長らく大辺路にお付き合いをありがとうございました。訳わからん独り言だとご容赦ください。
はい。懲りずに現在、紀伊路に行く予定を立てております。
紀伊路、まずは田辺から御坊の道成寺まで。
道成寺と言えば安珍清姫の寺でもある。
前川善太郎も立ち寄っている。
そう、江戸時代の旅人、前川善太郎御一行。
紀伊路は平安の時代京都から偉い様方らが蟻の熊野詣と言われるたくさんの付き人を連れ熊野本宮を目指した道。だからボクの場合は逆方向になるんだけど、ボクは江戸時代。
庶民達が伊勢神宮を目指し、伊勢を立ち、一番札所の那智、次の二番札所の紀三井寺を目指した道。久しぶりに善太郎を追いかける旅だ。それだけでもワクワクする。善太郎が出会った物に会えるとね。
大辺路、やっと那智まで戻る事ができた。
以前伊勢路を歩き新宮から那智まで一泊でまりちゃんと歩いた。
自分が歩いた道はもう地元と思えてしまうから不思議(笑)。
例え冷たくあしらわれたとしていても、紀伊半島としての仲間だなと。
急報、紀伊路の出発は来週月曜日!5カ月ぶりのバックパッカーだな。
町に突入して振り返る。親切だ。竹の杖をたくさん置いてくれていた。
天満駅の近くにあった思案橋。
なんでもない小川にたいそうな欄干。
なんか意味があるのだろう。誰が何を思案したのか知りたいところだが、間違いなくここも熊野古道だったと言う事だろうと。
天満の町中をしばし歩き国道42号の広い通りに出る。それを右折すれば那智駅は早いのだが、マップはそうなってはいない。那智山方面に向かう事になる。ボクはマップに従った。
上は高速だ。向こうに見える橋を右折する。
おおっ!向こうに見えるは那智山の山々だ。
あんたの故郷だね!と杖に言うボクだった。この杖は一番札所の那智は青岸渡寺で魔除けにしたいと買った物なのだ。これまでありがとう。これからもよろしくねと。
ここに来ると道標ががらりと変わる。
ここは那智山へ向かう旧道、熊野古道なのだ。
向こうに見えるは高速だ。やっぱりかなり遠回りしてるボクだな。
那智山まではこんな距離だ。
ここまで来た。補陀落山寺だ。
ボクは懐からこれを取り出した。
小さな観音様だ。
ボクの守り神にと新宮の古物屋で買った物。
軽量化を考えるボクには金属製品は重くなるのだが、道中守ってくださいと今回持っていたんだ。
そして、補陀落山寺に見せる事により力が増すかな?と。
振り返ると、那智の浜まで一直線方向の参道が。
着いた!。
道の駅は那智駅の横にあるんだね。
ボクが撮った写真の最後だ。
この時点で6時24分となっている。
まりちゃんは、だいぶ待ったよ!と頭からホワンと湯気が上がっているのを見逃さないボクだった。
本当申し訳ない。マップからの距離計算が間違っていたんだ。
はい。マップをバンダナに差し込んで記念撮影。
懲りないボクだな(笑)。
これで、大辺路は達成できた。
追伸‥‥。
倒れ掛けていたお地蔵様の写真をその時に撮影していなった事に帰宅してから気付く。
なので二週間後に撮影をするため車で行ってきた。
その時、びっくり!。私の記憶間違いであると思うが、まあそうなんだろうけど、お地蔵を起こした時、お地蔵様のオデコに白い真っ直ぐなきずが付いてしまってたんだ。
あ〜痛かったね!との記憶があるんだ。
しかし、撮影時はオデコにキズはなく上の方にあった。それもキズがわからないぐらいになっていた。二週間でこうなるか?と。
また、小さな観音様は、大辺路の下見のある日の帰り道、新宮を通過する時にふと新宮に古物屋があるのを思い出したんだ。
前に修験の道具があったのを見たくなったからだとは記憶してるが、導かれたようだったかなと。修験の道具はもう無かったが、棚の上にポツンとボクを見つめる視線が。
私を連れて帰って〜と。うん!とボク。
でも、この観音様は長らくどちら様かの仏壇に居られた事だろうし、何より値段が怖かった。
店主に恐る恐る値段を聞いた。まあ高くて買えないだろうと思いながらも。
すると、びっくり!安い方で。
そしてボクはこれはいつの時代の物ですか?と。
店主は明治の物だよ、よくできてるよと。
これからボクのバックパッカーに着いてきて守ってくださいと、観音様にお願いしていた。
なので、補陀落山寺さんボクの観音様です!と。
野宿者バックパッカーはある意味本当に怖いんだよ。子供のようにワクワクするんだけどね。
そんなボクをお守りくださいと。
記録の為にも。
Have a nice trip!
地域起こし協力隊の井上さちこさんに教えてもらった。
よい旅を!
by理事長