二つ目の山越え。小雲取越に向かって歩き出した。

先の大雲取越に比べたらまだ優しいと考えていて気分は楽だったが、ひでちゃんは私より足の指先の痛め方が重いようだった。

昨夜からの霧が眼下に見えてきた。見晴らしがよい場所になってきた。見晴らしがよいと気分はよいものだ。

赤木川がとても綺麗だ。

よい部分を切り撮る。

私のカメラでひでちゃんに撮影してもらう。

右目が腫れている(笑)。

霧がうまく写らなかったが、こちらにも霧が出てきたりした。

お世話になった小口の集落か?。

峠の一つを越えたみたいだ。

和歌山県では熊野古道沿いにこんな風景が至るところにいっぱいあった。

致し方ないとは言え、薪を作ってる今の私としては、もったいないね〜木は捨てられて無念やろね〜と繰り返す私。
植林の間引だ。素晴らしい材がいっぱい。ここまで育って利用もされず、ここで朽ちるだけ…。林業家も辛いだろうけど、木はもっと辛いだろう。
この場から木を出すに出せぬの場所か。それだけ厳しい山の中だと言えるのか。
浦上君〜チエンソー持って取りに来いよ〜と電話しようかと思った私だった(笑)。
ふと足元を見ると割れやすい石がいっぱいでちょっと休憩がてら割ってみた。

おおっ!化石か〜!?と喜んだ私。気持ちよく割れるので私一人ならまだ遊んでいただろう(笑)。
小雲取越はまだ優しいとは言え距離が大雲取峠と同じだ〜とひでちゃん。なので油断はできない。先を急いだ。
するとこんな林道を横切った。

今度は墓石らしきものが。

割れた茶碗が違うところまで転がっていたので拾って墓石の前に置いた私。行倒れの無縁仏ではないだろうか?と。
こんなものが。

ちょっと私の胸元を紹介。

リュックにカラビナ付けてぶら下げている物。
熊鈴、単眼鏡、古いお友達の形見の腕時計、手編みのカッパのマスコット。
腕時計は私が若い頃メダカの会と言う自然保護活動してた時に一緒に頑張ってくれていた可愛い小学校の先生だった女性の形見。若くして亡くなってしまった…。お父さんに形見をお願いして譲ってもらった腕時計だ。私が危険を感じる場所に行く時にはいつもこの腕時計を持って行く。私を守ってくれていると感じている。しほ先生と言う女性。今なら名前を出せるかなと。今は私はめだかの学校の校長先生で、しほ先生は教頭先生になっていただろうか…。
マスコットはめだかの学校の生徒のお嬢ちゃんが今年私に作ってくれたもの。出発前に急に思い出して取り付けた。キャンプインのお客さんのお嬢ちゃんだ。私にはキャンプインでは可愛い孫がたくさんだか、孫の代表してこのマスコットをお守りとして持った。
あと伊勢のバットパームスの大旦那のお守り勾玉もリュックに取り付けてある。
鋪装道路が石畳になっていたのはビックリだった。カーブなので、バイクならかなり危険ではないかろうか?。

はい。ここまで来た。
有名な百間ぐらと言う見晴らしが素晴らしい場所だ。
ここまでで半分は来た距離。アップダウンも比較的楽だった。
この写真は小口自然の家から先に出発していたおにぎりのご夫婦さんに撮ってもらったのだ。

私らも昼食する場所を探しながらご夫婦を抜かせてもらった。
ゆっくりなペースでもひらすら歩く。

歩く。

かなり歩いてから何時ぐらいかもわからない気分で、熊野古道の道端で簡単に昼食した。
この時の私のメニューは昨日小口で買ったゴボウテンとパン(笑)。
おおっあれは正しく熊野川ではないか!やっとこんな距離まで来た。

来た来た来た〜!。
請川と言う町。

江戸時代の旅人の前川善太郎ご一行は、那智を立ち、小口で昼食し請川で泊まっている。一日でここまで来てる。なんと言う速さ。なんか本当に凄いと思う。
見える車道は168号線。それを真っ直ぐ行くと本宮だ。
あと何距離やろか?まあそんなに距離はないはず!と私はちゃらんぽらん(笑)。
168号線を真っ直ぐ行ったらよいものを私は違うコースを歩きたくて、ひでちゃんを誘う。
ここだ。請川にあるのだから請川と言う川だと思うが、なんかこのあたり川と川の境い目よくわからないが、この請川の川を江戸時代の前川善太郎らは舟渡しで渡っている。

ここは旧道だから正しくこの辺りを渡ったのかな?と興味深かった私だ。

ここからしばらく旧道を興奮しながら歩く私だった。善太郎の足取りを探しつつ。
次は最終回か(笑)。
つづく〜(⌒0⌒)/~~
by 理事長