先に紹介した前川善三郎の石灯籠。
前川善太郎の道中日記の資料から伊万里神社の石灯籠の寄贈の場面は見当たらなかったのであったが、くずれ時から三がわかるし、善太郎の父、善三郎だと決めつけしまってた私。とは言え、熊野古道センターの亀田さんに聞いたらわかるなと、その後亀田さんに写真を見せた。
なんと、前川利兵衛と読み取れると。
んっ?利兵衛!?とな、の私。
確かに違和感あり利はなんとなくわかってたが、くずれ字の事。
この写真を送ってくれた、今年のおてつ旅の佐賀県の男性さん。私には現代の前川善太郎と相成り候。
一連の道中日記の伊万里からの旅人の善三郎の話しをした時、現代の善太郎さんはすぐに興味を持ってくれ、帰ったら伊万里神社に行ってみます、何かわかると思います。と言ってくれたのを思い出す。
そこで、雰囲気として前川善太郎と伊万里神社の繋がりが私には生まれたのは事実か。
そんなぼやっとした所での送られてきた写真だった。
そんな状況から、利兵衛が登場した。前川だ。関係者なら私の持っている資料にも石灯籠の寄贈として善三郎らもしているから同じように出てくるはずなんだけどなと考えていた。
事情わからずもんもんとしていたある日、天の声が(笑)。もう一つの資料を見てみろ!と。そう、ずいぶん前に塚本先生から頂いた前川善太郎道中日記の他に、伊万里歴史資料があったのだ。前川善太郎は少ししか登場しないので、一度目を通してから見てなかった資料。
そこには!。
前川利兵衛が居た。
文面は少ないが、なんと利兵衛は四国八十八弘法大師巡礼をしてた。
うん。早く伊万里へ行きたい。
それにはもう少し善三郎を追いかけた歩く旅をしたい。紀伊路だ!。
手強いぞ紀伊路は。そして暗がり峠、東海道鈴鹿峠と。順番は前後するだろうけど、善三郎〜待ってくれ〜と追いかけたい。
そのために準備を着々としてるな(笑)。
by理事長