神社の手前には立派は石道標があった。


年号は文久四年か?。

案内板にも石道標についての説明は無かったし、確か他にも案内は無かった。

せっかくの石道標なのだし、なかなか読めない字だから説明あると嬉しいのだが。文久は1861年から少しの間だ。江戸時代だ。善太郎らより後の石道標だなと。
江戸時代ぐらいの物はなんか、伝えない感を和歌山から感じてしまうのは私だけだろうか。マップにも「すくくま野道の石の道標」としか書かれていない。出会う物は江戸時代ぐらいが多いな。
神社は糸我稲荷神社だ。

なんか稲荷神社多いな!?と思うボクだった。
ここにも青竹が。

青竹だと今も現役のような躍動感を感じる。素晴らしい!。
さて、この地点で一時半。この近くに中華料理屋があるのがグーグルマップから確認してた。
今回も熊野古道館のさちこさんから手作りパンを頂いていたので、幸い空腹にならずにいたが、歩いていると、ラーメンはもちろん麺類が食べたくなる。不思議なんだ。体力使っているはずだからご飯を食べたくなるように思うが、麺類なんだ。
昔のDNAがそうしてるのだろうか?と(笑)。
2時までにお店に入らないと!と考えていたので、得生寺を後回しにして、中華料理屋を早足で目指した。わかりやすい場所で助かった。
まだ外で待ってる人がいた。

待ってる間ウロウロしていたらお店の
裏にはシャコタンのピカピカの凄い車がありビックリした。そしてお店に入ると、私ぐらいの年代のヤンキー風の大将が居て、はは〜んあの車は大将のやな!と思っていた。また、従業員もヤンキーばかりやな!と(笑)。
それはともかく、凝ったとても美味しいラーメンで嬉しく。ご馳走様〜とヤンキーにいちゃんに支払う時、まさかのビックリする言葉を聞いた。熊野古道ですか〜?と私に聞いてくれた。これには嬉しく驚いた私。はい。紀伊路歩いてます!と。そのお返しに、裏にあるかっこいい車は大将のかな?と言うとにいちゃんは、照れてあれボクのです!と嬉しそうに伝えてくれた。おおっ!にいちゃんのかい?かっこええな!とこれまた嬉しく言う私だった。
人は見かけで判断するものではないが、いつも接客してちびっ子らと遊んでる私たが、このヤンキーにいちゃんがちびっ子に思えてきてかわいく嬉しく思った。
熊野古道を歩いていると、別に話しかけてくれ!とは思わないが、こんにちは〜の挨拶や、熊野古道ですか?なんて言われると嬉しいものだ。大人の方が挨拶は無いな。ちびっ子らは意識して頭をぺこりとしてくれたり、挨拶もできる。
熊野古道関係の会議ではよく言う私だが、歩いている人を見かけたら挨拶ぐらいしましょうよ!と。それが世界遺産熊野古道の町に住む人の大切な意識ではないかな!とね。
このヤンキーにいちゃんには、本当あらためて教えられた気持ちになり、ボクは間違ってないじょ!と嬉しく歩き出せた。
ありがとう、ヤンキーにいちゃん!
つづく〜(*´∇`*)
by理事長