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今日の海の日

国産三連成汽機を初搭載した「筑後川丸」は明治23年5月31日に竣工

明治時代、日本は産業や技術の近代化をはかるため、殖産産業政策が推進され、海運・造船分野では、汽船による商船隊や近代的な造船施設の整備、港湾・航路・法律・船員教育など、多岐にわたる分野で西欧化が進められました。

商船では、明治の造船史上で有名な大阪商船の鋼製貨客船6隻シリーズの1隻「筑後川丸」が、三菱長崎造船所において、明治23(1890)年5月31日に竣工しました。

004-2筑後川丸写真.jpg

所蔵:船の科学館

貨客船「筑後川丸」の概要

総トン数 610トン
主機 三連成レシプロ機関 1基
最大出力 520馬力
速力 11ノット(試運転最大)
旅客定員 256名(一等10名、二等20名、三等226名) ※北日本汽船時代

大阪商船はイギリスから鋼材が輸入されると、率先して日本で最初の鋼製貨客船を6隻発注し、そのうち三菱長崎造船所で建造した3隻には、同造船所で製造された国産の三連成汽機が初めて搭載されました。
「三連成汽機」とは、高圧・中圧・低圧の3本のシリンダーを持つレシプロ汽機のことで、ボイラーで発生した蒸気が3段階に膨張して力を出すことによって、経済的で燃料炭の消費が少なくてすんだのです。

参考までに、この6隻シリーズは3社の造船所に発注されています。

@球磨川丸 竣工年月:明治23年3月
建造:大阪鉄工所
主機:イギリス製二連成
A筑後川丸 竣工年月:明治23年5月
建造:三菱長崎造船所
主機:三菱長崎製三連成
B多摩川丸 竣工年月:明治23年9月
建造:川崎造船所
主機:川崎製二連成
C木曾川丸 竣工年月:明治23年9月
建造:三菱長崎造船所
主機:三菱長崎製三連成
D富士川丸 竣工年月:明治23年12月
建造:川崎造船所
主機:川崎製二連成
E信濃川丸 竣工年月:明治24年3月
建造:三菱長崎造船所
主機:三菱長崎製三連成

筑後川丸.jpg

絵画「S.S.CHIKUGOGAWA MARU」
作:山高五郎
寸法:137×240
所蔵:船の科学館

「筑後川丸」は、日清戦争が始まると海軍測量船として活躍し、明治33(1900)年以降は大阪・鎮南浦線、大連線等に就航しました。
その後、大正3(1914)年に北日本汽船、大正13(1924)年に大洋商船に移籍し、昭和5(1930)年に除籍されています。

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投稿者:メル カテゴリー:船・潜水艦 コメント:0
5月30日は「ごみゼロの日」。「海ごみゼロウィーク2025」は6月8日まで。

本日5月30日から6月8日まで、「海ごみゼロウィーク2025」の強化期間がスタートしました。
「海ごみゼロ活動」は、日本財団と環境省が共同で推進するもので、「海ごみゼロ」を合言葉に全国各地で一斉清掃活動が行われています。

海岸漂着ゴミ.jpg

「海岸漂着ごみ」
出展:写真AC

さて、世界中で増え続ける「海ごみ」の問題。
なかでも陸から流出した大量のプラスチックごみは、海岸や河口に集まるだけでなく、紫外線や海流で砕けた5ミリ以下の「マイクロプラスチック」となることで、生態系への影響が懸念されています。

海洋研究開発機構(JAMSTEC)の発表(2025年5月1日)によると、過去10年間に収集したデータから、海中のあらゆる深さに「マイクロプラスチック」が分布し、水深2,000メートル以深にも達していることがわかったそうです。

マイクロプラスチックゴミ.jpg

「プラスチックごみ」
作成:船の科学館

海に流出するごみの約8割は陸(街)由来とされ、海に流出したごみを回収することは容易ではありません。
いつまでも綺麗な海に魚や動物が暮らせるように、そして、その豊かな資源を使い続けて行けるように、私たち一人ひとりの行動によって、海の未来を守ることが大切です。

5月30日は「ご(5)み(3)ゼロ(0)」の語呂合わせから「ごみゼロの日」とされています。
海の豊かさを守るためにできることを、身近なところから始めてみませんか。

船の科学館では、私たちの暮らしが海を汚しているかもしれないって、本当?海の生き物が困っているってどういうこと?「ウミガメ」の海での暮らしを見ながら、海の環境問題の一つである「プラスチックごみ問題」について、アニメで学べる動画「ウミガメがみた世界の海(基本編)」をホームページで公開しています。
ご家庭や学校で是非ご活用ください。

海の学び動画.jpg

ウミガメ.jpg

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投稿者:メル カテゴリー:イベント・行事 コメント:0
【宗谷通信12】 “宗谷” 特別企画「船内見学ツアー」直前情報

こちらは、初代南極観測船“宗谷”です。

5月31日(土)・6月1日(日)の2日間、お台場の”東京国際クルーズターミナル”を会場として「東京みなと祭」が開催されます。
“宗谷”では、この「東京みなと祭」に合わせて、親子で楽しめる特別イベントを開催します。

“宗谷”特別企画「船内見学ツアー」のご案内《参加無料!各回先着10名様限定》
  開催日時:2025年5月31日(土)、6月 1日(日)の各日
      :第一部11:00〜(受付開始10:00〜)
       第二部13:00〜(受付開始12:00〜)
       第三部15:00〜(受付開始14:00〜)
  受付場所:“宗谷”乗船口前 特設カウンター
        ☆各回とも、開催の一時間前から受付を開始いたします。
  定  員:当日受付制で、各回先着10名様限定とさせていただきます。

  ※船内ツアーでは、急な階段など足元の悪い場所を通りますので、安全のため
   ハイヒールやサンダル、スカート着用での参加はご遠慮ください。
  ※非公開エリアを含むツアーのため、服などが汚れることも考えられます。
  ※ご参加にあたっては、当館でお配りする「ヘルメット」と「軍手」を着用
   いただきます。
  ※雨天中止となりますので、ご了承ください。

今回の【宗谷通信】は、いつもは見学できない特別なエリアを解説員が一緒にご案内する特別企画「船内見学ツアー」についての直前情報です。

  ◎詳細はウェブサイトから確認して下さい。

「船内見学ツアー」のコースを清掃しながら確認して来ましたので、チラッとご案内します。

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「これは何ですか?」「今は、まだ言えません・・・」

お次は

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「どこまで進むのですか?」「内緒です・・・もう少し進みましょう!」

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「ここは船内の何処ですか?」「秘密です…解説員が船内見学ツアーでご案内します」

ここで船内見学ツアーを詳しくご案内するよりも、後は参加してからのお楽しみにしておきましょう!

おまけ
“宗谷” 特別企画「船内見学ツアー」参加者には日付入りの参加記念オリジナル缶バッジをプレゼントさせていただきます。

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船内ツアー参加記念(日付入り)のオリジナル缶バッジ(イメージ)

今回の【宗谷通信】は、ここまで・・・。
皆様のご来館をお待ちしております。
“宗谷”でお会いしましょう!

以上、“宗谷”からお伝えしました!

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投稿者:マリンちゃん カテゴリー:宗谷通信 コメント:0
明治38年5月27日、連合艦隊が日本海海戦でバルチック艦隊を撃破

明治37(1904)年2月、開国からわずか40年のアジアの小国だった日本は、大国ロシアを相手に日露戦争を始め、海上においては「旅順港閉塞作戦」「黄海海戦」「蔚山沖海戦」を経て、明治38(1905)5月27日から「日本海海戦」が始まりました。
本日(2025年5月27日)は、日本海海戦120周年にあたります。

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写真「三笠艦橋の図(日本海海戦)」
寸法:415×730
所蔵:船の科学館

日本の連合艦隊は、整備を終えた艦から順次朝鮮半島南岸の鎮海湾に集結、旗艦「三笠」も明治38年1月14日に呉を出港して21日に鎮海湾に到着し、付近の海域で、連合艦隊の猛訓練を行いました。

一方ロシアは、太平洋艦隊の兵力を増強するため、18,000海里も離れたバルト海のリバウからバルチック艦隊の極東派遣を決め、明治37年10月、ロジェストウェンスキー中将が大艦隊を率いてリバウ軍港を出港し、極東に向かっていました。
出港直後には、北海においてイギリスの漁船を日本の駆逐艦と誤認して砲撃する「ドッガー・バンク事件」を起こし、イギリスとロシアの関係が緊迫しましたが、調停により和解しています。

バルチック艦隊航路図.jpg

イラスト「バルチック艦隊の航跡図」
所蔵:船の科学館

航路図の赤い線は、「太平洋第二艦隊(バルチック艦隊の主力)」の航路です。
青い線は、マダガスカル島で合流しているのが「同艦隊のスエズ支隊」の航路、ベトナムで合流しているのが、増援として派遣された「太平洋第三艦隊」の航路です。

バルチック艦隊の主力戦艦は、当時の浅いスエズ運河を通れなかったので、喜望峰まわりで航海し、比較的小型の戦艦を分派した「スエズ支隊」、旧式戦艦を主力とする「太平洋第三艦隊」は、スエズ運河を通過してインド洋に入っています。 喜望峰を回る長距離航海によって、バルチック艦隊は疲弊して戦力が低下したことが、日本海海戦での敗北の一因と言われています。

信濃丸.jpg

絵画 「信濃丸」
作:山高五郎
寸法:173×285
所蔵:船の科学館

そして、明治38年5月27日4時45分、前夜から東シナ海を哨戒していた仮装巡洋艦「信濃丸」は、対馬海峡に進入したバルチック艦隊を発見し、その情報を旗艦「三笠」に無線電信で「敵艦見ゆ」と発信しました。
絵画には、まだ暗い海面に月明りでシルエットが浮かび上がった敵艦を発見した「信濃丸」が描かれています。

旗艦「三笠」は、「敵艦見ゆとの警報に接し連合艦隊は直ちに出動これを撃沈せんとす、本日天気晴朗なれど波高し」との有名な電文を発信して出撃し、バルチック艦隊を発見すると、13時55分マストに「皇国の興廃此の一戦にあり各員一層奮励努力せよ」を意味するZ旗を掲げて戦闘開始を告げました。

三笠(日本海海戦当時).jpg

イラスト「戦艦「三笠」日本海海戦当時」
所蔵:船の科学館

この時の三笠は、前年の「黄海海戦」の戦訓により、前後のマストに設けられていたファイティングトップ、前部マストのメイン・ヤード(桁)が撤去され、代わりに三六式無線電信機の装備により、後部マスト先端にアンテナ・ヤードが新設され、無線アンテナが設置されています。

日本海海戦三笠.jpg

絵画「日本海海戦で奮戦する旗艦 「三笠」」
作:谷井建三
寸法:525×765
所蔵:船の科学館

この絵画には、バルチック艦隊の前面で大回頭を行い、後続する「敷島」とともに奮戦する旗艦「三笠」が描かれています。
敵艦隊からの砲弾は先頭を行く「三笠」に集中し、32発の命中弾を受けて後部メイン・マストも被弾・損傷、戦闘旗と大将旗も落ちてしまいましたが、直ちに予備の旗が掲揚されています。

二日間にわたる「日本海海戦」は、東郷平八郎司令長官の戦術、参謀秋山真之、佐藤鉄太郎の作戦、T字戦法、魚雷攻撃などにより、バルチック艦隊の戦艦8隻全てと巡洋艦7隻を撃破し、ロシアは降伏しました。

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投稿者:メル カテゴリー:船・潜水艦 コメント:0

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