蓮田の住民はどのように講と付き合ってきたのか? −− 江戸時代の講を中心に −−
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江戸時代は盛んに各村々で行われていた講ですが、現代になり交通が発達し核家族が進行すると、ほとんど絶滅危惧種となってしまいました。蓮田でも未だに行われているのは辻谷地区だけだそうです。
梅雨の合間の今日、晴天になったのはいいのですが気温が急に上り30℃を超える中、中央公民館主催の恒例中里先生の歴史講座「蓮田の講」が開催されました。
マスク着用・手指消毒・パーティション設置・検温・ソーシャルディスタンスでの着席などコロナ対策も万全(?)に、1時間ちょいという時間制限の中、何とか無事に終了しました。
今回は先生も2時間の講義を1時間にショートカットしていただきましたが、やはりどれほど言いたいことが伝わったか心配してました。早く退散せよ、コロナよ!
私もできたらもう少し詳しく、講については聞きたかった。
講についていえば、全国各地から伊勢参りや善光寺詣り金毘羅さん参りなど歩いて2〜3ヵ月掛けて代参講などが盛んに行われ、やがて明治時代になり神仏分離や廃仏毀釈などの令が布かれ、神官の御師制度も廃止になりやがて鉄道を利用して新しい神社仏閣にお参りする旅行業者が台頭してくる時代を迎えた訳です。その第1号の旅行業者が日本旅行会(現日本旅行)だったということです。100年史にはそこまでは触れていませんが・・・。(FBより)