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こちらは、東京・新宿にある乳児院と保育園を中心に調布、小平に児童養護施設、保育園を持つ社会福祉法人二葉保育園のいまを伝えるブログです。創業110年以上(創業1900年)の歴史を持つ草分け的な子ども福祉一筋の二葉。この二葉のいま、そしてこれからを余すところなく、たのしくお伝えしていきます!
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眼から得る情報は、耳から入る情報より強烈である・・・ [2019年11月01日(Fri)]
120周年を迎えるにあたり、横断幕を掲げて、社会にアピールをと考えた経緯は、JR中央線・総武線から乳児院が一番見える立地を活かしたからである。
 初めに110周年記念の時に横断幕を掲げた時は、横断幕の長さも予算上も少なくアピール不足かと考え、今回の120周年では、懸垂幕として、縦に使いたいと考えた。目分量で8メートルと考えて、後はキャッチフレーズと取り組みました。法人の理念から頂いた文章で「すべての子どもが愛され、健康で育つことを願って歩み続けます。」とした。色合いやデザインの直しを5回繰り返し、これでGOサインとなった。発注を無事に終え、到着を待つだけになった。
 さて、お披露目の日に乳児院から垂らすと8メートルが長く、丈を余らしてしまいだらーんとなり、そのまま3日ほど置いて週末を過ごすと雨も降り、120周年に泥を塗るような形になり、急きょ、南元保育園の非常階段から垂らすことになる。すると何ということでしょうか、さも、そこに初めから予定していたような落ち着きを伴って、堂々と懸垂幕として役割を果たしているようでした。今は、そこにあるのが当たり前になっていて、この地域の人をはじめ内外に120周年を伝えている。
< 創立120周年記念実行委員> 都留和光

              MVIMG_20191101_131530.jpg               
Posted by 社会福祉法人二葉保育園 at 13:05
野口幽香賞応募者を大募集  [2019年10月16日(Wed)]

社会福祉法人二葉保育園は2020年1月に創設120年を迎えます。その記念として創設者を顕彰して「野口幽香賞」を創設しました。今日の社会福祉の制度的な基盤は明治時代に見ることができますが、今日の保育園に繋がる事業が、野口幽香とその仲間たちによって120年前に産声をあげました。以来、わが国の保育制度は発展し続けています。
 社会福祉の歴史の中で顕著な働きをした先駆者を記念し、顕彰して、その名前を冠した「賞」がいくつかあります。「石井十次賞」「糸賀一雄記念賞」、「賀川豊彦賞」等があります。この方々が取り組んだ事業は、さまざまな社会的、経済的状況の変化にあっても、人間の命と生活を守り、豊かな人生を切り開いてくうえで普遍性を持った事業であったのです。ゆえに、この方々の興した事業は時代の変化と共により充実し、発展を続けています。野口幽香の働きもこれと同じ意味を持つと思われます。ここで野口幽香の生涯とそのはたらきを松本園子先生が記されたものを紹介します。

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野口幽香の生涯とそのはたらき

 野口幽香(ゆか)は1866(慶応2)年2月1日、明治維新の動乱期、現在の兵庫県姫路市で生まれた。新しい時代を前向きに生きた父と、明るくおおらかな母は、娘が広く知識を吸収し学問することを望んだ。小学校卒業後は男子ばかりの姫路中学校に進学したが継続できず中退、19歳で東京女子師範学校(後,東京女子高等師範学校)に入学した。寄宿舎で同室の上級生尾藤初子から「自分は東洋のフレーベルになる」という夢を聴き,親しく語り合う中で,幽香もまた保育者となる夢を抱いた。
 幽香は在学中父と母を相次いで亡くした。失意の彼女は級友に誘われキリスト教会に通うようになり、23歳のとき洗礼を受け,熱心なクリスチャンとして生きることとなる。
 1890(明治23)年,東京女子高等師範学校を卒業した幽香は,母校の附属幼稚園に勤務したが、4年後、華族女学校(後、学習院女学部)に幼稚園が創設されるにともない転任し、以後長く勤務することとなる。華族女学校幼稚園の同僚、森島峰は米国で貧民幼稚園について学んだ人であった。二人は麹町に住まい、永田町の華族女学校幼稚園に通った。通勤の途中、朝も夕も往来に放任された貧しい家の子どもたちの姿をみかけ、この子たちにこそ幼稚園が必要だ、自分たちの手で幼稚園をつくろうと夢が膨らんだ。   
 番町教会の宣教師ミス・デントンの協力も得て、慈善音楽会を開催して開設資金を準備し、1900(明治33)年1月、麹町下六番町(現在の千代田区六番町)に小さな家を借りて、近所の6人の子どもを集めて幼稚園を始めた。 
 その後、二度の移転を経て、1906(明治39)年3月、当時貧困者が多数居住していたスラム街四谷鮫ケ橋(現在の新宿区南元町)に園舎を新築し,ここで本格的な,いわば社会事業的幼稚園の実践が展開された。
二葉は幼児の保育だけでなく、貧困ゆえに学校に行けない子どもを受け入れる事業、幼い子どもをかかえて困窮する母子のための「母の家」等々、時代の必要に応じて多様な取り組みを行い、二葉は枝葉をのばして成長していった。日露戦争(明治37~38年)の後,広がる社会矛盾への対応として,国は救済事業の奨励に着手した。二葉幼稚園も貧困家庭とその幼児のためのモデル事業として,1909(明治42)年より内務省の補助金を受けることとなった。そして,1916(大正5)年,文部省管轄下の幼稚園から内務省の保育事業に切り替え,名称も「二葉保育園」と改めた。
 幽香は日本の近代化における幼児教育、特に貧民のための幼児の教育と生活を守るためのこれらの事業の中心的な担い手であり、指導者であった。幽香の生涯はキリスト教精神に貫かれ、その事業は一人ひとりの子ども、親を大切にする優しさ満ちたものであった。この実践は今も二葉に継承され、枝葉となって茂み続けている。幽香は1955(昭和25)年84歳で天に召された。
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 野口幽香のはたらきは今日にも脈々と受け継がれています。そして、全国にもこのはたらきに類した活動が多くあるのではないでしょうか。それらをご推薦いただき、励ましと、顕彰をしたいと思います。
Posted by 社会福祉法人二葉保育園 at 10:22
自立援助ホームトリノスの公式ホームページがオープンしました! [2016年07月28日(Thu)]
長らく更新をしていませんでしたが、おかげさまで4月に開設した自立援助ホームトリノスもいろいろありながらも順調に運営を進めてきています。

そのトリノスの公式ホームページがオープンしました。
ぜひ一度ご覧になってみてください。

http://www.futaba-yuka.or.jp/torinos/


また、11月26日(土)に西武新宿線小平駅から徒歩すぐの小平市民文化会館「ルネこだいら」にて、当法人の運営する小平の児童養護施設二葉むさしが丘学園の改築費用と、このトリノスの運営費へのご協力をお願いするチャリティコンサートを開催します。

詳細はブログでまた書きますが、以下に特設ページを載せます。
こちらもぜひ足を運んでみてください。

http://www.futaba-yuka.or.jp/charity2016/


「関東は梅雨明け」と今朝の天気予報で言っていました。本格的な夏になりますね。
二葉南元保育園の屋上の米ナスがごそごそ生り始めました。

eggplants.JPG
Posted by 社会福祉法人二葉保育園 at 09:24
寄付物品のお願い★ [2016年02月20日(Sat)]
自立援助ホームスタッフのスミヒト(宮崎)です。
昨日の小春日和が嘘のような鉛色の空ですね。

さて、先日お伝えしていた寄付の依頼リストを掲載します。
現在、自立援助ホーム開設に向けて着々と準備を進めているところです。
皆様からのあたたかいご支援をよろしくお願いいたします!

http://www.futaba-yuka.or.jp/pdf/torinos_donation.pdf

トリノス外観.JPG
Posted by 社会福祉法人二葉保育園 at 10:15
トリノスのスタッフから [2016年02月18日(Thu)]
こんにちは。

トリノス児童指導員の淳子(三浦)です。

今後、トリノスの様子をマメに載せてまいります。
このブログでも、トリノスに興味を持たれて入居してみたいな〜と思っていただけたり、入居する方々への支えを私達と一緒に協力してみたいと思っていただけたりと、みなさまと繋がらせていただけるキッカケになれたらいいなと思っております。

さて、トリノスの近況報告ですが、家に電気と水道とガスが通りました。4月スタートに向けて、スタッフも玄関直ぐの一室でミーティングをしたりしております。
とても、とても、静かな環境です。

初めて 鍵を開けて家の中に入った日、とても小さなゴキブリの足を発見しました。キャー!と叫んだ私の声が、多分、近隣の何方かに聞こえたかも知れません。お騒がせ致しまして申し訳ございません。

しかしながら家具の無い家の中というものは、声も良く響きますね。私の声に驚いたナベさん(渡辺)とスミヒトさん(宮崎)も目を丸くしておりました。開所式前に騒音での苦情が入らならないように気をつけます。

そして、 何も無いトリノスに、静かに寄付物品が届き始めました。

新品の食器、
フェイスタオル、

towel.jpg

シーツ、
ゲーム、
ペン、
などの小物類。

カラーボックス
整理箪笥
クリアボックス
台車
などの大きな家具類。
他に、自転車、
チーズフォンデュセット、
たこ焼き機、輪ゴムなどの寄付もいただきました。

早々のご寄付に感謝申し上げます。大切に使わせていただきます。

一般の方々への寄付のお願いを16日以降に載せさせていただきますので、ご協力いただける方はよろしくお願いいたします。

問い合わせ先、物品のお届け場所、時間帯などの詳細を載せさせていただきますので、16日以降のブログまでお待ちくださいませ。

インフルエンザが猛威をふるっております。どうかご自愛くださいませ。


トリノス 淳子

Posted by 社会福祉法人二葉保育園 at 14:00
二葉の今・昔 − 後編 [2016年02月08日(Mon)]
 私立二葉幼稚園報告は明治33年から毎年作成されていますが、毎回必ず、「保姆」の項目があります。第2回の報告には平野保姆の様子が概略以下の様に記されています。

 平野保姆は4月頃(明治34年)より病気がちでしたが、開設後人数が増えて転居したために、更に人数が増えてきたので、助手を探して採用したのでしたが、採用して4,5日後、まだ幼稚園のなんたるかもわからない時、無理を重ねていた平野氏がとうとう倒れてしまいました。急遽子どもは家に帰しましたが、平野氏の熱も下がらず、助手も勝ってもわかりませので、どうすることもできず、とうとう休園することにしました。
 急遽適当な人を探しましたが見つからず、休園は3週間になってしまいました。平野氏の回復も進まず、代わりの者も見つからず、苦境にありましたが、この状況を見るに見かねて、四谷頌栄幼稚園の方が2名来てくださり、6月中旬より、7月中旬までご尽力いただき、開園することができました。しかし、子どもにしてみれば慣れ親しんだ平野先生ではなく、見知らない先生で戸惑いもあったようですが、幼稚園に来ることができることはこの上ない喜びのようでした。

 各回の報告書には、保育者への様々な模様が報告されています。夏の保育をするようになったので、夏の2か月間は別に人を雇って保育者には休んでもらうようにする、とか、待遇は一人の質素なる衣食にもこと足りぬほどの有様なのに、大変熱心に働いてくださるので、感謝していることなど、書き記されています。

 今日も社会福祉の世界では、人手不足は深刻な問題です。二葉の初年度の出来事は共感を持って受け止めることができます。
 現在も保育や社会的養護のニーズは高いものがありますが、それらを担う人の質・量ともに不足しているのです。これは単に労働力不足から来る問題ではなく、根底にはこの種の労働に高い評価を与えない社会的背景から来る問題であると思います。
 明治期はまだまだ職員養成ができていなかったので、安定的に職員を確保することは大変なことであったと想像しますが、今日のように、潜在的に多くの保育者がおり、社会福祉教育を受けたもの達が多数いるのですから、何らかの方法で解決しなければならないと思うのです。

 社会福祉法人二葉保育園は、職員を大切にする集団でありたいと強く思いながら歩んでいます。今日の社会福祉制度の制約の中で、職員は必ずしも十分な労働環境と労働条件ではありませんが、職員の志を涵養し、自立性と自発性を促しながら、専門性の高いサービスを提供できる集団として成長していきたいと願っています。
 そうしなければ二葉の歴史の継承者としての役割を果たし得ないと考えるからです。

Posted by 社会福祉法人二葉保育園 at 12:20
二葉の今・昔 [2016年01月29日(Fri)]
二葉の今・昔

二葉の職員

 現在、社会福祉法人二葉保育園は280余名の職員が業務にあたっています。職種は児童指導員、保育士、看護師、栄養士、心理士、調理員、事務員等多様です。
 これらの職種はそれぞれ各事業をするにあたって、様々な法律、規則等で設置が義務づけられています。
 これら専門職の職員とともに、その人々を助ける働きをする者達もいます。また、子ども達の勉強を見て下さる方や植栽をして下さる方等、ご自分のやれることで関わってくださるボランテイの方等、本当にさまざまな方々によって二葉の日々はまわっています。

 かつて二葉幼稚園が設立されたときは、平野まちさん お一人が専任の保母として子どもの保育をしていました。
 創設者の野口先生と森島先生は華族女学校付属幼稚園の先生でしたから、公務を終えてから、隔日に二葉幼稚園に来て大切な事務をしたり、保育の様子を監督したりしていました。
 子どもは朝9時に来て、3時に帰ることになっていましたが、子ども達は朝食を終えるとすぐにでも幼稚園に行きたがり、朝の7時、8時から来てしまいます。また、土曜日、日曜日にも開園したと考えていますが一人の保母では如何ともしがたいものでした。
 子どもが日曜日に来て外から幼稚園を窺い見てさみしそうに立ち去る姿がある、と記されています。(明治33年7月、私立二葉幼稚園第1回報告より)

 社会福祉法人二葉保育園は今年で、116年目を迎えました。

 創設者の野口幽香先生、森島みね先生の高い志と、多くの支援者によって設立されて以来、この事業の働き人はどのくらいの人数になるか、計り知れないことです。
 しかし、二葉の事業はこの方々によって維持され、継承されてきました。この方々の熱意と献身によって今日のあることを肝に銘じなければなりません。

次号につづきます。
Posted by 社会福祉法人二葉保育園 at 11:41
自立援助ホーム トリノス 開設準備中 [2016年01月27日(Wed)]
皆様、初めまして。
自立援助ホームトリノス スタッフの渡辺です。

トリノスの準備の近況について、ご報告させていただきます。
既に、たくさんの方から寄付をいただいているのにも関わらず、
こちらの情報をお伝えできておらず申し訳ありません。

今後は、随時スタッフの活動状況について、こちらでお伝えしたいと思っています。
新年は二葉保育園創立者である野口幽香先生のお墓参りからスタートしました。

トリノス墓参り.JPG

野口先生の遺志を継いでトリノスも、多くの子どもに寄り添った支援をしていきたいと 思います。

トリノスは、現在リフォームを行うために関係機関との調整を行っています。
実際の工事はまだ始まっていないので、中は何もありません。4月開設(予定)にむけて、急ピッチで準備をすすめていきます。

トリノス2階和室.JPG

トリノスは、万願寺の浄水センターの側に立地しており、とても静かな環境にあります。
ホームの掃除などしていても、ほとんど人の声は聞こえません。
そんな静かなホームの中で、これから始まるにぎやかな生活に期待を膨らませて
支援の内容を3人で話し合っているところです。

トリノス2階リビング窓から.JPG

今日はホームのすぐ近くにある、土方歳三さんのお墓があることで有名な石田寺で
おみくじをひきました。
結果は、大吉。物事はすべてうまくいく、とのこと。
願わくば、トリノスの未来がそのようなものであってほしいと思います。

 今後とも皆様のあたたかいご支援をよろしくお願いいたします。
Posted by 社会福祉法人二葉保育園 at 15:26
クリスマスおめでとうございます - 後編 [2015年12月24日(Thu)]
雪クリスマスおめでとうございます。 ー 後編 ー 

◆2015年のクリスマスクリスマス
思いっきり飛んで今年のクリスマスの様子をご紹介します。今年のクリスマスは、12月13日二葉学園のクリスマスから始まりました。当日二葉学園の子どもたちは各グループホームから三々五々府中のルミエールに集まりました。始めに、二葉学園の子どもたちと職員達が参加して、東中野教会の鈴木牧師の司式によってクリスマス礼拝が捧げられました。クリスマスの物語を教えていただき、クリスマスは大きな喜びを分け与える時である。だからお互いに贈り物をして喜び合いましょう、というメッセージが語られました。

引き続いて、職員始め二葉学園の運営に重要な役割を担っている方々、ボランテイアの皆さん、法人の他の施設の職員など多くの大人の方も一緒に素晴らしい会食会がありました。美味しいものをたくさんいただき、子ども達や職員の楽しいパフォーマンスもあり、本当に楽しいひと時を過ごしました。子どもたちはお洒落をして出席していました。年々背丈も伸びて大きくなる子どもたちがたくましく感じるひと時でもあります。

12月18日は二葉くすのき保育園のクリスマス会でした。この日は保育園の3歳、4歳、5歳のクラスの子どもたちだけで、楽しい会を催しました。お客さんは理事長だけでした。くわがたさん(5歳児クラス)が、わらべ歌遊びを見せてくれました。次々と場面の変わるわらべ歌の楽しい動きは飽きることがありません。その後、クリスマスのベージェント(イエス様の誕生物語)を見せてくれました。水疱瘡が流行って、配役が急遽変わったりしましたが、とてもそうとは思えない出来栄えでした。お昼食は各テーブルにロウソクを立ててクリスマスの御馳走が並んだ楽しいお食事会でした。

二葉くすのき保育園の子どもたちはこの日、保育園から心のこもったプレゼントをいただきました。乳児のために、先生方は毎年アイデアを出し合いながら手作りのプレゼントを用意します。手袋のお人形は不思議にプレゼントする子どもの顔に似ていました。一人ひとりのマークが入った袋、おままごとのエプロンやスカートなど、毎年違うプレゼントをつくっています。これをもらっときの子どもの嬉しそうな様子や親たちの喜ぶ姿を想像すると心が熱くなります。幼児には人気のある絵本がプレゼントされました。

12月19日、二葉南元保育園のクリスマスは改築なった3階ホールで立錐の余地もないほどの保護者のご参加で始まりました。この保育園の行事は伝統が重んじられており、はじめにキャンドルサービスが行われました。年長児が一人ひとりペンライトをもって壇上に上がり、聖書の言葉を聞き、東中野教会鈴木牧師のお祈がありました。そのお祈りは、子どもや参加者にもよくわかるように、神様の大きな愛のしるしとしてのクリスマスの喜びと私たちの目指す日々の歩みを指し示すものでした。

今年から3歳児以上の子どもたちが中心で行われたキリストの降誕劇も長年引き継がれたシナリオで進められています。三人の博士にもそれぞれお名前がありました。降誕劇の前に1歳児や2歳児がかわいらしいパフォーマンスを見せてくれました。南元保育園はこれまでの倍の定員になりましたので、参加する保護者も多く、二葉のクリスが初めての方も多かったと思います。
同じ日に二葉乳児院のクリスマス会も盛大に行われました。乳児院のクリスマスは職員、ボランテアが一丸となって行われました。職員によるキャンドルサービスは黒いガウンを着て、ローソクを持って行われます。東中野教会の鈴木牧師の点火によって始まられ、聖書朗読、お祈りがあって讃美歌の合唱があり、落ち着いた雰囲気に包まれていました。

第二部では子どもたちの参加で、降誕劇が行われますが、かろうじて、マリアさんとヨセフさんは歩けますが、他はほとんどがよちよち歩きか、歩けない赤ちゃんたちですので、子ども一人に職員が一人ついているといういでたちです。乳児院の降誕劇の特徴はボイランテアさんが作ってくださる衣装が素晴らしいのです。羊になる子はぬいぐるみのような羊の衣装を着て職員に抱かれていますし、天使になる子は白い天使の衣装を着て、頭には白い飾りをつけて着飾っています。総勢20名くらいの赤ちゃんたちで作り出す降誕劇はイエスの誕生そのものを想像することもなります。終わりは大きな拍手に包まれました。熱のこもった職員の楽しいパフォーマンスもありました。前日から準備されたクリスマス会食は豪華なものでした。乳児院の定員は35名ですが、今年は11組のご家族が子どもたちと一緒にクリスマスをお祝いすることができました。

◆目に見えない力に支えられてクリスマス
クリスマスは神の一人子、イエスの誕生を記念する日です。私たちは長い歩みの中で、この日を子どもたちを大切に考え、子どもたちを喜ばせる日として祝ってきました。二葉の歴史の中からもそのことがはっきりとわかります。社会福祉法人二葉保育園は今年もクリスマスの出来事を通して、子ども達のかけがいのない命と生活を守り、未来の夢を育み、自立した人格を確立するための支援を惜しみなく進めていく集団として歩み続ける思いを新たにしました。これからも子ども達が生きやすい社会、即ち平和な社会をつくっていく使命と責任があることを肝に銘じて歩んでいきます。この歩みは平坦なものではないと思われます。子どもに関わる者同士学び合い、信頼し合い、支え合っていかなければならないと思います。多くの方々の祈りとお支えを祈念します。
Posted by 社会福祉法人二葉保育園 at 15:29
クリスマスおめでとうございます。ー 前篇 [2015年12月22日(Tue)]
クリスマスクリスマスおめでとうございます。

 社会福祉法人二葉保育園は長い歴史を歩んでいます。この歩みはこの日本の、特に東京の貧しい人々が暮らす地域での活動に始まります。今では想像もできない人々の暮らしや、事業を続けていく上での様々な困難等、私たちの先達がそれらとどのように向き合い、乗り越えて今日を迎えているかを書き記して共有していきたいと考え、「二葉の今・昔」を書き始めることにしました。私たちはキリストの愛の精神に基づいて日々の実践を担っていますので、キリスト・イエスの誕生を祝うクリスマスから始めようと思います。
 二葉は今から115年前、二人のキリスト者とその二人を支えた多くの方々の祈りと献身によって生まれた児童福祉施設です。設立趣意書にありますように、「二葉をして愈々茂り益々栄えしめ、幾多の貧児がこの影に世の風雨を避けて、安らかに生いたつを得しむ・・・」との熱い思いで創設されました。
 この長い年月、お二人の志は沢山の枝と緑の葉に覆われた大きな木のように成長し、たくさんの実を付け、落ち葉を落とし、暖かな、心地よい憩いの場をつくってきました。そして、この場で幼い命を守り、家族を守り、たくましく子どもたちを育ててきました。この活動を支えてきたのは多くの職員の子どもを愛する気持ちと献身、そしてたえず学びながらも試行錯誤しながら鍛え上げてきた確かな専門性であったと思います。なんと多くの人々がこの二葉の木の幹に手を触れ、落ち葉を身に受け、実りをいただき、社会の厳しい波風を防ぐ場としてたたずんだことでしょう。それでは二葉のはじめてのクリスマスからご紹介します。

◆115年前のクリスマス
 明治33(1900)年1月16日に16名で開設した貧民幼稚園のクリスマスを紹介します。
私立二葉幼稚園第二回報告(自明治三十三年七月、至明治三十四年六月)より
「クリスマス 昨年末に致しました。兼ねてよりこの催しあるをきいて、そのために寄付されたる方もありまして、男児には紙鳶(注:凧のこと)、女児には羽子板に羽根、その他菓子、羽織紐など、いろいろ一かたまりにして興えました。新年になりても人並みに羽根もつかれぬものが、此贈物をうけての喜びは、子供心に包まれれぬ事ならんと、私共迄嬉しくてたまりませんでした。此時には学校へ行きたるものも、呼んでやりました。・・」
 これが二葉の始めてのクリスマスでした。次の年にはミスウエストンのところで開かれる女子手芸慈善会の招待を受け、幼稚園でのクリスマスの後、平河町のウエストン宅へ行きました。その時の様子を報告書には次の様に記してあります。
 「子供になって考えて見ますと、未だもって見たこともない様な美麗な家で、玄関から一人ひとりあげられて奥の座敷へ通ります。もうそれだけで子供は魂消えて声も何も出ませんのに、花かと思う様に美しい人々がやさしい声をしてなにかと世話をして下さる。やがて雨戸がしますかと思へは、今迄とは打って変わって、クリスマスツリーに輝ける蝋燭の火、ランプの照り渡って居る様子はいよいよ別世界、其の美しい間には面白い話もあり、面白い歌がきこえるかと思へは、美しい手に引かれて珍しい遊戯させて頂く。それが済むと銀紙に包んだシャボンの様な物を下さる。きけはこれはお菓子じゃそうな。銘々に新しい前掛けをかけて下さって、何ということやら恰も夢の様で、唯茫然として騒ぐ者もなければ、声を出すものもない。勿論泣く子供など一人もいなかった。
 かかる有様で子供の喜と驚きは到底私共の想像の出来る様なものでなく、私共がいかなる目にあってもこれ程に感ずることは此の世ではなかろうと話しました位、子供の平常をよく知っている小使は此の様子を見て、親にこれを見せたらば何というだろうと続けました。この様によそへお客に行った時でも、勿論子供は平常着の儘、破れたるものも汚れたるものもあり、それを汚いとも思わずに快く手を取り頭を撫で、遊ばせて下さる、何という清い高い会かと見て居る私共は泣かずには居られませぬ。わけて此の憐れなる境遇にありながら、其の不幸を知らず、貴きを羨まず、心の底より喜んで、数刻の後は又もとの破屋に帰るのを、憐れと思うは傍人の感じで、当人は喜より外何もない、其の清らかな無邪気の状が又一段と私共を感ぜしました。―後略―」
(私立二葉幼稚園第三回報告 自明治三十四年七月、至明治三十五年六月より)
―二葉保育園八十五年史よりー

後編につづくクリスマス
Posted by 社会福祉法人二葉保育園 at 15:08