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2019年02月19日

本を読まなくても参加できる読書会をするわけは 

2月16日(土)10;00〜12:00
参加者:8名

本を読まなくても参加できる読書会、つんどくらぶ「内臓とこころ」でした。

この本で3回目!第3章、最終章を読みました。
3回もやったからこそ、この本が深く読めた、この本の中でたくさん出てくる言葉「内臓思考」「大脳思考」「遠」という意味もわかってくる、理解が積み上がり、最後まで読めたように思います。前回の振り返りとして、前回、前々回参加した人にどんなことが印象に残ってる?どんなことを話した?ということを聞いてお話ししてもらいました。

その中で、読んだのに「あーなんだか全然覚えてない〜アハハ〜」
というコメントもたくさんあったけど、「覚えてないアハハで」いいのではないかと、一番最後に一人で振り返って気づいた。

本を読んだのに何も覚えてないから、読んだ意味がないとか、本を読んだことを覚えているから身になっているとか、買ったのに身になってない・・と考える、損得で考えることがこの本で伝える「大脳思考」であり、面白いと感じる、その人自身の人生や生活につながる実感があり、楽しいという心の動きがあったらそれでいい。それが「内臓思考」
そして読んだこと、感じたことは自分の無意識の世界につながって、何かどこかで意識や視点や行動の変化となっている「かも」。

この本は講演録であり、急に話がぶっ飛んだりするところもあったりして、一人で読むとくじける本で、買ったけどつんどくしていた本だった。人と話しながらだから読めるんだなぁ。

毎回毎回、新しい人が参加してくること、本を読むことを気楽に楽しみ、気楽に話す。
その著者の信者のようになっている人たちの集まりでもなく、知識のある人が優位に立ち、ひけらかすような場でもなく、閉じた仲間のような集まりでもないから、新しい人も、普段本を読まない人も入れる場になっているのだなぁと思う。




なぜ「本を読まなくてもいい読書会」をしようと思ったのか

読書にはたくさんの「ねばならない」こと、本を読むことそのものが何か高尚で難しそうで、自分には縁遠いものと思わされているということが多いから。

読んでない、わかってないとバカにされるとか、話に入れない・・
読んでいる人や知識のある人の方が優位に立つ関係性がある・・。

それもこれも、本を読むことを「義務、苦しい、つまらない、こむつかしい」ことであるかのように刷り込まれててきたことだと思う。

本を最後まで読んでない、つんどくばかり・・それでいけないなんてことはない。
もしも読めなかったら、積ん読になったなら、また話しましょうね〜バイバイーと思っていいのではないかと思う。

「ねばならない」から読むのではなく、自分が楽しいから読む。そんな風に本と付き合えることを願って、つんどくらぶを続けてきたのです。

本を通した対話の場、これからも楽しく続けていきたいと思いました。

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