皆様、ご無沙汰です。
長い旅をしていました??。
11月にはひでちゃんと熊野古道中辺路の大雲と小雲を越えることができたのは本当に嬉しいことでした。難所だからもう二度とよう越えんやろ(笑)。
大雲はこれまでの人生。小雲はこれからの人生と決めて歩いた。
これまでの人生にさよならをしたかったのだ。
もう老いたと…。
けじめの気持ちやね。
所業は子供のままなんだが(笑)。
とにかく目的地の熊野本宮に到着して、伊勢の神様と熊野の神様を結ぶ伊勢路達成の目的を私は果すことができたのでしたが、今後の取り組みの事で和歌山の熊野古道や周辺を感じたいと、まだ旅を続けることにしました。
この日は12月14日の事です。一人で行ってきました。
はい。わけわからん長い旅になりそうです(笑)。

熊野本宮からの続きですね。本宮からはいろいろとコースがありますが、私には江戸時代の旅人の前川善太郎を追いかける旅です。
前川善太郎らは本宮からどのコースを歩いたかを前川善太郎の母、登勢の書いた道中日記の内容を専門家の内山ゆきこさんに調べてもらったのでした。
ゆきこさんは各専門家に問い合わせてくれたお陰でわかったのです。

前川善太郎らは道を間違えていたのです。
本当は行きたかったのは湯峯(ゆのみね)道。しかし、手前を左折して大日越えをしてしまったのです。途中で人に聞き間違いに気付いたのでしたが、引き返さずにそのまま大日越えをして湯峯に行き、それに続く赤木越えをしたのです。湯峯道の方が楽なコースなので、そちらを行きたかったのか、何か途中に目的があったのかはもう誰にもわからないことかと。
なので、私はまずは本宮から大日越えをして、赤木越えをする前に湯峯から渡瀬に行き三本目の道を探し、今は途中までしか行けない湯峰道を行く計画を立てたのでした。
なんちゅうわけわからん計画やねん?やね(笑)。
今回の出発は大斎原(おおゆのはら)から。明治時代までは大斎原が熊野本宮だったのだ。だから前川善太郎らが来たときはここが本宮。

前川善太郎らが請川から来た方面から見た大斎原。

私はやっぱりアホタン。水がなさげな熊野川を渡ろうとしたが、熊野川は水が切れるはずはないね(笑)。


はい。大日越え。

でもここからは入らず。
まずはひでちゃんと来たときにショートカットした正規のルートから入る事に。その前に大日山トンネルを横切る。

熊野古道はここからだ。前川善太郎らの歩いた道順。

どんどん上がって行く。


なかなか風情ある道だけど、ひでちゃんと来たときはもうバテバテだったし、ここを歩いていたら、まりちゃんと出会わなかったから通らなくて良かったよ〜と思った私でした。
杖が差す先は大日山トンネルの道路標識だ。

はい。大日山トンネルの上の峠。立石と言う場所。

ここ立石は分岐点の場所。前方が渡瀬へ続づく道。
右側にある立ててある石が立石なのか?。

そのまま右側を写す。

渡瀬へ続く道にはこんな案内が。今回私は向こうからここに来る予定なのだ。


今からこの先を下り、さっきの大日山越えの看板にまた行く。ここは間違いなく?前川善太郎らが通った道。

まあ、まずは休憩〜(⌒0⌒)/。
つづく〜。
by 理事長