世界遺産ってなんだろ?。
ボクが思った事を素直に吐き出していきたいと思う。
紀伊山地の霊場と参詣道と言う世界遺産。
紀伊路はなんで世界遺産が無いの?。平安のナンジャラ上皇が歩いた1番の道は紀伊路ではないの?。当時の道がわずかしか残ってないから世界遺産にはならないの?。あれだけ王子社があるのだからルートなんだから一つ二つの残された道であったとしても世界遺産になるべきでしょ!と。
石畳の道が全てなの?。なんか矛盾を感じてしまう。
あの熊野古道公園も世界遺産になるための盛り上げ方ではなかったのか?と。
世界遺産って人類が決めたんだよね。人類のエゴのようにさえ思ってしまう。
古ければ良いの?。人類の遺産ならもっと弱い庶民に寄り添ってほしいとボクは思う。古ければ良いのであれば紀伊山地の霊場は縄文時代ぐらいから考えた方が意義あると思ってしまう。
日本列島に人類が住み着いて集団ができて文明的になってきたら必ず道ができるはず。伊勢路にも紀伊山地に続く古くからの道があったとしても文献が残ってないだけの事。
世界遺産当時ちょっと小耳に挟んだ事がある。日本人は何故古いものにこだわるのか?と。この意味には何となく合点があった。
ちょっとした古さの違いなんて問題ないと。それより紀伊山地の霊場の特異性やそれらを取り巻く参詣道に重みがらあるからこその世界遺産なんだ。最初の日本人なんて4万年前だぜ。
ボクは提案したい。世界遺産も良いが、地球遺産があるべきだと。まあ地球は喋れないから人類が代弁したらよい。人類の遺産ではなく地球から見た遺産を考えないとこの星だめになるよ。いや、そうなると遺産ではないか?。
ともかく、かけがえのない自然、地球を考えないと人類、地球は共倒れになるな。大切な自然や環境を守るためにだ。
紀伊山地なんて世界から見たら点だぜ。だからこそ熊野古道では紀伊山地のワンチームで考えないとダメだと思ってる。そこには県境はいらない。
ともかくとても重要な紀伊路、なんで世界遺産ではないの?。なんか悲しくなっていたボクだった。
グエッのコンクリート石張りの道を歩いて行くと発電風車が目に飛び込んで来た。ボクは高い所に居るんだなぁと。

親切な道標だ。

風情ある。

おや?ちょっとグエッが変わったなと。

また戻った。

ピンっと来た。

ボクには悲鳴すら聞こえた気がした。路肩にある石こそ石畳の石ではなかったか!?と。
この意味がこの先でわかった。
これだ。

撮影は柵から出てからだ。
そう車道なんだ。何故熊野古道を壊してまで車道にしたかだ。それは車が入らなくてはならない事情があるからだろう。仕方ない事だ。
すると、コンクリート石張りではなく、コンクリートだけになった。

なるほど!と妙に嬉しくなるボクだった。
そう、熊野古道を壊し車道にする時、峠付近ぐらいは面倒だが、石張りにしてあげようと。下になるにつれ、まあコンクリートだけでよいやり〜と言う精神状態ではなかったかと推測した。ある意味気持ちは素晴らしいなと。グエッグエッ歩いていたボクは反省した。
しかし、万が一にも峠を整備するためだけにこのような道にしたのであれば、怒りや悲しみを通り越して、さよなら〜と言うが。
つづく〜( ・∇・)
by理事長