
幼児期手術は 親のため?[2008年03月03日(Mon)]
わが子が先天性眼瞼下垂だと わかったとき
親は 少なからずショックを受けます。
わが子が「見た目」でイヤな思いをするようなことがあったとしたら
親として こんなにつらいことは ないと
わたしも そう思っていました。
眼瞼下垂の子を持つ親の気持ちも様々です。
数年前までのわたしは
手術をしてくれる病院こそが いい病院
だと おもっていました。
手術をしない方針だと 言われると
その病院を責める気分にさえなりました。
なので 今 わが子に一日も早く手術を受けさせたい人の気持ちは
自分のことのように わかります。
幸いにも
この気持ちを汲んでくれる病院も 全国探せば あります。
そして
そういった病院には 患者が殺到するっていう事実も あります。
今だからそう思うんだけど
幼児期の手術は 親のために行っているんだなあって 思います
見た目を改善することで
毎日顔を合わすわが子にも より 深い愛情を持つことが出来る
まえよりかわいくなった とか
これで いじめられなくなるかな とか
これで 周囲の目が気にならなくなったな とか思いながら
そういう うれしい気持ちで その後の子育てができる。
親が 手術で 安心感を得るのです。
こんな書き方をすると
特に眼瞼下垂の当事者にとっては
「親のエゴイズムまるだしだ!」って 不快に思う人もいるかもしれません
でも
親だって 生身のニンゲンです。
落ち込んだり 自分を責め続けて生きてゆくより
安心して 満足して生活できる道があるならば
それを求めることは 当たり前のことなのです。
どの方法をとっても リスクは負います
そのリスクを しっかり認識していれば いいのでしょう。
たいせつなのは
きもちの面をサポートできる 存在かもしれません。
お母さんにとっては だんなさまや ご両親 友人 など
一緒に考え 悩みを共有できると
お母さん自身の抱える 不安や苛立ち 孤独などが緩和され
いい方向に進むこともできるんじゃないかなあ って 思います。
親は 少なからずショックを受けます。
わが子が「見た目」でイヤな思いをするようなことがあったとしたら
親として こんなにつらいことは ないと
わたしも そう思っていました。
眼瞼下垂の子を持つ親の気持ちも様々です。
数年前までのわたしは
手術をしてくれる病院こそが いい病院
だと おもっていました。
手術をしない方針だと 言われると
その病院を責める気分にさえなりました。
なので 今 わが子に一日も早く手術を受けさせたい人の気持ちは
自分のことのように わかります。
幸いにも
この気持ちを汲んでくれる病院も 全国探せば あります。
そして
そういった病院には 患者が殺到するっていう事実も あります。
今だからそう思うんだけど
幼児期の手術は 親のために行っているんだなあって 思います
見た目を改善することで
毎日顔を合わすわが子にも より 深い愛情を持つことが出来る
まえよりかわいくなった とか
これで いじめられなくなるかな とか
これで 周囲の目が気にならなくなったな とか思いながら
そういう うれしい気持ちで その後の子育てができる。
親が 手術で 安心感を得るのです。
こんな書き方をすると
特に眼瞼下垂の当事者にとっては
「親のエゴイズムまるだしだ!」って 不快に思う人もいるかもしれません
でも
親だって 生身のニンゲンです。
落ち込んだり 自分を責め続けて生きてゆくより
安心して 満足して生活できる道があるならば
それを求めることは 当たり前のことなのです。
どの方法をとっても リスクは負います
そのリスクを しっかり認識していれば いいのでしょう。
たいせつなのは
きもちの面をサポートできる 存在かもしれません。
お母さんにとっては だんなさまや ご両親 友人 など
一緒に考え 悩みを共有できると
お母さん自身の抱える 不安や苛立ち 孤独などが緩和され
いい方向に進むこともできるんじゃないかなあ って 思います。
コメントありがとうございます。
この回はちょっと、強引な記事の書き方をしていました。
ひなさちさん同様不快に思った方もいっぱいいらっしゃったでしょう。
配慮に欠けていたことを、深くお詫びいたします。
眼瞼下垂とひとくちに言っても
程度は様々ですし、目に見えない(筋肉の働き)所まで考えると、だれひとりとして同じ人はいないと思います。
ひなさちさんの娘さんの場合、1度目の手術では視野を多少広げることに成功したけれど、まだまだ目の開き方が十分ではないのですね。
視力を確保するための手術までを否定しません。
手術の時期については、ひなさちさんの望む時期と、担当の医師の考える時期が それぞれあると思いますので、納得の行く話し合いができることを 期待します。