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中辺路の最終コース!パート4 [2023年03月06日(Mon)]
途中、バイカオウレンに癒され。
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バイカオウレンと言えば、まりちゃんと道迷いした時にも癒されましたな(笑)。
この道標で道迷いはなくなる!?。
昔からの道標。
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当日はこの道標を私は見てなかったような気がする。
この道標を自分なりに考えてみた。
左:紀三井寺
右:高野山
紀三井寺方面と言うのは中辺路の事。
と言うことは熊野本宮方面から来た人のための道標?!と考えるべきか?
中辺路を目指す人の時はこの分岐点で左折するんだね。
右へ行くと高野山、すなわち小辺路のこと。
ともかく、この道標が何処にあったかだ。まりちゃんと意見の分れ道だった(笑)。

この現代の道標がそれを意味してる。
私らは伏拝王子方面から来てるから。
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ねえやんがちょっと寄り道しよう!とコースから外れた。
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そこはこんな場所。
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昔の熊野本宮の位置にあるおおゆのはらにそびえ立つでかい鳥居が見える展望場所だった。
しばし休憩。

ここまで来た。本宮は確か76だったかなと。 滝尻王子社が1番の500メートル道標。
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はい。到着〜!。
本宮にはメインコースからは入らない。メインの階段コースから考えて右側から本宮へ。
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ひでちゃんと来た以来の熊野本宮かな。懐かしさが込み上げていた。
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お詣りを済ませメインの階段から帰りました。
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疲れを癒してくれたもの。 ホッとできて美味しかったです。
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さて〜今回のコースを歩けたことで私には中辺路が残すところ僅かとなります?
それは滝尻王子から田辺市に向かう江戸道である潮見峠越え、そこから田辺駅に向かう途中にでかい石の道標があります。それが中辺路と大辺路、紀伊路の分岐点の道標。かなり距離のあるコースや。

そこで私は江戸時代の旅人である前川善太郎を見送ります。善太郎らは紀伊路にある紀三井寺を目指しました。わたしはそこから平安の中辺路コースで滝尻王子に戻ります。2泊くらいの予定か。その平安の中辺路の道中が私田上のルーツの地、鮎川だ。墓参りもする。至〜よう来たな〜と言ってくれるやろか?アホやね〜だろうな(笑)。

その後は私は大阪と奈良の境にある暗がり峠で善太郎を迎えたい。今度は奈良を善太郎と歩く。バックパッカーでね。野宿地は社長の工場や(笑)。そして奈良から名張を抜けて青山高原を越えて伊勢神宮へのコースを考えてる。ほんまやろか(笑)。

先には大辺路の活動家さんらと会えて名刺を交換した私。
うん。大辺路を一週間バックパッカーで歩き通すのもよいね〜(笑)。

どんどんつながりと夢が広がりますわ♪。

by理事長
中辺路の最終コース!パート3 [2023年03月04日(Sat)]
江戸道の湯峰からの赤木越えとやっと繋がった今回。

あ〜面倒やよ〜と皆さんに迷惑かけてしまったかな(笑)。
来た道を戻るのに林道への選択もありましたが、来た道を戻りましたね。
またデリカまで戻りそこからが本番。
風情ある車道や集落を通り爽やかに歩けました。
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ありゃ〜ひでちゃん〜こんなところにおったんかい〜と。
後ろにおるのは社長に似てるかな(笑)。
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さてこの分岐からは車でも走ってない未知の場所。
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なにやら腰痛に効くと言われるお地蔵様が。ねえやんが割れ目に賽銭おば。
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そこはこんな場所。
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こりゃまた歩きやすい熊野古道がしばらくありました。
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寒さ対策をされたお地蔵様。
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風情よい集落。
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すると、いずみちゃんが!。
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ハイジじゃあないよ。いずみちゃん(笑)。いずみちゃんはヤギを飼いたいと言ってるんだ。キャンプインにヤギ〜かな(笑)。

うん。歳をとったまりちゃんと私かな(笑)。
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こんな場所。
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こんな場所。
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昼食をすませ先を急ぐ。
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つづく〜\(^o^)/

by理事長
中辺路の最終コース! パート2 [2023年03月02日(Thu)]
2月後半のたまに暖かい日から今月に入りグッと暖かくなりましたね。すると発生するのが花粉症…。毎日が大変です。先には薬局に花粉症の薬を買いに飛んだ校長でした。でも花粉症がひどくなってくると薬も効かなくなってくる。後は注射かなぁ…思案の毎日です。

はい。
先のソロキャンプイベントでは私はワイルドなUSテントでテント泊でした。その午後から中辺路に飛んだ訳でしたが、う〜ん頭切り替わらんじょ〜と思いながらも疲れを癒す宿泊地でゆっくりできたのは何より。
天気も味方してくれましてね。
まずはデリカを出発地点の発心門の駐車場へ皆で。
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ここが発心門王子。
数ある王子の中でもなかなかご立派な王子社。
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ここから赤木越えの合流地点までいったん戻るために下りました。
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ここは穂高かい〜!?と言うような怖い断崖もありました。
本当樹木なければなんだか怖い場所。
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こんな王子社も。
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ここが赤木越えコース合流地点手前の船玉神社です。ここにお参りできてなかった私とヨッシーだったのですね。
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赤木越えコースからも本来は船玉神社にお参りできるのはもちろんなんですが、ヨッシーと歩いた時は紀伊半島豪雨からこの谷がえらい工事をしてたのでした。なので船玉までは通行できなかったのでした。
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ヨッシーと来た時は左側から。
後ろにあるのはトイレです。
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これでやっと繋がった!。ヨッシーと来た時は、前日は熊野本宮から歩き大日越えをして渡瀬のキャンプ場でキャンプしてね。それはそれは寒い時でテントが凍りついた。
途中で湿ったシュラフを熊野古道沿いで二人干したりしてね(笑)。
その時も雪があった。

これまで熊野古道を歩いてきた私は、思い出せない路もあるんだ。ヨッシーと来たときのここまでの赤木越えがどんな風情だったか思い出せない。
何故か?それはたぶん会話に熱中してたからだろうか?と…。
うん。イマイチわからん(笑)。

ともかく、平安の中辺路は田辺方面から熊野本宮を目指した路で、道中に王子社がある。王子社ができたからこそそこが路になったのかな?と思う時もある。今回のコースもそんな場所。明らかに遠回りに思う。そうだとしたら中辺路は普段から使用する庶民の路ではないなと。その時代時代に何かしら事情があったと言うことだろう。




つづく〜(⌒0⌒)/~~。

by 理事長
中辺路の最終コース! [2023年02月25日(Sat)]
ここ三日にわたりおこないました「できワク!親子ワーケーション」が今日無事に終わる事ができました。
参加者の皆さんがとても喜んでくれたのが何よりでした。
中日は小雨にも見舞われましたが、子供たちの元気で乗り越える事ができました。ありがとうございました。
まずはご報告まで。




先のソロキャンプイベントが終わった日曜日。午後からねえやんご夫婦さんと熊野古道中辺路の最終コースの部分を歩くため湯峰の宿泊地に向かいました。

思えば平成28年4月11日に伊勢は内宮を出発した私。
ちょっと時間をかけすぎてしまいましたかな(笑)。熊野古道世界遺産登録20周まで後1年ちょっととなりました。

三重県の伊勢路は伊勢神宮のおかげ参りから西国三十三観音霊場の寺巡りの一番札所である那智は青岸渡寺を大衆が目指した路で主に江戸時代のこと。

また、私は江戸時代の旅人の前川善太郎の道中日記から善太郎を追いかけるコース取りで追いかける旅をしているのです。

当初は追いかける旅は熊野本宮で終わりと考えてましたが、熊野古道の取り組みをしている私にとっては和歌山県の熊野古道の取り組みも見ておかなくては!と現在中辺路を歩いているのです。
中辺路は本来は田辺市方面から熊野本宮へのコース。時代が古いのです。なので江戸時代の善太郎らは逆コースとなるわけですね。

はい。善太郎らは湯の峰の赤木越えコースからの中辺路。
そのコースの中辺路を歩き出したのはヨッシーとでした。
今回ねえやんご夫婦と歩いた場所は善太郎が歩いてない場所となります。発心門王子から熊野本宮までのコース。
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またややこしい事情が。発心門王子から歩くと赤木越えに繋がる場所がわずか歩けないのです。今回はそこも歩きたいと発心門王子からちょっと赤木越えに繋がる場所まで戻ることにしました。

説明が長くなり申し訳ありませんでしたが、ここがその宿泊場所。
はい。ここどこやろ。
至福の時(笑)。
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そう、今回はソロキャンプが終わってからでしたので発心門から歩き出すためには私、まりちゃん、ねえやんご夫婦と前日には宿泊しなければならなかったのでした。
なので歩いたのは月曜日となりますな。

うん。たまにはこんなんも良いね〜♪の私どもでしたね。



つづく〜(⌒0⌒)/~~。
by理事長
中辺路バックパッカー パート7 [2022年12月18日(Sun)]
すってんころりんに気を付けながら下っていくとゲストハウスがいっぱいあるのに気付く。
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あるゲストハウスにちっちゃい池があったので、何がいるかな〜?とちょっとのぞいたのだ。
そして通り過ぎたら、後ろからお兄さん〜と声がした。
振り返るとおばあちゃんが。
おばあちゃんは、お兄さん泊まるところを探してないかい?と。私に宿の勧誘をしてくれたのだ。
うん。みんな一生懸命生きている!。若いお姉さんではなくおばあちゃんだよ。
私は、おばあちゃんありがとう!でも先を急ぐんだと。
このおばあちゃんの一生懸命さに勇気をもらえた。三重県の伊勢路もこうなってほしい。
ここは高原熊野神社の集落。

ゲストハウスでは、他所から来た人の経営が多いと聞くが、中辺路に人が来るから商売につなげている精神は素晴らしいと思う。そして人が来ることで、寂しい集落に活気に出る。そりゃ生活がおびやかされると言う人もいるだろうが、人が集まると言うのは人類として大切なことではないだろうか。
頑張ろう伊勢路!で。

展望場所や熊野古道客もてなしのお店やトイレもある。本当素晴らしい場所だ。
展望では八経が見えるか?と思ったが、そこまでは見えないらしい。見えてもよい位置関係だと思ったのだが…。
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この時期の特権だな。
落ち葉の上をサラサラと気持ち良く歩く。
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意外やいっぱい分れ道がある。
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森の中は本当に暗かった。
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ここまで来た。
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確かこの辺りから下り続けた。
ひどい下りだ。八経の下りを思い出していた。逆から来た私も確かにこのぐらいは上がって来たが、暗さもあり足運びにかなり難儀した。
するとこの風景が目に飛び込んできた。
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わぁ!これはかなり標高ある、あの富田川まで下らないとならない!と。ちとヤバイなと。明るいうちに車まで着けるか?で。

私の悪い頭でちょっと考えた。中辺路のこのルートはなんのための道なのか!?と。伊勢路のように地元の人でも歩く道ではなくてナンジャラ上皇らが通るためだけに作った道ではないだろうか?と。地元なら富田川沿いに集落あるから、わざわざこんな高い場所を歩く必要はないのではと。そう、先に紹介した尾根筋の細い道では、あれは盛り土して作った道では?。何故?それはナンジャラ上皇らが通りやすくすためにわざわざ作ったのではないやろか?と。
尾根筋だから水を塞き止めることにはならないし。元はナンジャラ上皇のために作った道だとしたらイケズな道やわ。村人らは道に苦しめられたのでは?と。
確かに山のてっぺんは上がるまでは苦労するが、上がってしまえば距離が短く歩けるし、まあ集落の事情もあった事だろう。

ナンジャラ上皇らが歩いた時代は庶民は旅はできなかったんだ。庶民が公に旅をできるようになったのは江戸時代からで、その時にはここを歩いていたのは確かだ。
まあいろいろ真相はわからないが、疑問がいっぱいになった。
ともかく私は庶民を苦しめる権力者はいつの時代も好きではないのだな。
古代語研究者が私に言っていたこと、史実を知れ!勉強せえ!と。研究者の話はここでは言えないこといっぱいだが、一般的に言われている事ばかりでなく本当のことを知りたいなと。

はい。シーシーゼーゼー言いながらここまで来た。
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こんな場所や時間でも大学生のサークル?の学生ら10人ぐらいとすれ違う。どこまで?と聞くと高原までと。ゲストハウスに泊まるのだろう。着く頃は暗いのちゃうか〜と私。かなり無茶なスケジュールと思ったが、若いって本当素晴らしい。
人の心配するより自分の心配せえなあかんやろ!と(笑)。

そうなんだ、八経行きでもわかったんだが、私のようなヤセヤセノッポは登山に不向きだと言えるのかと。
カヌーでも一緒だ。カヌーでは身長があり体格がよいと重心が高くなるから横揺れ激しく転覆の可能性が高くなるんだ。

私の場合は急に重いリュックを担ぐから重心が高くなるんだ。まあ足腰が強ければよいだけなんだが、普段の動きが重いリュックのため動きに変化がおこる。なので足に負担がかかる。体力勝負の上りよりも下りの方が辛いんだ。
下りが厳しいからこそ八経では杖が割れてしまったんだ。この下りも厳しいものがあった。
どんどん暗くなり焦りもあったが、ここで怪我でもしたら元もこもないとゆっくり慎重に下った。

こんな所を通り過ぎ。
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神様を見た気がした。神様とは素朴なものだと思ってる私。もとは自然崇拝だったからだ。
このお地蔵様は埋まっているのだろうか?かなり小さい。
それとも、こどものお地蔵様だろうか。
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胎内くぐりがあるのは知っていた。ここか〜?これはクマさんの穴やろ〜と。
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ありましたありました。胎内くぐり。
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さすがにもう遊んではいられない。
先を急いだ。
するとこの紅葉が迎えてくれた。
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起点だ。
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やっと来た、滝尻王子。ここで4時40分。
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そう。後日尾鷲市にある熊野古道センターの橋本さんに聞いたのだが、何故ここ滝尻が起点なのかだ?。ここから先は世界遺産ではないからとの事。なるほど、ここから田辺市までのルートはもう道が開発によりアスファルトなんだと聞かされた。しかし、江戸道の潮見峠は世界遺産追加登録したのだとか?。まあ潮見峠も昔の道はちょこっとだけらしいが。また、蟻の熊野詣でと言う場面はナンジャラ上皇らが通る姿なんだと。本当勉強になった。

さて〜今度はどこを歩こうか?。




いろいろ話が長くなり申し訳ありませんでした。
このブログでは、あの時私は何を感じ何を考えていたかを記録するためにも書いてます。
しょーもない事ばかりですが、お付き合いのほどをよろしくお願いできましたら幸いです。


by 理事長
中辺路バックパッカー パート6 [2022年12月16日(Fri)]

道の駅中辺路からここまでやって来た。
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中辺路はこんな道がよくあるね。この道の謎解きは後で。
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やっとここまで来た。
ここでおにぎりを食べた。おにぎりは固くなっていた。そりゃそうだ。出る時海山で買ったおにぎりだからだ(笑)。雨もパラッときて傘をさした。
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先の大坂もそうだが、十丈も200年以上も前に旅した前川善太郎の道中日記に出てくる地名だ。
当たり前と言えば当たり前たが、確かにここを歩いたんだ!と考えると、嬉しいのは私だけだろうか?。

十丈王子の横にあるこの株は、前川善太郎らが通った時にはしっかりとした生きた木であったのではなかろうかと。
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ここまで来た。500m道標だ。滝尻王子まであと5km。
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私は今回のコースはなめていた。歩く距離数だけ頭に入れていただけで、到着場所にはデリカを置いてあるから〜と時間には無頓着でいた。
おりしも小雨で森の中の中辺路はすでに暗くなっていた。この時点で3時前ぐらい。
思ったより時間がかかっていた。

するとこんな場所が。
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私にはピンっと来た。
前川善太郎らが歩いた時もここは雨だったようだ。今日も雨…。
山中で退屈で難儀したと。 うん。そうだろうね、でも私は退屈してないけど。

正面の岩を前川善太郎の腰掛け岩と私は名付けた。
道の状況や景色は変われどもこの岩は旅人らをずっと見てきたと。
そう考えると、とてもいとおしい岩だ(笑)。
なので、石を前川善太郎に見たて座らせてあげた。
時間が無いと言うのによく遊ぶ私なんだ。
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原住民が居るのか!?と本当にビックリした。
中辺路沿いにそびえ立っている。
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やっとここまで来たと言うか、ここから先はまだまだあるじょ!と焦りがつのる。
ここは高原と言う集落だ。
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かなり下ったかな。
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するとこんな道になった。
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ぬれているし傾斜がきついので滑りそうで怖かった。
迷わないありがたい配慮だが、ここまでするか!?とも思えた。
こんな石張りは洋風にも見えるし。
こんな道は昔のままが風情あると。
いろんな事情があるのだろうが…。


つづく〜(⌒0⌒)/~~


by 理事長
中辺路バックパッカー パート5 [2022年12月11日(Sun)]
私は何故歩くのだろうか…。

歩きながら考えている自分がいる。

私の場合は山のてっぺんを目指す登山ではない。

歴史の道を歩いている。

何故、歴史の道を歩くのだろう。

歩いていると、これが人間本来の姿だ!と思う時がある。
昔は歩くのが移動手段だったからだ。

私は熊野古道をよりよく知って集客に繋げたい!との思いから歩き始めたんだな。

どうしたら集客につながるだろうか?。
私が楽しいと思ったところを伝えたい!と考えてはいる。

ただ最近は自分自身のために歩いているのではと気付かされる。

そう、残された寿命はだんだん少なくなっている。タイミング的に死への恐怖を感じる年頃になったと言うことだ。
そんな自分を受け入れるために何かを見つけたい、悟りたいとの気持ちもある。

と言っても足が痛い〜腰が痛い〜早く飲みた〜いと思って歩いているのがほとんどだ。

歴史街道では、たくさんの庶民の想いに馳せて歩ける。
そう、ここを歩いた昔の人は皆亡くなっている。
遠い昔の人達だが、その時その時に今!があったはずだ。

どんな人生だったのだろう?。考えると計りしれないが、私の場合は熊野古道が後世につながるよう歩いている。

うん。歩こう!。

夜露びしょびしょのテントを素早く畳み8時には歩き出せたのは何よりだった。
橋を渡り道標からここは左折とわかった。
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すぐにこんな場所が。
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どっかの家に行くような道で笑えた。これが歴史の道の醍醐味の一つだな。

車道を何度か横断しながらこんな道を歩いて行くと。
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きれいな紅葉やん〜とテンション上がる。
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車の行き交う音を感じていたのでR311が近いと思っていた。
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道の駅中辺路に到着〜で、なんと朝から食堂がやっていたのにはビックリで、朝食無しの私はすぐさま山菜うどんを注文した。
そう朝早く出発できたのは朝食をしていなかったから(笑)。

実は前日もここで食べていた。山菜ソバだ。具にちょっと入っているとろろ昆布と山菜の絶妙な旨味を感じていたんだ。
なので、朝だから山菜うどんにした。とろろ昆布を楽しみに食べていると、おじさんがお兄ちゃん一緒のシャツや!と話しかけてきた。私もビックリ、同じシャツですね〜mont-bellですねと。
おじさんは見るからに熊野古道の語り部。とてもよくしゃべる。私もつられつしゃべりながら食べていたら、とろろ昆布がどっか行ってしまった。溶けてしまったのか?。あかんしゃべりながら食べるのは …と悔しがった私だった。

外でそんなおじさんと記念撮影。シャツだけね(笑)。有名な語り部さんだろう。
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和歌山凄いよ。ここでも観光バスが何台か入ってきた。語り部さんもたくさん。
まあ土曜日と言うことだからとしても凄いよ!。
かれこれ熊野古道関係で出会った観光客は300名ぐらいはいただろう。

とろろ昆布が残念だったが先を急いだ私だった。

でもこの後、今回のコースをなめていたのがわかった。



つづく〜(⌒0⌒)/~~
by理事長
中辺路バックパッカーパート4 [2022年12月08日(Thu)]

今回の中辺路は野中の継桜王子から滝尻王子までだが、歩き始めは遅く1時ぐらいからであった。
明日のルートを考えると、今日は近露を越えて時間の許す限り歩くことが得策だと考えていたが、近露に下りて来たところで呑んでしまったんだ。
うん。私だけ平和だね〜とちびまる子状態におちいっていたな(笑)。

車道を歩いていてもこのような道標があるのは安心感と歓迎感を感じられるから、道標はやっぱり大切だ。
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近露に入ったところでこんなお店ができていてビックリ。
熊野古道から出てきたところは左側の紅葉のところ。
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和歌山県の凄いところは道しるべも兼ねてか、この石張りをしているところ。
この場合は左側から出てきて車道を横切り細い道へ続く訳だ。
私のような者には安心感は大だ。
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こんな場面もあった。
左側の熊野古道の道標だが、私には右か左かちょっと躊躇した。
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右折して振り返ると熊野古道は左折だとすぐにわかる。
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そうなんだ、私は逆方向から来てるから、その方向に重きを置いていないとなるのかな?と。このような場面はいくつかあった。

近年、町中の熊野古道ルートがこのようなキラキラ舗装をしてある。素晴らしい予算の掛け方だと嬉しく思う。
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お店の全景を撮っていなかった。ここが町中の熊野古道の脇にある古物屋だ。この大八車の車輪は太く頑丈そうでビックリした。
雨ざらしが心痛む。
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うん。明日は和歌山県知事の投票日だ。
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ここがバスで連れて来られたトイレだ。
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まだ先へ進むか迷う場面。
もう夕飯も済ませたし。
道の駅中辺路は越えれる時間帯で、越えたい状況だったが、すでにかなりヨイヨイだし、人様に迷惑かからない川原を見つけ野宿地とした。

かなり寒い地域だと直感してた。油断できないぞ!と。

夜、やっぱり夜露が激しい。雨でも降ったようだった。
7時過ぎには寝てた。

60になった私の身体は、悪いところばかりになってきたのだ。特に耳が悪い。

12時にトイレで起きる。

また寝る。

3時にまたトイレで起きる。

また寝る。

すると子供の声が遠くに聞こえる。耳に残る残響と言う感じ。

なんも怖さはない。

子供は男の子が二人、女の子が一人居ると判断した。

楽しそうにおしゃべりしてる。

私は寝ぼけてるのか?と言う気分で寝てるが、確かに起きている。実際テントの中にある眼鏡の位置を確認していた。

うん!?。この時間に子供らは居るか?とは考えていた。

私はテントの灯りは暗くしていつも点けている。

なので、子供らは私のテントに気付いたのがおしゃべりからわかった。

今回は生地の薄い山岳テントだったので灯りがよくわかってしまったな!としくじった思いでライトを消した。

すると、子供の声は消えた。

なんやったんかいねぇ…と思いながらもまた寝た。

本当に耳が悪いな。

まあ、しょうがないかと。

朝は頑張って8時に歩き出す事ができたのは何よりだった。



つづく〜(⌒0⌒)/~~。

by 理事長
中辺路バックパッカーパート3 [2022年12月04日(Sun)]
ヤタゲタとはどんな意味?かと(笑)。

はい。ヤタゲタとは古代語です。

ヤタゲタのヤ(8)は神様を表します。
タは泉と言う意味。

ヤーヤー我こそは!でも古代語から言うと神、神、となります。

まあ、こんなアホタンな事を言うヤツの事をヤタゲタと言うのですね(笑)。

ともかく、オハイにしても古代語となると思います。以前古代語研究家から紀伊半島の島々や岬には古代語の地名がたくさん残っていると聞かされた事あります。

ちなみに、ハジカミとは小高い山の事でビンとは固いと言う意味だと言っていたのを記憶してます。

ともかく、日本と言う国は謎だらけ。真実を国民が聞かされてないと古代語研究家が言っていたのを今も鮮明に思い出す私ですな。

はい。ヤタゲタよりそんな事を思い出しておりましたが、今回の中辺路バックパッカーでは出発前に眼鏡でシクジリましたが、その後はちょっと賢い私だったかな。

まずは、車を今回の到着地点の熊野古道館に置いたのだ。そこからバスで野中に戻って歩き出した。と言うのは、帰りにバスの最終便に間に合わなかった時の事を考えたからだ。うん。賢いじょ。
今回は一人だ。まりちゃんもいずみちゃんも居ないから甘えられない事を知っていた。賢い!

まずは緊張のバスに乗る。
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私の整理券の番号は26だった。しばらくして電光掲示板に26を探したのだが何故か26が無い。しばらく悩んだ。運転手さんに聞こうかと思ったほどだ。
何故だ!悩む…。

すると、電光掲示板が二つあるのに気付いた。26あった♪と。
子供よりヤタゲタだ(笑)。
早くボクを野中に下ろして〜と祈っていた。

すると野中の手前の近露でバスは左折した。えっ!?と焦りまくり。するとバスは近露の公衆トイレに止まった。運転手さんイケズやわ〜ボクは今から歩いてここに来るのになんでボクをここに降ろすんやねん!と。

トイレ休憩しま〜すと。なるほど!このバスは道中長いし中辺路ハイカーがここから歩く人も居るからなんや〜!やるやんか和歌山〜とテンション上がったまではよいのだが、その後バスは来た道には帰らず違う方向へ。もういややわ〜やっぱりマネージャーと一緒に来なーあかんじょ〜と。
するとバスは町中を半周してR311に戻った。よしこれでやっと野中に着くと確信した。
ほんまヤタゲタやじょ(笑)。

はい。継桜王子だ。
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他の王子に比べきらびやかだった。
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とがの木茶屋の室内。
室内で焚き火できるって最高やな。
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ここでまた山に突入したら行き止りだった。跡だけね。ちょっと紛らわしかった。
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ボクが案内板を読んでないだけだと思うのだが。

ヤタゲタ。



つづく〜(⌒0⌒)/~~

by 理事長
中辺路バックパッカー!パート2 [2022年12月03日(Sat)]

今回の中辺路は中野は継桜王子から滝尻王子。
ここは中辺路メインストリートと言ってよいだろう。

しかし、歩く方向は私には逆になるんだ。中辺路では田辺から熊野本宮に向けてだ。
私は江戸時代の道中日記で歩いているから伊勢神宮から速玉大社、那智大社(青岸渡寺)、熊野本宮から田辺を目指すのだ。

やっぱりメインストリートだ。山中では100人ぐらいの人とすれ違った。
素晴らしいぞ、和歌山県!で。
観光地化してる。まあ諸問題もあるかと思うけど、私にはうらまやしかった。
とがの木茶屋で。
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継桜王子の下にあるね。
茶屋のお姉さんが親切で茶をよばれた。写真も撮ってくれた。



はい。出発の24時間前…。
私は自宅で目が覚めた。
内山りゅうさんらが海山入りしてくれてたし、会議が続いていたため興奮してた訳ではないのだが、朝目覚し時計が鳴らなかった。不思議に思ったら目覚時計が倒れていたのだ。そして横に置いてあった私の眼鏡を取ったら青くなった。
眼鏡のフレームがグニャリと曲がってた。

明日からバックパッカーやのに!と。寝相が悪くて時計や眼鏡を叩いてしまったようだ。
ハチャメチャと言えばかわいいから、私の場合はヤタゲタだな。

もう精神状態もヤタゲタ。まりちゃんにすぐに電話して眼鏡壊した!と怒っていた。うん、ヤタゲタ(笑)。
テンションドン底。チーン…だ。終わったと…。

フレームはもう折れる寸前。とりあえずキャンプ場に行き、藁をもすがる気持ちで行きつけの眼鏡屋へ。
フレームだけすぐになんとか変えれないか!?と店員のお姉さんに頼み込む。
レンズは削れるからここでなんとかなるよて言ってくれて安心してたらお姉さんは、同じフレーム1つだけ残ってた!と。感動感動感謝感謝で。パカパカとフレーム入れ替え。
生き返った〜と(笑)。
フレームは色こそ違うけど、本当に良かった。
またテンションヒートアップ。

いや、実は眼鏡が壊れたのを見たとき、こりゃ〜私に今回はバックパッカーに行くな〜と神様が言っているのかと考えていた。
不吉の前兆かなと。
いや、お姉さんが神様やじょ!と頭切り替えた。本当ヤタゲタ(笑)。

そんなこんなのハプニングもありましたが、はい。前にはヨッシーとここで終わったバス停。
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うん。前に進もう!と歩き出した。
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つづく〜(⌒0⌒)/~~。

by 理事長
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