昔風に言うとこうなるかな?。
女、子連れの旅
と。
はてさてどうなる事やら〜です(笑)。
熊野古道と言われる道はかなり歩いてきた私。
道は繋がっている!。
熊野古道に続く道から熊野古道を感じてみたかった。
東海道だ。
関宿を歩き、鈴鹿峠を越えたところまでの約12キロの道程。
江戸時代の旅人前川善太郎が歩いた道。
私の大切な杖を横取りして歩く子供善太郎(笑)。
関宿のメインストリートだね。 すると、立派な鳥居が現れた。
その脇にはこりゃまたでかい石灯籠が。 東の追分一里塚。
昔は火を灯し旅人の目印となっていたのだろう。
説明書き読めない(笑)。
私はとりあえず年号?だけは撮っておいた。
本当は子供善太郎と年号なんか調べつつ歩きたかっのだけと、子供善太郎は興味無しの雰囲気からまあよいかと(笑)。
ちょっとした資料なんかは持っていたのだけど、子連れで歩くのは皆さん未知数。
本当に鈴鹿峠を越えれるのか?不安が先走りそれどころではなかったのは本音だな。
また、歩く時期を遅らせてしまった事により寒くなってるから気分的に余裕無し。
この石灯籠の年号だろうか?。
なんとこの年号の元文五と言うと1741年となるか。江戸時代中期だ。
と言う事はこの石灯籠は善太郎と会っている事になる!。
感激だ。しかし、帰宅後にわかった事。
歩きながら年表を出して確認していたなら私はかなりハイになってしまってたであろう(笑)。善太郎らは1789年だ。
今回私らは五人。善太郎らも五人であったのは共通してた。
善太郎、善太郎の母、親戚二人、手代だ。道中日記を書いたのは母、登勢だ。因みに登勢は五十歳で、善太郎は二十七歳であった。
道中日記の関宿から鈴鹿峠の部分だ。
つづく〜(^∇^)
by 理事長