今月号のアウトドア雑誌ビーパルに巡礼について素敵な特集がありましたので、ちょっと紹介させていただきます。

私は熊野古道をバックパッカーで歩く旅をしておりますが、巡礼と言う意識はあまりないかな。
特に三重県の伊勢路では史実的に巡礼路と言えばそうなのかと思いますが、巡礼が始まるのは那智の青岸渡寺の西国三十三観音巡礼の一番札が始まるところからに気分的にはなるのかと。でもまあそこに向かう路は巡礼道になるとは思いますが。
それはさておき、巡礼っていったいなんやろ?と思います。また、何故人は巡礼するのかと…。
その事についてビーパルの記事は面白く考えさせられました。
神様仏樣を巡る旅。現代では車で廻る事はできますが、昔は歩くしかなかった。車と歩く違いでは御利益が違うのやろか?と(笑)。


祈りや願いは本当に届くのやろか?。
神様の存在は何故なんやろか?と、なんかモンモンと考えてたことが少しづつ見えてきたと言うか。
いや、歩くことでなにか得るものがありそうな気配。
巡礼、煩悩、悟り、来世、などいつまでもたってもアホタンな私には難しい言葉が並んでいますが。
私がバックパッカーをしてビックリした事は、歩き出して三日目から。リュックの重さが気にならなくなりました。軽く感じてしまうのです。そうなると一人前のバックパッカーになった気分になり、歩くのが本当に楽しくなりました。
さらに見るもの全て?がいとおしく見えてくるような。だから前に進まなくなるのだ(笑)。歩くスピードがそうさせているのかと思いますが。
初日、二日目では重いリュックに耐えながら歩く事が精一杯で余裕ないね。
なので三泊四日の歩く旅では丁度本調子になってきたところで終わってしまうことが残念に思ってたかな。
でも三日も続けての野宿テント泊もつらいところは出てくる。そこにはあまり快感はなかったかなと。
帰ってくると、疲れて大変だったといつも思うが、充実感があり、またバックパッカーの旅に出ようと思うようになりますね。
私のバックパッカーは子供が秘密基地を持っての感覚かな。なので未知の冒険でそりゃ楽しいわ(笑)。でも一番つらいことは野宿地を探すこと。野宿したいところにキャンプ場があれば精神的には楽やね。でも秘密基地なので、場所的にもっと冒険したい!と言う気持ちにもなる。
何かとリスクは高くなるが。
その境い目が難しいところかな。
現在では歩く旅をしてその地での宿泊はなかなかないのが現状だ。私にはそれがいやなのだ。離れた民宿等にわざわざ交通手段をとり移動するなんて歩く旅の熱が冷めてしまう…。ましてやバックしてしまったら最悪や。
野宿しながらでもひたすら前に進む!進む!。それが巡礼の気持ちなんかな?とも。まあそのように進めない時もあるだろうが、その時は笑ってごまかす。
私には悟りと言う言葉はないらしい…。
アーメン。
とにかく、このビーパル記事、深いところで動き出すかもと言う気運が出てきた。素晴らしいことだ。
現在私はいろんな人に会い、熊野古道伊勢路の話を聞きに飛び回っている。
by理事長