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がんけんかすい・おーばの日記
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「がんけんかすい・おーば」が ここでの私の名前です。
私とがんけんかすいは 切っても切れない間柄。

でも がんけんかすいって なんなんだ?
そんなあなたにこそ読んでほしい。

眼瞼下垂とのお付き合いをしているあなた、
ここでおあいできて本当に良かった。
そんなあなたの仲間になれたら うれしいです。
ネットのない時代と 今の違い[2008年02月18日(Mon)]
突然ですが 今日はたとえ話です。

こんなお母さんと こどもが いたとします。
みなさんは どうおもいます?

  わが子が生まれた 片目が開かない 
  親族は「あなたのせいで 赤ちゃんの目が・・・」と責められる。
  写真をとるのが イヤ
  公園やお買い物に連れて行くのもイヤ
  自分のこどもなのに 心底愛することが出来ない

  こどもが学校にいくようになった。
  こどもはある日、友達から自分の目のことをからかわれたという。
  自分はどうしてこういう目なの?と聞いてきた。
  私が悪いわけじゃないのに・・・ また・・・
  怒りと悲しみがこみ上げて 息子に背を向けてしまった。

  こどもは「自分の目のことは 聞いちゃいけないんだ」ってそこで悟る。
  本当は、一人で抱えるには とってもつらくて 
  誰かに相談できたら、と思うけど
  親にも 友達にも いえない。

この「お母さん」には特定のモデルはいません。
でも 大人になった先天性眼瞼下垂の方の話を聞くと
こういう 「お母さん」の姿が浮かび上がってくることがあります。 
もし、この「お母さん」に相談相手がいたら 
お母さんも お子さんも この話のような悲しいことには
ならなかったのに・・・。


私がこの病気を知った頃
眼瞼下垂について説明されたサイトはもっと少なく
交流できるようなスペースもありませんでした。
冒頭のたとえ話のようなご家族 そしてご本人は
今よりも ずっと多かったはずです。

じゃあ その世代のひとたちは 
一生 苦しみと悲しみを背負って生きてゆかなければならないのか
というと そんなことはないと思っています。

気持ちを変えるきっかけがあれば・・・
それは いつだって 遅すぎるってことは ないんです
それを気づかせることは難しいけれど
気づいてもらえるために アクションを起こすことは できるんじゃないかと
最近は考えています。

ミクシイ[2008年02月13日(Wed)]
ミクシイに 自身が加入して 1年数ヶ月。
自分の管理するコミュを立ち上げから 半年足らず
ほそ細と 先天性眼瞼下垂会員がふえていたのですが

先日掲示板にミクシイのことを書いたら
とたんに新規加入者が増えました。
ちょっと予想外

ミクシイをやっているひとは 意外に多いのかもしれない
でも やっていないひともまだ結構いる、

ミクシイ未加入の人には 
私が紹介人になって 加入してもらうこともできるか・・・

今後の活動について もっと 
考えてみようと思う。
患者会[2008年02月09日(Sat)]
患者会といっても ピンとこない人のほうが多いことでしょうが、
このサイトの運営も 広い意味では「患者会」だと思います。

患者会には いくつかの役割があって
ひとつには 患者さんやご家族に 病気のことをお知らせすること
次に 患者さん、ご家族の皆さんをつなぐ 橋渡しをすること
もっと発展すれば 病気の待遇をもっと良くしてほしいと 社会に訴えかけること。

ひとりひとりでは できないことでも
仲間をつくることで できるようになることも たくさんあります。
自分に良くしてもらいたい って 思うだけでは
なかなか世の中を良くしてゆくことはできませんが
自分の行動が世の中を変えたい って
みんなが思うと 世の中は 変わってゆくのですよ。

事実、
眼瞼下垂の治療は 
一人の主治医の治療方針が全てで
その意見に疑いももたずにいた・・・という時代が長かったのですが
インターネットが発達するよのなかになって
みんなが積極的に情報を集め その情報を共有することで
今では患者や家族が治療方法や 治療の場を選択するようになりました。

ただ、まだ発展途上だとは思います。

患者数の少ない疾患は 
患者の声を合わせてもまだ社会にアピールするには足りない というげんじつがあります。
ここいら辺を どうにかしていきたいっていうのが 
目下の野望なんですけど。
管理人さんの日常[2008年02月07日(Thu)]
サイトの記事は ここ数年 大幅にいじっておりません。
そろそろ手直しの時期だなあ と思っているのですが
日々の雑事にかまけておりまして
なかなか 進みません。

でも 仕事をしていた頃に比べれば 格段に自分の時間をもつことができている・・・はずなので
今年こそ 「がんけんかすいの広場」を リニューアルさせたい。

いや 
いろいろやりすぎなんですよ
特に今年度はひどかった
PTAのクラス委員を引き受けたら
広報委員長を任されるし、
10人しか子供のいない弱小子供会の会長して
大学生やって
大学院生やって
(どっちも、通信制のやつではありますが)
患者支援活動のシンポジウムとかにも顔出して

あとは 眼瞼下垂の子をもつお母さんとの交流会も 何度もしました。

専業主婦になったら 余計忙しくなったってどういうこと?

でも 自分の残り半分の人生をどのように過ごすかを
見つめなおすためには どれも必要だったと思うし
おかげさまで 方向性だけは定まりましたよ。

子供が小さいうちは 自由度も制限されますので
今は しっかり充電&勉強します。笑顔
新装開店[2008年02月06日(Wed)]
しばらく前に 試験的にブログを作りましたが、
みなさまに紹介することもなく 開店休業してました。

しかし 思うところあり 再開するようになりました。
これからは ちょこちょこ更新するよう努力します。

どーぞよろしく。
下垂仲間に会いました[2008年02月04日(Mon)]
今日は 以前から約束していた ママさんと会う。
同じ市内に住んでいるので、気軽な気持ちで出かけた。

お子さんもご一緒。
おしゃまで とてもかわいい女の子。
いつも思うが、「眼瞼下垂」と一言にいっても
おひとり、お一人 症状や程度
ご家族のお悩みも様々だ。

私は帰ってから 
おかあさんを悲しませるようなことを言ってしまったかもしれないと
すこし気になってしまった。

相手の気持ちをおもんぱかることは 
ほんとうに難しいことなのだと いつも思う。

それと同時に
私自身が 同じ悩みを抱えたママさんに会えることは 
いろんな意味で励まされることが多く
これからも こういう機会は どんどんふやしてゆこうと 思う。
まずは 知ってほしいこと[2007年09月26日(Wed)]
先天性眼瞼下垂という病名をきいたとき
たいていの人は 「???」だったと思います。
そして「どうして?」と 思ったはず。
そして「この病気の原因は いったいなんなの?」「わたしのせいなの?」「あの時の〇〇が原因だったの?」と 自分を責めたりしませんでしたか?
・・・おーばは、そうだった。
そして、同じように自分を責めたお母さんは 多かったようです。

でもね、
お子さんが先天性眼瞼下垂になったのは決してあなたのせいではありません。

確かに、医学的には
何らかの原因があったから 眼瞼下垂の症状が出たのでしょうが
おそらくは お腹の中にいたときに、それもかなり早い段階で運命付けられました。
それを防ぐ手立てはありませんでした。

眼瞼下垂はたしかにつらい疾患ですが、
きちんと治療することで 日常生活における支障はかなり軽減できます。
そして、身近に同じ境遇の人は少ないですが
でも ひとりじゃないです。 仲間はいます。

これから、一緒に 勉強しましょう!
NPOをつくる意味[2007年09月25日(Tue)]
私のやっている活動は 非営利活動です。
なので 広い意味のNPOを名乗っても 問題はないのですが
NPOというと 世間一般では
「特定非営利活動法人」を指すことのほうが多いです。
法人格をもつNPOと そうでないNPO
実際の仕事は同じでも 前者のほうが信頼される存在であるというのが現実。

ことしになってからというもの
法人としての眼瞼下垂の NPOを作ることをめざして 
本を読んだり いろいろなセミナーに参加してみたりと
研鑽をしています。

法人格は 手順さえ踏めば 間違いなく承認され、得ることができるのですが
「作る」ことよりも どんな活動をしてゆくのかが 問題であって、
よほどしっかりした ビジョンがなければ 
継続させてゆくことができません。

眼瞼下垂のお仲間のみなさんを 
NPOの会員としてお招きすることを検討していましたが
そのためには 
団体として何をするのか 将来どうしたいのか などということを
きちんと 考えをまとめる必要があるし、
一緒にやってくださる人の意見を大切に考えながら 
いい活動をし続けてゆかなければなりません。

そんなことをつらつらと考えていて、
なかなか一歩を踏み出せずにいるところであります。
私のスタンス[2007年09月25日(Tue)]
まずはおーばの考えを お話します

私は 眼瞼下垂の患者本人ではありません。
なので、どうしても 眼瞼下垂の方の気持ちを 本当の意味で理解できません。
過去には 
無知が故に そして 私の考えが甘いがゆえに
当人のお気持ちを逆撫でしたり 怒らせてしまったりしてきました。

眼瞼下垂の当事者は どういう気持ちでいるのだろうかということを
知ろうという努力は してきたつもりです。
多くの本を読んでみたりしました。
心理学を学びはじめたのも 
眼瞼下垂の方がたの気持ちを、理解したかったから なのです。

でも いろいろやってみて 結局 わたしがわかったのは 
「本人の気持ちは 本人にしかわからない」
ということでした。


私は、考え方を変えてみることにしました。

当人にしかわからないということならば、
本人同士で 話をすることでしか 癒されないのだとしたら
「積極的に 本人たちが交流を持つ環境」をつくればいいのではないかしら、と。

眼瞼下垂のサイトの電子掲示板や
MIXIのようなソーシャルネットワークシステムのコミュニティで知り合い
機会があれば 実際に会ってはなしをする。
そして、同じように悩みを持つ人がいれば その人を当人同士がサポートしあう。
こういう取り組みができたとしたら、いいですよね。

でも 
そういう仕組みが出来上がるまでには すこし時間がかかりそうです。
しばらくのあいだは 私も 口を挟んだり 首を突っ込んだりしたり 
していこうかなって、考えているところです。
ごあいさつ[2007年09月25日(Tue)]
がんけんかすい・おーば です。

先天性眼瞼下垂の子の母になって7年が経過しました。
がんけんかすいの広場というサイトを運営して5年。
人生が丸ごと変わるような大変革をつぎつぎと経験してまいりました。

去年は NPOを設立させるぞ!なんて 野望を抱いておりました。
その理想のもとに、永年勤めていた看護師の仕事も 昨年末で辞めました。

2007年になって、いざ!スタートと思っていましたが
NPOになるメリットってなんだろう?とか 
自分が本当にやりたいのは なんなのだろう?という
根本的な問題で立ち往生してしまい
頓挫の真っ最中です。

そんななかでも、いくつかのセミナーに参加したことによって
NPOの土俵ですでにがんばっている人や、
(たいていの人は、私よりも若いんです〜)
患者支援活動に情熱を傾けている人たちと交流できたことは
自分のこれまでの活動を見直すよいきっかけになりましたし、
【自分の進むべき道】っていうのが
ちょっとずつ かたまってきましたので
頓挫とはいえ カメの歩みで前進中 だと自分なりに考えてます。


今回このブログを書き始めたのは
「がんけんかすい・おーば」としての 過去現在そして未来について
書いていこうと思ったからです。

よろしくお願いいたします。

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