藤白王子より車道からの下りが素晴らしいかった。車道より崖を下るように熊野古道に突然突入した。

わずかな距離だが石畳階段が現れた。

写真ではわかりにくいが、この階段は一枚岩を削っての階段だと思った。
ボクは熊野古道を長く歩いてきていろんな事に気付く事ができたと嬉しく思っている。
熊野古道を歩くと言うと石畳の峠道を想像すると思うが、ボクは石畳道を求めてるものではないな!と言う気持ちに変わっていた。
熊野古道と言う参詣道の世界遺産。その事情には景観(文化的)が大切であると言うのは理解できるが、長く歩いていると景観なんかちっぽけなこだわりだな!と思えてくる。
そう、大切なのは時代や目指す神仏が違うとしても巡礼と言う世界が世界共通ではないかな。
神仏への参詣が許された時代も去る事ながら、庶民と言う存在は高中下に分けて考えたいと思う。ボクの言う庶民とは弱い下の人たち。そりゃお金持ちの商人のような人ならいつの時代も巡礼ができたとは思う。善太郎らもそうだが、お金があるからこそ旅ができたのだ。ましてや権力に物を言わせる巡礼にはボクは興味出ない。
偉い人、偉くない人、巡礼にはそんな事は関係ないな。今の政治家こそ歩いてほしいなと思う時が多々あったな(笑)。
また、地域のもてなしの心等、巡礼を感じ得る熊野古道であってほしいと願う。その魅力があれば人類の世界遺産に本当にふさわしく、世界からたくさんの人が熊野古道に集まる事だろう。
巡礼と言っても明るく楽しく歩いてもらいたいし、もちろん他人さんに迷惑かけないマナーだけは守ってもらいたい。
ボクには、次に出てくる集落の方が楽しかったな。ある意味ボクは巡礼者になった瞬間の気持ちと言うのはそんな時だったなと思う。
峠あり、集落ありをタイミングよく繰り返し歩く事ができるのが熊野古道の魅力だな!と。
紀伊路、石畳道こそわずかだが、熊野古道と言う本質を強く感じることができる道だなと思えた。
江戸時代、五ヶ月にも及ぶ長い旅をした前川善太郎一行。詳しく道中日記を書いてくれた事は本当に素晴らしく、それを無駄にしたくないと思っているし、楽しませてもらっている。感謝。
ボクには善太郎が目指す神仏になってるようだ(笑)。
善太郎の道中日記のこの部分。

爪書き地蔵より藤白峠から。大きな石地蔵には気づかなかった。開山の石塔も気づかなかった。それらは見てるのだろうけど、なかなかわからないものだ。
次、筆捨て松、同所に硯の石あり と。
これだ!。

善太郎と会えた気がした(笑)。

ここが筆捨て松。松はもう無い。

確か鈴鹿峠にも筆捨てがあったなと。

この場所は昔むかし、大雨により崩れ硯石が流れ見失い、掘り起こしたのだとか。いつの時代も災害はあるものだなと。
ともかく、ボクの頭の中は善太郎に会えた気分で嬉しくこんな世界になっていたな(笑)。

つづく〜(^∇^)
by理事長