3月21日(木)10;00〜17:00 参加者:27名
にんげん図書館と名古屋都市センターと共催で実施、図書で調べて編集するオープンデータワークショップを開催しました。←ウィキペディアの編集とオープンストリーとマップの編集一緒にやる=オープンデータソンということで他の地域ではやってます。
午前中は尾頭橋がどんな地域なのかを理解する尾頭橋ミニ講義を、名古屋都市センター元研究員、名古屋都市計画史の編纂にも携わった杉山正大さんにお話いただきました。
江戸時代には佐屋街道が開かれ、明治、大正、昭和期の街の交通網が整備された頃には市電が走り、江川線が整備されていったこと。街が遂げてきた変化をお話しいただきました。
そして街歩きへ出発。解説してくれる人が現地にいるというスタイル(ブラタモリ風)
佐屋街道の道標を眺め、堀川にかかる橋を通り、右手にウインズ名古屋(場外馬券場)江川線の横断歩道を渡ると尾頭橋商店街。名古屋の主要な道路である江川線の「江川」は川のこと。
もっともっと北に行くと、かつては川があったので江川線。尾頭橋の江川線の下には川はなく、もう少し西の方にかつては走っており、今はどうなっているのか??はわかりません。
不朽園に到着し、社長さんのお話を聞きました。
尾頭橋といえば、不朽園。この地域で和菓子を製造販売している老舗です。
お彼岸の日の和菓子屋さんでお話をしていただくなんていいかしらとドキドキお願いしたら快くお引き受けいただき、最中まで参加者にいただける!!
1927年大須で操業を開始し、戦後、尾頭橋の地にお店を移しました。
当時の街のにぎわいの様子、生活文化の変化による和菓子業界の変化についてのお話を伺いました。昔は、ナゴヤ球場野球中継を7回くらいまで家のテレビで見て、8回以降、ナゴヤ球場が無料開放されるタイミングで家か走り、野球を見に行く・・ということもしていたそうです!
そのあと、金山・尾頭橋の交通、市電尾頭橋電停について、うしだよしゆきさん(富士山滑り台研究家)→富士山滑り台の研究家だけど、色々お話できる方なのでお願いしました。
今は金山総合駅となり、交通の結節点となっているけど、長く金山には駅は存在していなかった。
金山⇄尾頭橋を結ぶ路線はなかったこと。今の風景を当たり前のものとしてみているけど、その時代の交通網により人の動き、街の姿も違ったのですねぇ。
街歩きが終わり、午後は編集タイム、そして発表。
最後にオープンストリートマップ&ウィキペディアの成果発表と両チーム混ぜこぜにしての振り返りを行いました。
後日、「ここをこうするべきだった、ここが足りなかった、もっと調べたい、修正したい・・」とい意見も出てきて、継続的な場をつくりたいとも考えていたため、4月20日に実施します。
地域の資料、地域の歴史に親しむ、学び合う場所とツールを習得していく場。
記事をみんなの手でよりよくしていく場。
こじんまりとつくっていきたいなと考えています。
そんなことをしたいという仲間もできてきました!
事前準備チームのみなさん、当日フォローしてくださった方々、ほんとにありがとうございました〜。今回は事前の準備をチームをつくってやってみたのが新たなチャレンジでした。
準備も含めて文献にあたる、手足を動かして街に触れるようなことを、会を実施するまでの過程に設計できるといいなと思いました。
2019年03月29日
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