紀伊路のあの峠道が世界遺産ではない。
はて、どんな事情があったのか、熊野古道公園を見てからずっと悩んでいた。
先日、キャンプイン海山の古い溜まった本等を処分するため、外に出されていたんだ。捨てたらダメな物がないか私も一通り確認していたら、これが目に止まった。

世界遺産登録後の伊勢路の冊子である。
記録のために書きたい。私は当時、素晴らしい日本語のルーツの研究家と出会ってるんだ。その人の価値観が私を変えた。世界遺産となった時はこの地も素晴らしい観光地となるな!と本当に喜んだのを鮮明に思い出す。私は1番にこの地の行く末を心配しているんだ。
世界遺産に頭一色だったある日、近所のオッチャンからこう言われたんだ。熊野古道なんてそんな凄い世界と違うじょ!と。昭和10年ぐらいの生まれの人だな。不思議に思った。その頃の冊子だ。紀伊山地の霊場や熊野古道の事を素晴らしく神々しく書いてあるんだ。
その後、日本語のルーツを調べてる歴史研究家と出会った。その人は大正生まれで。また近所のオッチャンでもあった。田上君〜熊野古道は今の地形から判断したらあかんじょ〜と。固定観念はすてなはれ!みたいな事を言われた時、私はハッとしたんだ。
その人との出会いから私は皮肉くれ者になったように思うが、熊野古道についてももっと本当の歴史を知らなあかんな!と思うようになったのだった。そんな気分の私にはこのような綺麗事ばかり伝えている冊子は興味無くなっていたんだな。
この冊子は伊勢路について三重県が発行してる。世界遺産に携わった関係者から地元の活動家の想いがまとめてあるんだ。
サラサラとちょっと読んでみたら、えっ!?と思考が止まった。
その部分だ。

世界的に有名な林業家の速水享さんのコメントだ。世界認証FSCの森のあの速水さんだ。私が釣りに行く引本港の近くがご自宅だ。昔からよくお世話になった私でもあるが、いつも小馬鹿にされていたな(笑)。
それはともかく、あの時代にこんな事が言える速水さんに感動した。見直したよ〜速水さん〜で(笑)。
解釈の違いは人それぞれだが、こう言ったらまた叱られるが、やっと私もこの域に達したように思ったんだ。
特に
日本はウツの時代だ
これは病んでいるとか、闇だとかの意味か?
もてなしとは他人の事を考える気持ちである。自分の価値観を押し付けるのではなく、訪れてくれる人が何を求めてこの地に足を踏み入れるか、そのこと共有するよう地域の人が考えることで熊野の価値は輝いて見えることだろう と。
深い!!。私なんかまだ足元にも及ばないな(笑)。
熊野古道って今語られてるような世界とはちょっと違うやり〜と思ってる私なんだ。もっと弱い部分が大切で、名も無き人の存在の方が日本のウツの克服ためには大切ちゃうか!!と。
そんなことを思ってた矢先、先日今度はこんな新聞の特集記事が入っていた。
これを読んでピンっと来たボク。

日本人のルーツだな。ともかく日本列島ができて1番に入って来た人の事を考え出した。日本神話のことも頭を過ぎる。そして紀伊山地の霊場と。
ボクのくだらない楽しみな発想。
人類の発祥にはまずオスとメスが必要だ。男と女だな。アダムとイブだ。日本で言うならイザナギとイザナミだ。その子供達がアマテラス、スサノオ、ツクヨミ等だ。
日本列島に1番に来た人種はボクにはわからない。しかし必ず男と女は居ただろう。そして小さな集団ができる。そして神の存在が生まれただろう。自然崇拝だ。紀伊半島でもそうした地域集団が徐々に大きくなる。そこにある日、大陸からの集団が九州に上陸した。上陸した集団と元からの集団といざこざを繰り返しながら新しい集団は紀伊半島にたどり着いた。しかし、紀伊半島ではいざこざは起こらなかった。受け入れたのだ。争いを好まず、争いは無駄だと考えた元からの集団だったのだ。また、新しく入って来た集団は那智の滝、紀伊半島の山々を素晴らしい神々と判断しただろうと。その精神が後々に受け継がれ、今で言う熊野の神の精神となったんだな!と。
所詮人類が考えたところなんてこんな感じてはないかな?とね。何事も人が考えていることとボクは思ってしまうんだな。

罰当たりなヤツだな。しかし、神仏を否定するわけではない。神さま仏さまは必ずいる。いや、いてもらわないと困る。
以前、日本語ルーツの研究家の大御所さんが、ボクに言った。自然崇拝の中では那智の滝は圧倒的であったのは間違いないだろう!と。
by理事長