熊野古道を歩き出してから早8年ぐらいになるだろうか。私の立場としてキャンプインを本職とした時期だ。
銚子川、世界遺産熊野古道を生かしたい!と使命感に溢れていたな。
熊野古道はやっぱり自分で歩かないと魅力がわからないやろ!とまずは伊勢路から歩き出した。そして中辺路、大辺路、紀伊路と歩いてきた。
私には江戸時代1789年、伊万里よりの旅人前川善太郎が残した古文書(道中日記)から善太郎を追いかける旅とした。
紀伊路はどこまで追いかけるか?まあ和歌山城を過ぎた紀の川ぐらいを考えている。小辺路、大峰奥駈路は山岳的で全て踏破するのは考えていない。大峰やそれらの路は善太郎が歩いていないからでもあるが、私には踏破はもうキツイし大峰はかなりリスクが伴うからである。小辺路はジュリちゃんが踏破してるから、ゆくゆくはジュリちゃんを追いかける旅とするか(笑)。
善太郎が旅した伊勢神宮参拝と西国三十三所観音巡礼は車で寺を回ってたりして最後まで追いかけたいと思っている。そして道中日記に出てくる峠は歩けそうなら追いかけて行きたいと。そこで、東海道は関宿、鈴鹿峠、大阪奈良の暗峠は目下の目標だ。
こんな事情の現在で、今回小辺路の果無峠を歩けたのは本当に嬉しい。
これで各路の違いがよくわかったように思っている。
小辺路、素晴らしい!。またも他に無い魅力があった。もちろん、みんなそれぞれ違う魅力があるのにはびっくりで、熊野古道の醍醐味を感じることができた。
小辺路は飾り気のない古き良き日本の素朴な原風景を感じた。人それぞれ求めるものは違うだろうが、小辺路は今後インバウンドの人が求めている世界ではないかな?と言う気持ちがした。那智から本宮への大雲取り、小雲取りと、よく似てる一面はあったが、果無のネーミングからもなんか凄い魅力的で神秘性を感じるのは私だけであろうか。
まあ一部だけ歩いただけだから全てはわからないのは申し訳ないが、高野山との繋がりにも未知なる魅力を感じている。
また、どうしたら人が来るか、何が足りないか、等、長く歩いていると自然と見えてくる。そう、私は自分の趣味で歩いているのではない。地方と言われる田舎がどうやって生き残っていくかを考える為に歩いている。
世界を見てみると、祈る神は違えども、神に繋がる道を歩く気持ちは同じやろ!と私は結論を出した。
そんな意識のある人達に世界中から来てもらえたなら、素晴らしい地方になるのではないかなと。紀伊半島としてね。
迎え入れる地域は、熊野古道を歩く旅の人を巡礼者として見てあげてほしい。挨拶の一つでもよいから。
はい。こんなトンチンカンな私がここまで歩けたのもたくさんの皆さんのご理解ご協力、応援があっての事。
ありがとうございました。
ここは果無集落。この地点で9時。
いずみちゃん前の小さな池に注目。
楽しみは後になるが(笑)。
とても懐かしい雰囲気。
振り返る。
さあいよいよだ。
こんなお地蔵様が道沿いに点々と三十三体あるんだ。
西国三十三所巡礼巡りの山としているのだろう。
これを設置した経緯や年代を知りたいところ。
私らの他に外国人と日本人の女性二人が前を歩いていた。
路を掘り返したり、フンとか無く動物の気配は不思議と感じられなかったがクマ鈴を鳴らしながら歩く。
いずみちゃんと今回は天気に恵まれた。
ところどころ見晴らしよく。
ブレた写真で申し訳ないが、観音堂まで来た。
インバウンドの人ではない。いずみちゃん。
いずみちゃん本当かっこいい!。
やっと峠まで来た。この地点で11時半。
峠で女性二人も休んでおり、少し話しができた。
チョコレートいかがですか?と、とても親切な女性であったのは嬉しく。
外国の人も居たので、別れ際私は意を決して『Have a nice trip!』と声をかけた。女性の微笑みがとても素敵であった。
ボクの英語伝わったんかい?と(笑)。
つづく〜( ´∀`)
by 理事長