不登校をしていた子どもたちのその後。生き生きと過ごしている若者たちに共通するもの。[2014年08月29日(Fri)]
長い夏休みが終わり、すでに学校が始まっているところや9月1日から学校が始まるところ等、地域によって様々ですが、毎年この時期は子どもたちが自らの命を絶つ事が多い時期でもあります。
今年はどうだろうかと心配しているところです。
様々な立場の大人たちが、いろいろ対策をとっているようですが、その対策が的外れでないことを願います。
不登校も、長い休み明けになることが多く、もしかしたら、お子さんの不登校の事で悩んでいらっしゃる親御さんも多いかもしれません。
子どもたちの中にも「不登校は悪いことだ」と刷り込まれているので、極限まで我慢をしている場合も多いと思います。
その我慢の限界を超えて、周りの大人たちが何をしても、子どもが「学校に行かない・行けない」状態になった時、親御さんが何をしたらいいのか、これは非常に大きな問題です。
学校に行かなくなった我が子をますます責めるのか、ありとあらゆる場所に連れていこうとするのか、親御さんの言動がその後のお子さんの気持ちに大きく影響を与えることになります。
新聞・テレビの情報や学校・教育委員会から言われることは、「とにかく不登校を解決しよう」という話になります。
しかし、不登校を経て、社会に出ている若者たちを見ると、「不登校を解決しようと周りが思わない」ことが結果としてよかったと思える事例がたくさんあります。
先日ある方と話している中で、「中学校で不登校してたらしいお子さんが、今は高校生年齢になっていて、自分の夢に向かってアルバイトをしながら学んでいる」という話が出てきました。
「本人がやりたいことを、親はサポートするだけですよね」と言われ、大きく同意しながら「そうですよ〜。」と話しました。
他にも、「学校から心療内科に行くことを勧められたけど、病気でもないし行く必要はないから、きっぱり断った」そうです。
ここは重要なポイントだと思います。
学校や周りの人から病院を勧められ、実際子どもを病院に連れていった場合は、必要のない薬を飲まされたり、子ども本人も不登校をしていることを理由に自分を否定してしまい、出口の見えないひきこもりになる場合があります。
反対に、親や家族が「精神科・心療内科の病院に連れて行くこと」をきっぱり断る、必要ないと思っている場合は、その後早い時間で、子どもたちは自分のやりたいことを見つけていっているように思います。
さらに、別の話では、約10年ほど前にできた場所で学んでいた若者たち(一期生)が同窓会を開いたそうで、数年間をその場所で過ごした後は、それぞれのやりたいことをしながら今にいたっているという話を人づてに聞きました。
その場所を卒業してから、何をしていたのか、現在何をしているのか、それぞれのストーリーが非常に個性的で、いろいろあっただろうけれども、生き生きと過ごしている様が伝わってきました。
その場所というのは、できた当時はテレビ・新聞で「フリースクール」と紹介されていましたが、フリースクールではありません。
講師が決めたカリキュラムがあり、講師と生徒が「おもしろい」と興味を持つ事・面白い事を授業に取り入れたり、個性的な学びをする場所でした。
(過去形なのは、現在どうなっているのか知らないので、あくまでもできた当時の話です。)
このように書くと、なんてすばらしい場所だと思われるかもしれませんが、この場所の運営者や講師たちが素晴らしかったという話ではありません。
たまたま集まった子ども・若者たちが、非常に個性的で、自分の意見をしっかり持ち、お互いを尊重しあいながら、時にはケンカもして、10代を過ごしたその時間がよかったという話です。
少ない人数でも人が集まれば、当然人間関係のトラブルも起きます。
それを、その場にいる子ども・若者たちが自分たちで解決したり、時には大人たちの助けを借りたりしながら、切り抜けて行ったのだろうと思います。
中には、やめていった子どもたちもいます。
(※2014年8月31日修正しました。
誤解されてはいけないので、「残念ながら」の文字を削除しました。
場所をやめることはマイナス要素ではなく、ストレスになる場所であれば、積極的にやめていくことも必要です。
また、他にしたいことが見つかったり、何かに挑戦するために今いる場所をやめるという場合など、決して同じ場所に居続けることがいいとは限りません。)
でも、そのような事が起きるのは、当たり前で、重要なのは、それぞれの子ども・若者たちがどのように対処していったのかということです。
大人たちから行動を指図され、大人が思う「いい子」を演じ続けていたら、おそらく今現在を生き生きと過ごせてはいないと思います。
そして、偶然集まったわけですから、おそらく二度とこのような子ども・若者たちの集まりはできないだろうと思います。
それともう一つ、重要なのは、学校に行かずに過ごすこの場所を家族や周りの大人たちが否定せず、応援していたということです。
この場所の講師の中には、酷い人もいましたが、途中で自分から辞めていきました。
おそらくこの場所の居心地が悪かったのでしょう。
いずれも、共通するのは、
“子ども・若者本人も周りの大人たちも「学校に行っていないこと」・「不登校をしていること」を問題視せず、子ども・若者たちのやりたいようにできた。
その結果、子ども・若者たちは自分のことを否定することなく、自分のやりたいこと・興味を持ったことをやりながら、生き生きと過ごすことができている。”
と、いう事です。
ここで、さらに重要なことは、「大人が作る居場所ではなく、子ども・若者たちが自分たちで作っていった居場所で過ごした方が、子ども・若者たちは生き生きと過ごせる。さらに、数年たつと卒業していき、それぞれが自分の夢ややりたいことを実現するために、新しいことに挑戦していっている」ということだと思います。
不登校の当事者研究をする必要もないし、不登校していたことに全然こだわる必要はありません。
周りに流されることなく、自分のやりたい事・興味のあることを追及していくという事のみです。
言葉で説明するのは、なかなか実感がわかず、伝わりにくいので、なんのことだかわからないと思われる方も多いかもしれません。
とにかく、国や県市町村等の各種行政機関(教育委員会等不登校を問題視している人たち)や新聞・テレビ等のメディアが言っている事とは真逆な事をしていた子ども・若者たちの方が早く自分のしたいこと・夢を見つけて社会に出ているという事をお伝えしたいと思ったのでした。
「もっと詳しく知りたい」とか、「どういうことなのか説明してほしい」と思われた方は、
ぜひ9月27日の勉強会にご参加ください。
(※但し、個人情報に該当する話はしませんし、できませんので、ご了承ください。
勉強会の中で話をさせていただくのは、個人が特定されない部分だけです。)
勉強会はどなたでも参加できます。
今年はどうだろうかと心配しているところです。
様々な立場の大人たちが、いろいろ対策をとっているようですが、その対策が的外れでないことを願います。
不登校も、長い休み明けになることが多く、もしかしたら、お子さんの不登校の事で悩んでいらっしゃる親御さんも多いかもしれません。
子どもたちの中にも「不登校は悪いことだ」と刷り込まれているので、極限まで我慢をしている場合も多いと思います。
その我慢の限界を超えて、周りの大人たちが何をしても、子どもが「学校に行かない・行けない」状態になった時、親御さんが何をしたらいいのか、これは非常に大きな問題です。
学校に行かなくなった我が子をますます責めるのか、ありとあらゆる場所に連れていこうとするのか、親御さんの言動がその後のお子さんの気持ちに大きく影響を与えることになります。
新聞・テレビの情報や学校・教育委員会から言われることは、「とにかく不登校を解決しよう」という話になります。
しかし、不登校を経て、社会に出ている若者たちを見ると、「不登校を解決しようと周りが思わない」ことが結果としてよかったと思える事例がたくさんあります。
先日ある方と話している中で、「中学校で不登校してたらしいお子さんが、今は高校生年齢になっていて、自分の夢に向かってアルバイトをしながら学んでいる」という話が出てきました。
「本人がやりたいことを、親はサポートするだけですよね」と言われ、大きく同意しながら「そうですよ〜。」と話しました。
他にも、「学校から心療内科に行くことを勧められたけど、病気でもないし行く必要はないから、きっぱり断った」そうです。
ここは重要なポイントだと思います。
学校や周りの人から病院を勧められ、実際子どもを病院に連れていった場合は、必要のない薬を飲まされたり、子ども本人も不登校をしていることを理由に自分を否定してしまい、出口の見えないひきこもりになる場合があります。
反対に、親や家族が「精神科・心療内科の病院に連れて行くこと」をきっぱり断る、必要ないと思っている場合は、その後早い時間で、子どもたちは自分のやりたいことを見つけていっているように思います。
さらに、別の話では、約10年ほど前にできた場所で学んでいた若者たち(一期生)が同窓会を開いたそうで、数年間をその場所で過ごした後は、それぞれのやりたいことをしながら今にいたっているという話を人づてに聞きました。
その場所を卒業してから、何をしていたのか、現在何をしているのか、それぞれのストーリーが非常に個性的で、いろいろあっただろうけれども、生き生きと過ごしている様が伝わってきました。
その場所というのは、できた当時はテレビ・新聞で「フリースクール」と紹介されていましたが、フリースクールではありません。
講師が決めたカリキュラムがあり、講師と生徒が「おもしろい」と興味を持つ事・面白い事を授業に取り入れたり、個性的な学びをする場所でした。
(過去形なのは、現在どうなっているのか知らないので、あくまでもできた当時の話です。)
このように書くと、なんてすばらしい場所だと思われるかもしれませんが、この場所の運営者や講師たちが素晴らしかったという話ではありません。
たまたま集まった子ども・若者たちが、非常に個性的で、自分の意見をしっかり持ち、お互いを尊重しあいながら、時にはケンカもして、10代を過ごしたその時間がよかったという話です。
少ない人数でも人が集まれば、当然人間関係のトラブルも起きます。
それを、その場にいる子ども・若者たちが自分たちで解決したり、時には大人たちの助けを借りたりしながら、切り抜けて行ったのだろうと思います。
中には、やめていった子どもたちもいます。
(※2014年8月31日修正しました。
誤解されてはいけないので、「残念ながら」の文字を削除しました。
場所をやめることはマイナス要素ではなく、ストレスになる場所であれば、積極的にやめていくことも必要です。
また、他にしたいことが見つかったり、何かに挑戦するために今いる場所をやめるという場合など、決して同じ場所に居続けることがいいとは限りません。)
でも、そのような事が起きるのは、当たり前で、重要なのは、それぞれの子ども・若者たちがどのように対処していったのかということです。
大人たちから行動を指図され、大人が思う「いい子」を演じ続けていたら、おそらく今現在を生き生きと過ごせてはいないと思います。
そして、偶然集まったわけですから、おそらく二度とこのような子ども・若者たちの集まりはできないだろうと思います。
それともう一つ、重要なのは、学校に行かずに過ごすこの場所を家族や周りの大人たちが否定せず、応援していたということです。
この場所の講師の中には、酷い人もいましたが、途中で自分から辞めていきました。
おそらくこの場所の居心地が悪かったのでしょう。
いずれも、共通するのは、
“子ども・若者本人も周りの大人たちも「学校に行っていないこと」・「不登校をしていること」を問題視せず、子ども・若者たちのやりたいようにできた。
その結果、子ども・若者たちは自分のことを否定することなく、自分のやりたいこと・興味を持ったことをやりながら、生き生きと過ごすことができている。”
と、いう事です。
ここで、さらに重要なことは、「大人が作る居場所ではなく、子ども・若者たちが自分たちで作っていった居場所で過ごした方が、子ども・若者たちは生き生きと過ごせる。さらに、数年たつと卒業していき、それぞれが自分の夢ややりたいことを実現するために、新しいことに挑戦していっている」ということだと思います。
不登校の当事者研究をする必要もないし、不登校していたことに全然こだわる必要はありません。
周りに流されることなく、自分のやりたい事・興味のあることを追及していくという事のみです。
言葉で説明するのは、なかなか実感がわかず、伝わりにくいので、なんのことだかわからないと思われる方も多いかもしれません。
とにかく、国や県市町村等の各種行政機関(教育委員会等不登校を問題視している人たち)や新聞・テレビ等のメディアが言っている事とは真逆な事をしていた子ども・若者たちの方が早く自分のしたいこと・夢を見つけて社会に出ているという事をお伝えしたいと思ったのでした。
「もっと詳しく知りたい」とか、「どういうことなのか説明してほしい」と思われた方は、
ぜひ9月27日の勉強会にご参加ください。
(※但し、個人情報に該当する話はしませんし、できませんので、ご了承ください。
勉強会の中で話をさせていただくのは、個人が特定されない部分だけです。)
勉強会はどなたでも参加できます。



