本ではファクトチェックの必要性があまり議論されなかった理由のひとつが、日本国民の科学・医学リテラシーが比較的高い水準にあり、塩素系の洗剤を飲んで内臓を消毒しようとするなど、アジアの一部の国々で見られたような極端な行動が見られなかったとい側面もあります。
そのような日本の環境で、それでもファクトチェックをすべきものをメディアがどのように見極めるか、実力が問われているとも言えるのです。
社会の安定装置的機能を目標に
ファクトチェックとは日々の実践を通して実力や勘を養成し、いざという時に適切な言説を選択し、論理的に信頼できる検証を、しかも効率的に短時間でやり遂げることができるように備えるという側面があります。
ファクトチェックは決して儲かる事業ではありません。しかし、常時から鍛えておかないと、いざという時に実力を発揮できない能力でもあると思われます。
発表された時にはインパクトが大きくないファクトチェックであっても、少しずつ「優れたメディアが、偽・誤情報に目を光らせている」という実績が蓄積し、「何かあれば、このメディアが何か反応してくれるはずだ」という期待や安心が醸成されていくことが理想的です。
質のよいファクトチェックのために
だからこそ、このたびファクトチェックに本格的に取り組むメディアには、政府の公式発表だけを根拠とするとか、当事者に直接証言を得ることが可能なのに、その作業をやらないとか、お手軽なものではない、スキのない検証をしてもらいたいと思っています。
「ジャーナリズムにおける手間ひま(“Journalistic Relevance“)」という言葉があります。情報源をどれだけ厳選したか、メールではなく直接話をするなど、取材活動を丁寧に行ったか、原稿の推敲や複数の人によるチェックなど、どれだけ手をかけてアウトプットを行ったか、などが問われるのです。
このようなチェックポイントは、注意深くニュースに触れていれば、読者のみなさんにもある程度認識できるものだと思います。良質のファクトチェックを見付けたら、評価して応援することで、社会の安定装置が強化されるとも言えるのです。
競争から協力へ
世界のファクトチェッカーの間では、競うよりも「コラボレーション(協力)」の方が重要視されています。
ファクトチェックは一定のエビデンス(証拠)を論理的に積み上げるものなので、ストーリーの切り口や文体などで差別化しにくい情報で、むしろシェアして拡散する方が合理的だという判断です。
オンラインに限らず、偽・誤情報はますます増えているのに、ファクトチェッカーの数は非常に限られているのも一因です。ダプリケーション(Duplication:複数のファクトチェッカーが同じ偽・誤情報を別々にファクトチェックしてしまう現象)を避け、1件でも多くファクトチェックをする方が社会の役に立てるからです。
将来は日本のメディアもコラボレーションを考えるような方向に進んで行けばいいなと思いながら、この都議選や参院選の報道に注目していこうと思います。DSC00633.JPG

 「インターネットと選挙をめぐる声明」を発表、選挙における報道・評論の自由を再確認し、「国際的なファクトチェックの手法も参照しながら」有権者の判断に資する確かな情報を提供する報道を積極的に展開していくと明らかにしました。当然必要なことでしょう。読売新聞の記事「選挙公正性 担保急務…新聞協会有志4社、ファクトチェック実施へ」の書き出しには「SNSで偽・誤情報が拡散した昨年の衆院選や東京都・兵庫県両知事選を受け、選挙の公正性を担保する仕組み作りが急務となっている」と記してあります。兵庫県知事選(出直し選挙)では、「既存メディアが伝えない真実」などと銘打ち、ソーシャルメディアで偽・誤情報が飛び交い、選挙の結果に影響を及ぼした可能性が指摘されています。この一連の出来事が、大手のニュースメディア各社を動かしたと思われます。選挙結果に影響を及ぼしたにもかかわらず当選した人が居座り続けることをどう思うのでしょうか。切り抜き動画を制作した人たちの中には、ソーシャルメディアでの「いいね!」の獲得などという経済的な利益が主な動機で、政治的な使命感などが必ずしも強くなかったことも明らかになっています。経済的な利益になる仕組みを解消する方法はないのでしょうか。さまざまなソーシャルメディアが乱立し、人々がニュースメディアからではなく、それらのソーシャルメディアを中心に情報を得るような生態系の中で、信頼できる情報や評論を届けるジャーナリズムとしての機能を果たすことができなかったという、限界を露呈したということです。確かにそうでしょう。報道機関は「編集権」(何をニュースの題材に選び、それをどのようなボリュームで伝えるかを自分で決める)があるので、特定の候補や政党の支持を促したり、著しく不利になるような内容でなければ、むしろ多様な報道があっても良いはずです。しかし、選挙戦の報道は当落に関わるため、政党や候補者の中には「うちの扱いが小さい」とか「あちらの候補の方が好印象な伝え方になっている」などの抗議をするケースも多くあります。それもそうでしょう。今回の報道各社や日本新聞協会の発表は、そのようなスタンスを全面的に見直し、報道の自由、表現の自由のまっとうな行使として、特定の政党や候補であっても、必要ならファクトチェックなどをして、有権者の真っ当な判断を助けることが使命であると、改めて確認したということです。情報検証のノウハウを持っている。ニュースメディアが出した「正確な情報」も曲解、改ざんされて偽・誤情報に加工されて出回る。間違えを正すだけでなく、その偽情報を含んだ言説や画像映像を「選び出す」作業こそ重要性を持つ。純粋なファクトチェックではなくても、検証のジャーナリズムとして発信しなければならないものがある。急速に拡散する情報の中から、特定の候補者などを中傷したり、評判を落としたりして、偏った投票行動を誘発する恐れがあるなど、問題があるものを、それぞれのメディアが「独自の価値観」で判断しファクトチェックを行うべきものです。ファクトチェックに本格的に取り組むメディアには、政府の公式発表だけを根拠とするとか、当事者に直接証言を得ることが可能なのに、その作業をやらないとか、お手軽なものではない、スキのない検証をしてもらいたいと思っています。世界のファクトチェッカーの間では、競うよりも「コラボレーション(協力)」の方が重要視されています。ファクトチェックは一定のエビデンス(証拠)を論理的に積み上げるものなので、ストーリーの切り口や文体などで差別化しにくい情報で、むしろシェアして拡散する方が合理的だという判断です。オンラインに限らず、偽・誤情報はますます増えているのに、ファクトチェッカーの数は非常に限られているのも一因です。ダプリケーション(Duplication:複数のファクトチェッカーが同じ偽・誤情報を別々にファクトチェックしてしまう現象)を避け、1件でも多くファクトチェックをする方が社会の役に立てるからです。SNSに振り回されている世界を変えるためにもファクトチェックが正常に機能する世界にすべきでしょう。日本の果たす役割も重要になるのでしょう。DSC00632.JPG
女性9割が仕事や家事・子育てを拒否は有効的な訴えなのでは[2025年11月11日(Tue)]
 AERA DIGITAL2025年6月15日付け「ジェンダー平等・世界1位のアイスランド、原点は「50年前のストライキ」 女性9割が仕事や家事・子育てを拒否」から、ジェンダーギャップ指数・世界1位のアイスランドから、ハトラ・トーマスドッティル大統領が初来日し、都内でトークイベントに登壇した。
アイスランドは、世界経済フォーラムが公表しているジェンダーギャップ指数において、15回連続世界1位のジェンダー平等先進国だ。対して、日本は118位(2024年)に留まっている。  
5月下旬に来日したハトラ・トーマスドッティル大統領は、同31日、津田塾大学(東京都)で開催されたトークイベント「ジェンダー平等のつくりかた」(朝日新聞社、津田塾大、同国大使館共催)に登壇。約200人が集まった。
原点に「女性の休日」  
おおらかな笑顔でマイクの前に立った大統領は、まず「おはようございます」と日本語であいさつ。会場を見渡しながら、「日本でジェンダーの問題が関心をもって注目されていることがよくわかりました。女性の権利を高めることだけではなく、将来的に女性がリーダーシップを発揮できるよう、社会の価値観を変えていかなければなりません」とスピーチした。  
アイスランドも、かつては女性たちの地位が低い時代があった。同国で女性が参政権を獲得したのは1915年(日本は1945年)。けれど、その後の60年間で国会議員になった女性はわずか9人にとどまり、1975年時点では3人しかいなかった。さらに男女の賃金差は40%以上もあった。  
そんな中、女性の地位向上を目指す団体が全国的なストライキを計画。参加した女性が解雇されるなど不利益を被ることがないよう「女性の休日」という呼び名をつけ、メディアや口コミで事前に広く伝えられたという。
男性化する必要はない  
そして“決行日”の同年10月24日、女性の9割以上が仕事や家事・子育てを拒否。学校や保育園も休校になり、父親は子どもを職場に連れていかざるを得なくなったり、料理しやすいソーセージが街中の商店で売り切れになったりした。社会全体に与えた影響は大きく、翌76年には性別による賃金格差を禁止する法律が成立。80年には同国初となる女性大統領も誕生し、ジェンダー平等に向かって大きく前進することになった。  
大統領は「50年前のストライキで、男性たちがこのままではいけないと気づいたことで、最も大きく変わったのは、チャイルドケアです。男性が家事・育児をすることが当たり前になり、男性育休も定着。女性たちが一致団結し、男性を変革の仲間にすることが大切です」と語った。  
大統領は昨夏の大統領選で初当選した。当時13歳だった娘の学校で講演したとき、子どもたちに「大統領」「起業家」「教師」の絵を描いてもらったら、ほとんどの生徒が大統領と起業家は男性、教師は女性を描いたエピソードを披露。「アイスランドにもまだアンコンシャスバイアスはある。若い世代から変えていきたい」とし、こう締めくくった。
「女性が男性のようになる必要はありません。自分に自信を持ってください。日本は世界有数の経済国でG7の一員です。118位で満足していられるでしょうか。皆さんが男性との橋渡し役になり、ナンバーワンを目指してほしい」DSC00635.JPG

 人権意識に欠け、ジェンダーの問題意識が足りない日本ではアイスランドを参考にする必要があるでしょう。「日本でジェンダーの問題が関心をもって注目されていることがよくわかりました。女性の権利を高めることだけではなく、将来的に女性がリーダーシップを発揮できるよう、社会の価値観を変えていかなければなりません」アイスランドも、かつては女性たちの地位が低い時代があった。同国で女性が参政権を獲得したのは1915年(日本は1945年)。けれど、その後の60年間で国会議員になった女性はわずか9人にとどまり、1975年時点では3人しかいなかった。さらに男女の賃金差は40%以上もあった。そんな中、女性の地位向上を目指す団体が全国的なストライキを計画。参加した女性が解雇されるなど不利益を被ることがないよう「女性の休日」という呼び名をつけ、メディアや口コミで事前に広く伝えられたという。日本では出来そうにないかもしれませんが、それでいいのでしょうか。“決行日”の同年10月24日、女性の9割以上が仕事や家事・子育てを拒否。学校や保育園も休校になり、父親は子どもを職場に連れていかざるを得なくなったり、料理しやすいソーセージが街中の商店で売り切れになったりした。社会全体に与えた影響は大きく、翌76年には性別による賃金格差を禁止する法律が成立。80年には同国初となる女性大統領も誕生し、ジェンダー平等に向かって大きく前進することになった。「50年前のストライキで、男性たちがこのままではいけないと気づいたことで、最も大きく変わったのは、チャイルドケアです。男性が家事・育児をすることが当たり前になり、男性育休も定着。女性たちが一致団結し、男性を変革の仲間にすることが大切です」思い切った行動をできたのはすごいですね。日本では抵抗する人が多く実現できないかもしれません。当時13歳だった娘の学校で講演したとき、子どもたちに「大統領」「起業家」「教師」の絵を描いてもらったら、ほとんどの生徒が大統領と起業家は男性、教師は女性を描いたエピソードを披露。「アイスランドにもまだアンコンシャスバイアスはある。若い世代から変えていきたい」「女性が男性のようになる必要はありません。自分に自信を持ってください。日本は世界有数の経済国でG7の一員です。118位で満足していられるでしょうか。皆さんが男性との橋渡し役になり、ナンバーワンを目指してほしい」確かに女性が男性のようになる必要はないでしょう。男性だろうが女性だろうが、自分に自信を持ってお互いにナンバーワンを目指す社会になればジェンダーギャップを気にすることもなく活気のある社会になるのではないでしょうか。DSC00634.JPG
太鼓芸能集団が住民と一緒に佐渡の地域を守っていく[2025年11月10日(Mon)]
 新潟一番NEWSテレビ新潟2025年6月14日付け「【特集】過疎に直面する佐渡 太鼓芸能集団「鼓童」と住民 守りたいそれぞれの“音色” 移住者がつなぐ佐渡らしさとは⦅新潟》」から、高齢化や人口減少が進む佐渡では島独自の文化である「鬼太鼓」も継続が難しくなっています。
こうした中、太鼓芸能集団「鼓童」のメンバーを目指し毎年、多くの若者が全国から集まります。
伝統芸能をつなぐ住民と……新たな風を吹き込む「鼓童」……それぞれに守りたい“音色”があります。
新しい研修生
ことし4月7日。佐渡市柿野浦に停まった1台のバス。
バスから研修生が降りてきました。
「こんにちは」 大きな荷物を持って降りてきたのは太鼓芸能集団「鼓童」の新しい研修生です。
ここで2年間共同生活を行いながら太鼓や芸能などを学び鼓童のメンバーを目指します。
花井琢真さん(愛知県出身) 「愛知県出身なんですけど、そこも十分田舎なんですけど、もっと自然がすごいところだなというのを感じて」
研修生はアメリカやブラジルからも
研修生たち研修生の出身地は東京や京都さらに、アメリカやブラジルなど海外からも。 これまでとは異なる環境の中で若者たちが感じるもの。
海の音……鳥のさえずり……佐渡の自然がもたらす様々な“音”です。
高橋咲和子さん(東京出身) 「都会では聞けない音、木が落ちてきたりとか鳥が飛んでいったりとか、そういう音が聞こえて、あんまりこれ家じゃ聞けないなと思っています」
太鼓芸能集団「鼓童」
伝統的な楽器や芸能を取り入れて舞台をつくりだす太鼓芸能集団「鼓童」。
大阪・関西万博の開会式にも出演するなど、世界的に活躍する中で表現の土台となっているのが、拠点を置く佐渡の自然と地域性だといいます。
鼓童・船橋裕一郎 代表 「僕たち芸能を仕事にするものとしては暮らしものから出てくるものをちゃんと学べる場所。とても大切な場所だなと思っている」
「鬼太鼓」が存続の危機
鼓童も学びの場としている多様な芸能が宿る島、佐渡。その一つ「鬼太鼓」は120以上の集落で行われていて鬼の踊りや太鼓のたたき方は集落によって異なると言われています。
それぞれの集落が受け継いで来た文化…… しかし、いまこの「鬼太鼓」が存続の危機にあるといいます。
人口の4割が65歳以上の高齢者
佐渡市の人口の推移を表したグラフです。
20年前およそ7万人いた人口は減少を続け、現在は約5万人。
そのうち4割ほどが65歳の高齢者です。
佐渡文化財団によると2020年からの5年間で9つの集落で祭りが途絶えました。 祭りを続けていくのか……毎年のように判断を迫られる集落も増えているといいます。
柿野浦集落の人 「隣の豊岡集落はもう若い人がいなくなってお祭りに鬼太鼓を出さないという風に聞いていますし、地元の若い人は少なくなって大変なんですけど」
鼓童の研修所がある柿野浦集落も、いまでは半分が空き家になっているといいます。
鼓童の研修生やメンバーも祭りに参加
それでも、祭りの日になると…… 鼓童の研修生だけでなく現役メンバーも参加し、力強い太鼓の音色と威勢のいい掛け声がまちを包みます。
集落の人 「心強いですよ、彼らなしではもうお祭りなんかできません」
研修生は祭り以外でも、集落の住民と交流しています。
集落の人・男性 「限界集落なんですけど、鼓童の研修生がいるもんですから、道を整備するのに手伝ってくれたりしてここの集落としては本当に助かっている」
一軒一軒を回る「門付け」
鬼太鼓では地域の家一軒一軒を回る、「門付け」が行われます。
住民の人にとって鬼は、悪役ではなくヒーローのような存在。
門付けを受けた家の人は食事や祝儀を振る舞います。
研修所にも鬼がやってきました。
研修生たちはそれぞれの郷土料理を振舞います。
ネイビン・ニコラス・アカミネさん(アメリカ出身) 「これはバナナブレッドです。お母さんがよく僕に作ってくれました。子どもの時に」
花井琢真さん(愛知県出身) 「これは、愛知県の岡崎市に八丁味噌(みそ)というのがありましてそれで作りました」
花井さんが用意したのは愛知県の赤みそを使った郷土料理「煮味噌(にみそ)」。
地元の人 「みそはどうしたの?」
愛知出身の人 「愛知県からもってきました、両親に送ってもらって」
地元の人 「おいしいみそだね」 集落の一員として過ごす2年間の研修生活。
佐渡へ移住した人も
その経験を経て、佐渡への移住を決意した女性がいます。
新潟市出身の春日麻弓さん。
双子の息子・瑠維くんと玲李くんとともに佐渡市で暮らしています。
元鼓童のメンバー
20年ほど前、鼓童の舞台に衝撃を受け研修所の門をたたきました。
卒業後は県外で芸能の道に進む予定でしたが地元の人と交流する中で鬼太鼓の魅力にはまり佐渡で暮らすことを決めたといいます。
春日麻弓さん 「芸能を通じて地元の人たちと深い交流があってそれが本当に楽しいので」
いまでは、双子の息子、瑠維(るい)くんと玲李(れい)くんも鬼太鼓に没頭。
祭りの音集落の祭りにも一緒に参加します。
瑠維くん 「(鬼太鼓は)踊ったりするのも好きだし集まりとかあるのも楽しいし」
玲李くん 「(佐渡は)きれいだなって思うところが多いところが好きです」
Q)玲李くんはこれからも佐渡にいたい? 「はい」
「佐渡を好きでいてほしい」
でも……進学などを理由に若者が島を離れることが多い佐渡。
幼いころから地域とふれあうことでふるさとに愛情や誇りをもってもらいたいと春日さんは話します。
春日麻弓さん 「町内の皆さんがずっと伝えて繋いで来たものをなくすっていうわけにはいかないってみんな思っていて、佐渡を好きでいてほしいので、私は子どもたちに」
みんなで楽しむ一体感
長い歴史の中で、島で暮らす人々の心の支えとなってきた「鬼太鼓」。
若者も高齢者も、子どもたちも……みんなで楽しむ一体感……そしてエネルギーを肌で感じてきました。
新研修生・高橋咲和子さん(東京出身) 「みんな祭りが好きなんだなって地域の愛もそうですし、祭りへの熱量みたいなのもすごくて、東京は(住民との距離が)全然近くないのでお互いあんまり関わらないというか、こういう関係ではないので、私はこっちの方が好きかなって思いますね」
佐渡の自然と文化から学ぶ
鼓童メンバー住吉佑太さん 「祭りっていう文化ってなかなかよそではないかなって、全然知らない人でも迎え入れておうちにあげて料理をふるまって鬼太鼓をやって、これは佐渡の特色だしやっぱりこういうものをなくさないようにしないとなっていうのはすごく思っている」
舞台での表現……その礎を佐渡の自然と文化から学ぶ。
過疎に直面も……
過疎に直面しながらも歴史をつなぐ住民と互いに支えあい、それぞれの“音色”を守っていきます。DSC00637.JPG

 鼓童も学びの場としている多様な芸能が宿る島、佐渡。その一つ「鬼太鼓」は120以上の集落で行われていて鬼の踊りや太鼓のたたき方は集落によって異なると言われています。それぞれの集落が受け継いで来た文化…… しかし、いまこの「鬼太鼓」が存続の危機にあるといいます。佐渡文化財団によると2020年からの5年間で9つの集落で祭りが途絶えました。 祭りを続けていくのか……毎年のように判断を迫られる集落も増えているといいます。柿野浦集落の人 「隣の豊岡集落はもう若い人がいなくなってお祭りに鬼太鼓を出さないという風に聞いていますし、地元の若い人は少なくなって大変なんですけど」鼓童の研修所がある柿野浦集落も、いまでは半分が空き家になっているといいます。過疎地は厳しい状況になってきていますね。それでも、祭りの日になると…… 鼓童の研修生だけでなく現役メンバーも参加し、力強い太鼓の音色と威勢のいい掛け声がまちを包みます。「心強いですよ、彼らなしではもうお祭りなんかできません」研修生は祭り以外でも、集落の住民と交流しています。「限界集落なんですけど、鼓童の研修生がいるもんですから、道を整備するのに手伝ってくれたりしてここの集落としては本当に助かっている」「芸能を通じて地元の人たちと深い交流があってそれが本当に楽しいので」いまでは、双子の息子、瑠維(るい)くんと玲李(れい)くんも鬼太鼓に没頭。祭りの音集落の祭りにも一緒に参加します。鼓童が集落に根差しているから地域を守り続けることができるのでしょう。幼いころから地域とふれあうことでふるさとに愛情や誇りをもってもらいたい。「町内の皆さんがずっと伝えて繋いで来たものをなくすっていうわけにはいかないってみんな思っていて、佐渡を好きでいてほしいので、私は子どもたちに」若者も高齢者も、子どもたちも……みんなで楽しむ一体感……そしてエネルギーを肌で感じてきました。祭りっていう文化ってなかなかよそではないかなって、全然知らない人でも迎え入れておうちにあげて料理をふるまって鬼太鼓をやって、これは佐渡の特色だしやっぱりこういうものをなくさないようにしないとなっていうのはすごく思っている」 舞台での表現……その礎を佐渡の自然と文化から学ぶ。過疎に直面しながらも歴史をつなぐ住民と互いに支えあい、それぞれの“音色”を守っていきます。過疎という厳しい状況はありますが、地域を一緒に守っていってほしいですね。DSC00636.JPG
安倍政権下の「報道の死」をどう受け止めるのでしょう[2025年11月09日(Sun)]
 PRESIDENT Online2025年6月14日付け「なぜ日本のメディアは"権力の番犬"から"飼い犬"に落ちたか…辻元清美が明かす安倍政権下の「報道の死」」から、日本のメディアで「報道の自由」は保たれているか。立憲民主党代表代行の辻元清美さんは「国際NGOによる『報道の自由度ランキング』で、日本は安倍政権以降60〜70位台に低迷し“自由な報道がしにくい国”と国際的にも評価されている」という。
第2次安倍政権のメディアとの露骨な癒着  
【辻元清美(以下、辻元)】権力とメディアの一体化で言うと、読売新聞の渡辺恒雄氏あたりの存在から記者が権力そのものに入っちゃって、自分が政治を動かしているような振る舞いが出てきた。実際に渡辺さんは権力を持っていたしね。それが私が覚えている中での第1期の権力とメディアの癒着。話題になったフジテレビの日枝久さんもそういう流れの人かなと思う。この人たちは主に昔の自民党と密着していたわけよね。しかし、まだ作法をわきまえていたように思うのよね。  
【小塚かおる(以下、小塚)】どういう意味ですか?  
【辻元】第2次安倍政権以降、政治とメディアの癒着がもっと露骨になったと思う。どういうことかというと、今度は権力側が圧力をかけ出したのね。政権に厳しいことを言うなど政権にとって気に入らないと思われるニュースキャスターたちが急に番組から消えちゃったりしてね。TBSの「NEWS23」に出ていた岸井成格さん、NHK「クローズアップ現代」の国谷裕子さん、テレビ朝日「報道ステーション」の古舘伊知郎さんもそうだよね。  
国会の中でも問題になったけれども、自民党から直接テレビ局に抗議の文書が来たとかね。放送局を所管する総務省が電波を止める可能性について、総務大臣が発言したこともあった。安倍政権以前も癒着は癒着なんだけど、メディアにこういう圧力をかけるようなことはなかったと思う。
「批判はダメ」と上司から言われるメディア現場  
【小塚】テレビ局で政治部記者や報道番組のプロデューサーをしていた人から聞いた話ですが、かつて政治の側は「なんだよ、この内容は」みたいな文句があっても、記者やプロデューサー、ディレクターなどの現場に言ってきたそうなんです。現場だから、間違っていれば訂正するし、間違っていないと思えばご意見拝聴で終わるなど、臨機応変に対応をする。  ところが安倍政権になったら、社長や役員、局長クラスに文句を言ってくるようになったと。経営幹部たちは現場の事情がよく分からないので、総理や官邸から言われたと過剰反応するから、会社の組織としてトップダウンで止めろという話になる。そうすると結局みんなサラリーマンだから萎縮してしまうというんですね。  
【辻元】そうなんだよね。それで、メディアの中に自己規制が働くようになるわけでしょう。権力や官邸との関係で、そういうことが自社で起こる、または他社で起こっていると聞いたら、自主規制をするようになる。記者が自由に本を出版できていたのに、急に原稿を点検するから見せろといったことも起きているというしね。  
自由に権力批判をしてきた記者たちが、政権から直接圧力をかけられなくても、社内の自主的なチェックや権力への配慮に耐えかねて、新聞社やテレビ局を辞めていっているよね。論評はいいけど批判はダメ。そう上司から言われたという話も聞いた。
政権のスポークスマンになったジャーナリズム  
【小塚】それはおかしいと私は思っていて、論評と批判は何がどう違うんですかと思うわけですよ。批判は建設的な改善点の指摘を含む論評だったりする。批判イコール反権力と考える人がいますが、そうではなく、そもそもメディアや報道機関というのは権力を監視する「権力ウォッチャー」のはずです。だから、権力を監視する立場からすると、これはおかしい、もっとこうした方がいいと批判するのは、社会をより良くしていくために当然のことじゃないですか。おかしいことをおかしいと言えなくなったり、批判はダメだと言い出したりしたら、権力を監視するというメディアの役割の放棄ですよ。  
【辻元】ジャーナリズムは本来、「ウォッチ・ドッグ(番犬)」と言われて、権力を監視する役割なのに、単に「総理がこう言っています」「官房長官がああ言っています」などと伝えるだけの政権スポークスマンになってしまっているよね。  
【小塚】スポークスマンであることが記者の仕事だと勘違いしている人もいます。
権力側が源になった“攻撃の振り子”  
【辻元】安倍政権時のメディアへの圧力の話に少し戻ると、テレビ局の個々の番組がその番組内で賛否両論を出さないと公平・中立な報道ではない、という圧力も掛けたよね。テレビ局は番組によって色があったとしても、報道機関としてトータルでバランスを取って活動しているのに、TBSの「サンデーモーニング」は偏向報道だと相当、批判された。安倍政権に近しい文化人や宗教団体などが、TBSの「NEWS23」のメーンキャスターだった岸井さんをターゲットにして、番組を名指しで批判する意見広告を出したりとかね。ちょっとおかしな風潮がはびこっていた。  
安倍政権が源になって、振り子があちこちで共振し合っているような気がした。振り子はひとつ振れ出すと共振して、いくつもが大きく振れていくじゃない。政権や官邸が振り子を振るわけよ。これが最初。敵を決めて、みんなでここを攻撃しろ、みたいに権力が指差して、それに呼応する文化人や言論人と言われる人たちが、さらに振り子を大きくする。そこに、一般のインフルエンサーと呼ばれるような人たちも呼応して振り子をもっと大きくして、そしてメディアを窒息させていく。当時はそんな構図に見えたよね。  
【小塚】大手メディアの政治部の番記者制度が政治家との癒着を生むという話で、辻元さんはジレンマとおっしゃいましたが、私は、与党の政治家を取材することと、野党の政治家を取材することは微妙に違うかなと思っています。
メディアとの暗黙のラインを超えた長期政権  
【小塚】与党は政権与党ですから、圧倒的な権力を持っているわけです。だから、与党の政治家と癒着しすぎると、無意識のうちに権力側のスポークスマンになってしまう恐れがあると思いますが、逆に野党の政治家から「国会でこういう質問をするよ」と言われて、それが良い提言ならば積極的に記事にする。野党の提言は政権がやっていることへの対案であったり、改善策だったりするわけですから。それで言うと、安倍政権は一強多弱の長期政権だったので、その間、野党に関する記事が少なすぎると思っていました。  
【辻元】与党は物事を決定していくじゃない。だから、取材される量は多いわけよ。野党は物事を決定していかないから、こっちから仕掛けないとなかなか取材をしてくれない。記事の量にかなり差があるんだよね。  
与党と野党は決定的に違って、メディア関係だけじゃなく、経済界や産業界、団体は与党にはものすごく近づいてくる。野党には情報も来ない。それは永遠のテーマで。ただ、やっぱり権力を持っている側が注意をしないとダメだと思う。権力側がメディアの役割をよく理解して、これを利用しようとか、これを使って世の中を煽ろうとか、政敵を倒そうとか、というようなメディアとの付き合い方は慎む。そういうことなんじゃないかと思うんだけどね。  
【小塚】安倍政権以前のかつての自民党には少なくともそういう慎みはあったし、民主党政権の時だって、メディアとの関係性において超えてはいけない暗黙のラインがあったと思うんですよね。
安倍政権で地に落ちた「報道の自由度」  
【辻元】菅義偉政権も安倍時代を引きずっていたと思う。菅さんは官房長官として安倍さんと一体化してメディアコントロールをやっていたし、総務大臣の経験もあったから、総務省に対してすごく力を持っていた。ところが、岸田政権あたりからメディアへの圧力は薄れてきたように感じる。今の石破政権はさらに薄れている。国際NGO「国境なき記者団」が毎年発表する「報道の自由度ランキング」を見れば明白だよね。民主党政権の時はすごく自由度が高いと評価され、最高で11位までランクが上がった。だけど、安倍政権になったら地に落ちているでしょう。  
【小塚】60〜70位台に低迷し、最新の2024年は70位でした。  
【辻元】民主党政権の時は、メディアを恣意的に利用しようとしてはいけないと当たり前に考えている人たちが権力を握っていた。もちろん、まったくやっていないとは言えないけれど、大方がそういう意識だった。だから、民主党政権は、朝の情報番組でMCのみのもんたさんにボコボコに言われて、朝から晩まで一日中批判されていたわけですよ。  
長年権力を持ってきた自民党と一緒にやっていた方が甘い汁を吸えるような人たちは、メディアも含めて、もう一度、自民党政権に戻そうという力が働いたからね。民主党政権に対する批判は自民党政権に対するそれよりもキツかったのは間違いない。しかし、それに対して何かいやらしい方法で抑えようということは、ほとんどしなかったから、相当、批判にさらされた。でも批判にさらされた分、報道の自由度ランキングが高かったわけで、それが権力とメディアの本来の姿なんでね。DSC00639.JPG

 第2次安倍政権以降、政治とメディアの癒着がもっと露骨になったと思う。どういうことかというと、今度は権力側が圧力をかけ出したのね。政権に厳しいことを言うなど政権にとって気に入らないと思われるニュースキャスターたちが急に番組から消えちゃったりしてね。TBSの「NEWS23」に出ていた岸井成格さん、NHK「クローズアップ現代」の国谷裕子さん、テレビ朝日「報道ステーション」の古舘伊知郎さんもそうだよね。国会の中でも問題になったけれども、自民党から直接テレビ局に抗議の文書が来たとかね。放送局を所管する総務省が電波を止める可能性について、総務大臣が発言したこともあった。安倍政権以前も癒着は癒着なんだけど、メディアにこういう圧力をかけるようなことはなかったと思う。安倍政権になったら、社長や役員、局長クラスに文句を言ってくるようになったと。経営幹部たちは現場の事情がよく分からないので、総理や官邸から言われたと過剰反応するから、会社の組織としてトップダウンで止めろという話になる。そうすると結局みんなサラリーマンだから萎縮してしまうというんですね。メディアが委縮してしまっては政権の思い通りになるでしょう。メディアの中に自己規制が働くようになるわけでしょう。権力や官邸との関係で、そういうことが自社で起こる、または他社で起こっていると聞いたら、自主規制をするようになる。記者が自由に本を出版できていたのに、急に原稿を点検するから見せろといったことも起きているというしね。自由に権力批判をしてきた記者たちが、政権から直接圧力をかけられなくても、社内の自主的なチェックや権力への配慮に耐えかねて、新聞社やテレビ局を辞めていっているよね。論評はいいけど批判はダメ。そう上司から言われたという話も聞いた。メディアや報道機関というのは権力を監視する「権力ウォッチャー」のはずです。だから、権力を監視する立場からすると、これはおかしい、もっとこうした方がいいと批判するのは、社会をより良くしていくために当然のことじゃないですか。おかしいことをおかしいと言えなくなったり、批判はダメだと言い出したりしたら、権力を監視するというメディアの役割の放棄ですよ。メディアの責務は権力をチェックすることでしょう。それができないメディアは必要なのでしょうか。そのような自覚がなくなってしまったメディアは求められているのでしょうか。与党は政権与党ですから、圧倒的な権力を持っているわけです。だから、与党の政治家と癒着しすぎると、無意識のうちに権力側のスポークスマンになってしまう恐れがあると思いますが、逆に野党の政治家から「国会でこういう質問をするよ」と言われて、それが良い提言ならば積極的に記事にする。野党の提言は政権がやっていることへの対案であったり、改善策だったりするわけですから。それで言うと、安倍政権は一強多弱の長期政権だったので、その間、野党に関する記事が少なすぎると思っていました。与党は物事を決定していくじゃない。だから、取材される量は多いわけよ。野党は物事を決定していかないから、こっちから仕掛けないとなかなか取材をしてくれない。記事の量にかなり差があるんだよね。与党と野党は決定的に違って、メディア関係だけじゃなく、経済界や産業界、団体は与党にはものすごく近づいてくる。野党には情報も来ない。それは永遠のテーマで。ただ、やっぱり権力を持っている側が注意をしないとダメだと思う。権力側がメディアの役割をよく理解して、これを利用しようとか、これを使って世の中を煽ろうとか、政敵を倒そうとか、というようなメディアとの付き合い方は慎む。そういうことなんじゃないかと思うんだけどね。メディアばかり責められるのではないでしょう。弱体野党の責任はさらに大きいでしょう。安倍政権と厳しく対峙できなかった弱体政党は今後国民のためにどのような政治をしようと考えているのでしょう。民主党政権の時は、メディアを恣意的に利用しようとしてはいけないと当たり前に考えている人たちが権力を握っていた。もちろん、まったくやっていないとは言えないけれど、大方がそういう意識だった。だから、民主党政権は、朝の情報番組でMCのみのもんたさんにボコボコに言われて、朝から晩まで一日中批判されていたわけですよ。メディアは政権をチェックし、野党も国民のためになることを考え政権と対峙することが求められるのでしょう。そのような当たり前のことができなければ強い政権の思う壺になってしまうのでしょう。DSC00638.JPG
雑草だらけの畑でおいしい野菜を作る”耕さない農業”[2025年11月08日(Sat)]
 中京テレビNEWS2025年6月12日付け「山中の農園に見学者殺!?雑草だらけの畑でおいしい野菜を作る“耕さない農業”とは−愛知・新城市」から、 “沸騰化”と呼ばれる急激な気温上昇が地球上で発生している現状に対して、未来を守るさまざまな取り組みを伝えていきます。
画期的な農業を続ける愛知県新城市の農家の元へ、全国から多くの見学者が訪れています。
そこで行われていたのは、環境にも人にも優しいといわれる”耕さない農業”。その実態を取材しました。 
雑草が生い茂る畑で”耕さない農業”を実践
愛知県豊橋市で毎週開催されている「豊橋有機農業の会 朝市」では、ある農家の作る野菜が”争奪戦”になるといいます。
野菜の入ったカゴが車から降ろされると同時に人々が集まり、開始5分で品薄状態です。
野菜を買ったお客さんからは「甘いし、香りもすごく際立ってる」「甘さが違うんですよ、生で食べられる。(スーパーの野菜と)見た目は同じに見えるんですけど、食感も違うし味も違うということがわかる」と好評です。
これらの熱烈なファンがいる野菜を育てているのは、松沢政満(まつざわ・まさみつ)さん(78)です。
愛知県新城市の自然に囲まれた山地で、「福津農園」を営んでいます。
松沢政満さん: 「この辺が畑ですね」 案内されたのは、草が生い茂っていて、ただの草むらのように見える場所です。ここが本当に畑なのでしょうか。
松沢政満さん: 「これはキャベツで、もう少し時間が経つと大きくなる」
たくさんの草の中に紛れているキャベツを発見。
この他にもグリーンピースやニンニクなど、年間およそ200品種を栽培しています。
松沢政満さん: 「見てもらってわかるように“草ボーボー”。耕さないことで、いろんなものが調和・共存している」
松沢さんが実践するのは、畝は作らず草刈りも最低限しか行わない“耕さない農業”です。この農法では、一般的な畑では排除される雑草すらも活用するのだと松沢さんは話します。
松沢政満さん: 「これらの雑草が、太陽の光エネルギーを利用して、土作りをやってくれているわけです」
雑草の多い松沢さんの畑は、光合成を行う植物が多く生えているため、二酸化炭素(CO2)をより多く吸収します。
二酸化炭素は、植物の根などを通して土壌に送られ、炭素として土中に蓄えられます。
さらに雨が降った場合、雑草の葉や根があることで、炭素を蓄えた土の流出を防ぐ役割も果たしています。
土壌に炭素が多く蓄えられていることは微生物やミミズなどの活発化も促す上に、さらに豊かな土となり、おいしい野菜が育つということです。
雑草を抜かず土を耕さないことで、農作業にかかる労力も削減できます。
そのメリットを生かし、松沢さんが力を注いでいるのが養鶏です。
飼育するニワトリのエサを手作りするのも、松沢さんの日課です。
卵を朝市などで販売するほか、ふんを肥料として活用し、化学肥料を使わない野菜作りにも取り組んでいます。
沢さんは元々、食品会社に勤めており、微生物の研究を行っていました。
41年前、生まれ育った新城市に戻り、両親の農地を引き継ぐかたちで就農しました。
妻の妙子(たえこ)さんによると、農業を始めた当初は苦労が多かったといいます。
松沢さんの妻・妙子さん: 「農薬を使わないと農業はできないと思われていたのに、農薬をやめると言ったから『そんな農業は絶対ダメだ』って言われたし。でも、40年も経つと、いちばん先端をやっていますよ」
結婚して47年。支え続けてきた妙子さんから見て松沢さんの印象は…?
質問すると、妙子さんは「いわゆる頑固じじいだ」と笑います。
「こう決めたら、絶対にやり通すみたいな。自分の信念をもって、やり続けてきたんだと思います。だから、今まで続いているんだと思うんで…」
農業で後継者や子どもたちに託す思い
松沢さんの画期的すぎる農業は話題を呼び、年間約500人の見学者が農園を訪れています。
松沢さんに“弟子入り”し、住み込みで学ぶ若者もいるそうです。
福島県から学びに来た尾形友聡さん(28)は、「雑草すら敵にしない。虫とかも敵として闘わなくていいんですよね。ごく分かりやすく説明してもらえて、それが僕としては気持ちよかった」と話しています。
松沢さんから学んだ技術を、すでに実践している人もいます。
15年ほど前に住み込みで学んでいた長谷川絵里(はせがわ・えり)さんは、松沢さんと同じ新城市内で”耕さない農業”に挑戦しています。
土のことをよく理解して手入れする必要があり、松沢さんの畑ほど順調に栽培できていない部分もあるといいます。しかし、苦戦しながらも長谷川さんは、松沢さんの元で学んだ農法にアレンジを加えて、自分なりの農法を確立させるのが今の目標だということです。
春になると、豊かな土壌のこの農園では、多種多様な野草が収穫できます。
4月、家族連れなど20人ほどが参加して、野草を摘み取り天ぷらにして食べるイベントが開かれました。
新鮮な野草のおいしさを体感してもらうために、摘み取ってすぐに食べてもらうことも学びのうち。
中には、摘み取った野草のおいしさに気づいたのか、次々に口に運ぶ子どもも。一緒に参加した母親は「家ではこの子、葉物野菜を食べないのに」と驚きの表情です。
松沢さんが目指すのは、こうした子どもたちが安心して暮らせる未来につながる”持続可能な農業”です。
松沢政満さん: 「農業というのは、農家のデザインの仕方によって、さらに地球を温暖化させてしまうような可能性もある。私は、子どもたちが安心して暮らせる、世の中の土台になるような農業をもうちょっと究めていきたいなと思っています」DSC00641.JPG

 画期的な農業を続ける愛知県新城市の農家の元へ、全国から多くの見学者が訪れています。そこで行われていたのは、環境にも人にも優しいといわれる”耕さない農業”。 毎週開催されている「豊橋有機農業の会 朝市」では、ある農家の作る野菜が”争奪戦”になるといいます。野菜の入ったカゴが車から降ろされると同時に人々が集まり、開始5分で品薄状態です。野菜を買ったお客さんからは「甘いし、香りもすごく際立ってる」「甘さが違うんですよ、生で食べられる。(スーパーの野菜と)見た目は同じに見えるんですけど、食感も違うし味も違うということがわかる」畝は作らず草刈りも最低限しか行わない“耕さない農業”です。この農法では、一般的な畑では排除される雑草すらも活用する。「これらの雑草が、太陽の光エネルギーを利用して、土作りをやってくれているわけです」雑草の多い畑は、光合成を行う植物が多く生えているため、二酸化炭素(CO2)をより多く吸収します。二酸化炭素は、植物の根などを通して土壌に送られ、炭素として土中に蓄えられます。さらに雨が降った場合、雑草の葉や根があることで、炭素を蓄えた土の流出を防ぐ役割も果たしています。土壌に炭素が多く蓄えられていることは微生物やミミズなどの活発化も促す上に、さらに豊かな土となり、おいしい野菜が育つということです。雑草を抜かず土を耕さないことで、農作業にかかる労力も削減できます。そのメリットを生かし力を注いでいるのが養鶏です。飼育するニワトリのエサを手作りする。卵を朝市などで販売するほか、ふんを肥料として活用し、化学肥料を使わない野菜作りにも取り組んでいます。沢さんは元々、食品会社に勤めており、微生物の研究を行っていました。自然環境を生かして微生物の知識を持って化学肥料を使わないおいしい野菜作りいるのですね。松沢さんの画期的すぎる農業は話題を呼び、年間約500人の見学者が農園を訪れています。松沢さんに“弟子入り”し、住み込みで学ぶ若者もいるそうです。松沢さんから学んだ技術を、すでに実践している人もいます。人材育成で農業に携わる人が増えればいいですね。春になると、豊かな土壌のこの農園では、多種多様な野草が収穫できます。4月、家族連れなど20人ほどが参加して、野草を摘み取り天ぷらにして食べるイベントが開かれました。新鮮な野草のおいしさを体感してもらうために、摘み取ってすぐに食べてもらうことも学びのうち。中には、摘み取った野草のおいしさに気づいたのか、次々に口に運ぶ子どもも。一緒に参加した母親は「家ではこの子、葉物野菜を食べないのに」と驚きの表情です。農業を理解する人が増え農業が盛り上がればいいですね。松沢さんが目指すのは、こうした子どもたちが安心して暮らせる未来につながる”持続可能な農業”です。「農業というのは、農家のデザインの仕方によって、さらに地球を温暖化させてしまうような可能性もある。私は、子どもたちが安心して暮らせる、世の中の土台になるような農業をもうちょっと究めていきたいなと思っています」そうですね。子どもたちが安心して暮らせる未来につながる農業が広がって安心して美味しい野菜を食べることができる日本であってほしいです。DSC00640.JPG
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