大辺路を歩くにあたり、大切な見どころ二つは情報入れていた。熊野古道センターの橋本さんから。一つはどこかは忘れていたのだが、サンゴを石畳の代わりにした道があると。これには出会っているはずだが、わからなかった。
もう一つがこれ。
そう、大辺路に伊勢路の石道標があるのだ。
先に何気に通り過ぎてしまった分岐の場所を上がるとね。
この地点で何故伊勢路なのか?那智があるやろ!と単純なボクは思っている。
この地点で伊勢路とは、那智、新宮を経由する広くとらえた道標と言えるのだろう。
別に道の名前を示したわけではなく目的地を示したものだ。
伊勢に向かうからいせみち!。素直だね。ストレートでわかりやすい。現在はと言うと熊野古道伊勢路だ。伊勢から熊野に向かってだ。
もうボクにはわからない。道標は向かう方向を示すはずなんだが。熊野に向かうなら熊野路でよいんとちゃうか!?と。まあこれには訳があるらしく(笑)。
文久とある。
資料には文久は1861〜1864とあるね。幕末は1868年だ。
ともかく、この地でいせみちとはなんか本当に素敵で嬉しいボクだった。
いや〜ん、草ボウボウ。
これはさすがにボクは草刈り無理(笑)。
その地域が高齢化で熊野古道に関心ないのなら致し方ないね。まあ草は伸びるの早いし。致し方ない。致し方ない。
こんな車道に出た。
このような祠があった。
さあ、行くぞ!姫までか?古座までか?と。
海に出た。串本海中公園。
子供がまだ小さい時に皆んなで海中に下りたなと懐かしく。
廃校だ。
進む。
ここだ!。グーグルマップで確認してた。真っ直ぐ国道を行けば串本の橋杭岩だが、ボクは左折する。
熊野古道ではこの山側が本道なのだと。
高速道路の建設現場を行く。
凄いね。
赤い鳥居が見えた。
熊野古道はあっちちゃうかな?ボク間違えたかな?と。
川を渡る時は必ずどんな魚がいるかしばらく道草する。カワムツがたくさんいた。
分岐点にお地蔵様が。
やっぱり熊野古道は本来山側通ってるやろ!さっきの赤い鳥居が本来のコースやろなとね。
右側の道標は橋杭岩はまだ向こうです!右側が橋杭、姫です!となるね。この先で直進が姫で右折が橋杭岩だったはず。橋杭岩とは言わずに橋杭の表現に何かこの地の表現があるのだろうか?姫とは同じ方向ではないし。ボクにはわからん。
次の分岐点で右に行けば橋杭岩に行けるが、ボクは姫を目指した。
読めないけど、道標だろうか?。ここはルートだなと。
やっと海だ。
また線路。線路をあっちに行ったり、こっちに行ったりを繰り返してきたなと。
国道に出ると石仏と道標が。ここが当時からの分岐場所と理解できる。
澤信坊の道標地蔵と言うらしい。
振り返る。
橋杭岩の後ろ姿が見えた。
姫だ!。
なんとかわいい駅だ。おしゃれだし。
ひたすら歩く。
こんな屋形が。原町のお堂と言うらしい。古座駅までもうすぐだ。
着いた!。
よく頑張った。
︎
本当は姫で帰ろうかとも考えていたんだ。途中でまりちゃんから何処におる〜?近くまで来てるから〜と電話が。
ええっ!?と。時間考え、それなら古座駅で拾って〜とボク。
この日まるちゃんは丸山千枚田で田んぼ作業しててね。まりちゃん、まるちゃんでボクを迎えに来てくれたんだ。
まるちゃんのプラドに乗せてもらう。景色がビュンビュン変わる。笑える笑える。しばらく歩くスピードだったので、文明にいきなり戻らされた瞬間だった(笑)。
さて、次は最終。古座から那智だ。
大辺路第4段だね。長〜いお付き合い本当ありがとうございます。まだまだ続きます(笑)。
by理事長