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今日の海の日

マンガ・アニメに見る「船旅」の魅力― 『サマータイムレンダ』と友ヶ島航路 ―

皆さんこんにちは!
船の科学館に勤める学芸員(ペンネーム:アクエリアス)です。

目まぐるしく気温が変化する今日この頃ですが、皆さんはどうお過ごしでしょうか。

さて、今回の【海とマンガ・アニメ】では、「船で旅する物語」をテーマに、和歌山県の離島を舞台にした作品、田中靖規氏作 マンガ『サマータイムレンダ』をご紹介します。

『サマータイムレンダ』は、和歌山市沖に浮かぶ離島「日都ヶ島(ひとがしま)」を舞台にしたSFサスペンス作品です。

田中靖規氏による原作マンガ『サマータイムレンダ』は、2017年から2021年にかけて「少年ジャンプ+」で連載され、累計閲覧数は1億5000万回以上です。
2022年にはアニメ化もされ、全25話・2クールにて、原作最終回まで完全アニメ化を果たした作品となっています。

■主な登場人物
・網代慎平(あじろ しんぺい)
 幼なじみの死をきっかけに、不思議な力で過去へ戻りながら、
 島の謎に立ち向かう主人公

・小舟潮(こふね うしお)
 明るく元気な性格の少女。
 慎平の幼なじみで、物語の中心となる存在

・南方ひづる(みなかた ひづる)
 “影”の謎を追う女性作家。
 冷静で頼れる仲間

・小舟澪(こふね みお)  潮の妹。
  慎平たちと協力しながら、島を守るために戦う少女

・根津銀次郎(ねづ ぎんじろう)
 島の異変にいち早く気づいていた猟師。
 豊富な経験と高い戦闘能力で、慎平たちを支える

■あらすじ
幼なじみ・潮の訃報を受け、故郷の離島へ戻った網代慎平は、彼女の死に不審な点があることを知ります。島には人間そっくりに姿を真似る“影”の怪異が潜んでおり、慎平自身も死ぬたびに過去へ戻る力を得ます。繰り返される惨劇の中で、仲間たちと協力しながら島を救うために戦う、SF要素を含んだタイムループ・サスペンス作品です。

作品内では、主人公たちが本土と島を行き来する際に、連絡船(フェリー)がたびたび登場します。
離島を訪れるためには、当然ながら海を渡らなければなりません。
橋やトンネルではなく、船でしか行けない場所という点が、この作品独特の閉鎖感や非日常感を演出しています。

実際に、本作の舞台モデルの一つとされている和歌山県・友ヶ島 へも、加太港から友ヶ島汽船に乗って向かいます。
船に乗り、少しずつ本土が遠ざかっていく時間は、まるで作品世界へ入り込んでいくような感覚があります。

友ヶ島.jpg

友ヶ島からの海の景色
出典:写真AC

港を離れる瞬間。
海鳥の鳴き声。
波を切る音。
そして徐々に近づいてくる島影。

こうした時間の積み重ねが、旅情を生み出しているのでしょう。

現在のように高速道路や航空路線が整備される以前、離島や港町へ向かう船は、人々の暮らしと観光を支える重要な存在でした。

また、船会社が制作した観光ポスターには、青い海や白波、港町の風景が鮮やかに描かれており、現代の“聖地巡礼ポスター”にも通じる魅力があります。
マンガ・アニメ作品の中で描かれる「海へ向かう憧れ」は、こうした日本の船旅文化の延長線上にあるのかもしれませんね。

近年では、マンガ・アニメ作品をきっかけに、実際にその土地を訪れる「聖地巡礼」も盛んになっています。
その中でも、船でしか行くことのできない聖地は、特別な魅力を持っています。

ちなみに、メインキャラクターの小舟 潮は、和歌山市初となる「和歌山市アニメ観光大使」にも就任しています。 下記サイト内の、聖地巡礼マップもお見逃しなく!

船に乗る時間があるからこそ、日常から少しずつ気持ちが切り替わり、“作品世界へ入っていく感覚”が生まれるのではないでしょうか。 初夏の休日、皆さんも「船で向かう物語の舞台」を訪れてみてはいかがでしょうか。

今回はここまで!次回をお楽しみに!

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投稿者:アクエリアス カテゴリー:海とマンガ・アニメ コメント:0
戦前日本の最優秀客船「新田丸」は、昭和14年5月20日に進水

日本郵船が「優秀船舶建造助成施設」の助成を受けて建造した貨客船「新田丸」は、当時のヨーロッパ航路の香取丸・諏訪丸クラスの代船として、三菱重工業(株)長崎造船所に発注され、3隻の姉妹船の1番船として昭和13(1938)年5月9日に起工し、翌14(1939)年5月20日に進水ました。
進水時の「新田丸」は、船体の黒塗装がほぼ全体にわたり、白線が入るのが特徴でした。

船の名前は、進水時に船主が命名しますが、「新田丸」の名前は、新田義貞公を祀る新田神社(群馬県太田市)にちなんで命名されています。
そして、2番船「八幡丸」、3番船「春日丸(客船としては未完成)」の英文頭文字をつなげると、日本郵船株式会社の「NYK」となるように考えられていました。

進水記念絵葉書01.jpg

「新田丸進水記念絵葉書」
所蔵:船の科学館

当初「新田丸」は、ヨーロッパ航路の定期客船として計画されましたが、竣工した昭和15(1940)年には第二次世界大戦が勃発しており、予定していたヨーロッパ航路には就航できず、太平洋航路に就航しました。

ところで、旅客機がまだない時代は、海外への渡航手段は「船」しかありませんでしたが、「新田丸」が太平洋を横断するのに、何日かかったと思いますか?

現代のジェット旅客機を使えば、風の影響や路線によって異なるものの、片道約10〜14時間程度で太平洋を横断できますが、当時快速を誇っていた「新田丸」(航海速力19ノット(約35km/時))は、神戸を出港して横浜〜ホノルル〜サンフランシスコを経由し、ロサンゼルスに到着するのに、約2週間かかりました。

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投稿者:メル カテゴリー:船・潜水艦 コメント:0
関東大震災後の復興橋梁「両国橋」は、昭和7年5月18日に開通

現在、隅田川に架かる「両国橋」(東京都中央区〜墨田区)は、大正12(1923)年に発生した関東大震災の復興事業として架け替えられ、昭和7(1932)年5月18日に開通しました。

さて、「両国橋」の創架は、江戸明暦の大火(明暦3(1657)年)がきっかけとされ、隅田川の橋の中では、千住大橋に次いで2番目に古い歴史を持っています。当初は、現在よりも少し下流に架橋され「大橋」と呼ばれていました。

「両国橋」は江戸時代から納涼の場として親しまれ、納涼期間中には両国橋と新大橋の間で花火が打ち上げられ、多くの見物人で賑わったそうで、その様子は多くの浮世絵に描かれています。

江戸八景 両国橋の夕照.jpg

錦絵「江戸八景 両国橋の夕照」
作:渓斎英泉
出典:国立国会図書館「錦絵と写真でめぐる日本の名所」

江戸後期に活躍した浮世絵師 渓斎英泉(1790-1848)は、中国の瀟湘八景に倣って江戸の代表的風景を描いた「江戸八景」の中で、「両国橋の夕照」を刊行しています。
後方に両国橋、隅田川には屋根船や茶船、猪牙船などが行き交い、川船が江戸の物資と人の輸送を支えていた様子が描かれています。

また、最後の浮世絵師の一人と呼ばれる小林清親(1874-1915)は、明治13(1880)年に夕暮れ時の両国橋と千本杭を描いています。

かつて両国橋付近には、上流からの流れを和らげ、川岸を保護するために数多くの杭が打たれ、その杭は「百本杭」「千本杭」と呼ばれていました。

錦絵 千ぼんくい両国橋.jpg

錦絵「千ぼんくい両国橋」
作:小林清親
寸法:232×357
所蔵:船の科学館

小林清親は、同じ年(明治13年)に「両国花火之図」も描いています。

錦絵 両国花火之図.jpg

錦絵「両国花火之図」
作:小林清親
寸法:240×354
所蔵:船の科学館

「両国花火之図」には、夜空を彩る花火と隅田川の水面に写る光、船上から花火を見物する人が黒いシルエットで描かれ、まさに「光線画」と呼ばれる視覚表現で描かれています。

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投稿者:メル カテゴリー:灯台・建築物 コメント:0
【宗谷通信28】おかえりなさい“しらせ”! 南極からの帰港
こちらは、初代南極観測船“宗谷”です。

楽しかった連休も終わり、いよいよ初夏の気配が感じられるようになりましたね。
“宗谷”ではゴールデンウィーク期間中、鯉のぼりと満船飾の掲揚を行いました。
お天気がパッとしない日もありましたが、さわやかで心地よい気候の日もあり、青空を悠々と泳ぐ鯉のぼりを見ることができました。
この時期だけの特別な姿、お楽しみいただけたなら嬉しいです。

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さて、さる4月23日、第67次南極観測協力行動に従事していた南極観測船“しらせ5003”が今次の行動を終え、母港である海上自衛隊横須賀基地へ帰港しました。
(初代の“宗谷”は海上保安庁の所属でしたが、2代目の“ふじ”以降の南極観測船は海上自衛隊が運用しています)
昨年11月に船出してから総行動日数156日に及ぶ航海でした。

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タグボートに曳かれ入港する“しらせ”
撮影:船の科学館


アラートオレンジ色の大きな船体が着岸するさまはまるで大きなビルのようで、ふだん見慣れた“宗谷”が華奢に見えてしまうほど頼もしい姿です。
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逸見岸壁に着岸した“しらせ5003”
撮影:船の科学館


帰国行事の会場となる逸見岸壁では、乗員の方々が船から降りてくるのを、明るい表情でそわそわと待つご家族や関係者の姿が強く印象に残っています。

今年の“しらせ”は帰港後にしては、とってもきれいに見えました。
塗装の剥がれや船体のへこみなど、例年だともう少し南極海での健闘の跡が見えるのです。
昨年は5年に一度の定期検査を行い、船体を全て塗り直しているおかげもあるのでしょうが、今回の往路のラミング(厚い氷に乗り上げて砕きながら前進する航行技術 )回数を聞いてびっくりしました。
なんと20回だったそうです。
海氷の状況は年によって大きく変わります。
多い年には何千回もラミングを行うことがあるため、今年はかなり少ない回数だったことになります。
ラミング回数が少ないということは、海氷が少ない、又あるいは薄いということで、船にとっては進みやすく、良いことなのでは?と思ってしまいますが、実際には少なすぎてもさまざまな影響が出てきてしまいます。

例えば、昭和基地へ「接岸」するというのは、基地の沖合1km以内に船を停泊させることをいいます。なぜ1kmなのかというと、燃料を移送するためのホースの長さが1000mだからです。昭和基地には岸壁や桟橋等の港湾設備がないため、このホースが届く範囲まで船が近づくことができれば「接岸成功」となるわけです。
しかし、今年は海氷の影響でいつもの場所へ停泊できず、別方向へ回り込んで基地から約1.7km離れた場所へ停泊することになりました。このことは出港前から予想されていたため、念入りな調査を行ったうえで延長用のホースを準備していきました。
例年ならば600〜1000m程で済むホースが、今年は過去最長となる2595mもの長さになったそうです。南極の地でそれだけのことをマンパワーでやってのけることに、頭が下がる思いです

宗通28_帰国行事.jpg
逸見岸壁にて行われた式典の様子
撮影:船の科学館


式典の訓示の中では、本年が南極観測70周年であることにも触れられました。
そう、今年2026年は、初代南極観測船“宗谷”が初めて南極へ向けて出港した1956年から、70周年という節目の年なのです。
お台場の科学未来館ではそれを記念して、この夏に企画展「大南極展」が開催されるとのこと、楽しみですね!


ところで、帰国した“しらせ”からとっても素敵なものが届きました。
今67次隊が採取した『南極の氷』です!
南極にはおみやげ屋さんはありませんし、石や落ちている鳥の羽根なども研究目的以外での持ち出しは南極条約によって禁止されています。(研究目的でも許可が必要です)
南極から持って帰れるのは思い出と、海にある氷だけ。
その貴重な氷を“宗谷”船内で展示しております。

宗通28_南極の氷2026.jpg
南極の氷
“宗谷”船内にて展示中


この氷の中に含まれたものを分析して地球の過去を知り、未来につなげていくことがこの南極観測の役目のひとつです。
近くでご覧いただけますので、地球の歴史や未来について考えるきっかけになれば幸いです。


今回の【宗谷通信】は、ここまで!
以上、“宗谷”から整備係兼学芸員のアデリーがお伝えしました。

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投稿者:アデリー カテゴリー:宗谷通信 コメント:0

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