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紀伊路第3弾 パート22 [2025年05月22日(Thu)]
先に見た景色はまさしく目指す方向だが、これからのルート上にある道中日記にも出てくる黒江と言う町は山と山の間を行くので峠越えはなかったのだが、そんな事忘れていたし、目指す和歌山城ははるか彼方にある。
どこを野宿地とするか!なんて考える余裕なく進むしか考えていなかったな。

藤白坂からどんどん下り、町になった地点でまず迎えてくれたのは阪和自動車道の海南インター下のガードだった。くぐる。
P4124123.jpg

そして善太郎の道中日記に出てくる藤白神社(権現)に入ったのだが、これしか写真は無い。人がたくさんで、圧倒されていたんだな(笑)。
P4124125.jpg

そして道中日記に出ている鈴木屋敷だ。
P4124129.jpg

何故、善太郎らはこの鈴木屋敷をわざわざ書いたのかはわからない。
P4124128.jpg

ボクの推測では、西国三十三所二番札の紀三井寺を目前に風光明媚な地に着いたと言うハイな気分になっていたのではないか?と(笑)。
不思議なのは王子社の存在が一度も道中日記には出て来ないのはなぜか?を考える。わからないが、もしかしたら当時は皇族の威厳が入った場所は話題にするべきではないかと考えていたのか?。

その後は旧道をひたすら歩き道中日記にも出ている熊野一の鳥居に着いた。今は跡地と言う事で。
P4124131.jpg

そう、この鳥居跡地が本来の熊野古道のコースと
和歌山城へ向かうボクのコースとの分岐点なのだ。平安の時代には西国三十三所観音巡礼の紀三井寺はコースではないのだ。
P4124130.jpg

と言う事で、ここからは何も熊野古道の道標なんか無い。
見放された想い(笑)。
いや、現代の道路標識が道標となる。
はてさてどうなることやら。



つづく〜(°_°)

by理事長
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