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今日の海の日

日本郵船の欧州航路初の1万トン級貨客船「香取丸」、大正2年9月9日に竣工

日清戦争後の明治29(1896)年、日本郵船は土佐丸(5,402総トン)によって欧州航路を開設し、その後8,500総トン級の賀茂丸型、1万総トン級の香取丸型(2隻)へ発展しました。

その第1船「香取丸」は、明治44(1911)年に三菱重工業長崎造船所に発注され、大正2(1913)年9月9日、日本郵船の欧州航路初の1万トン級貨客船として竣工し、竣工とともに欧州航路の主力として活躍しました。(姉妹船「鹿島丸」は川崎造船所で竣工)船型は賀茂丸型を拡大改良した設計で、レシプロ機関と排気タービンを組み合わせた3軸推進という先進的な機関配置が採用され、注目を集めました。

貨客船「香取丸」の概要

総トン数 10,513トン
垂線間長 149.35メートル
型幅 18.59メートル
型深 11.15メートル
主機 排気タービン付三連成レシプロ機関×2基
推進器 3軸
出力 11,562馬力(連続最大)
速力 16.73ノット(試運転最大)
旅客定員 354名(一等112名、二等56名、特三等8名、三等178名)

ところが、就航直後の大正3(1914)年7月28日に、欧州で第一次世界大戦が勃発し、日本は、日英同盟からドイツに宣戦布告し、連合国軍に加わりました。 これにより、日本郵船の欧州航路に就航していた貨客船「八阪丸」が、地中海でドイツ潜水艦に撃沈されるなど同航路に危険が及び始めました。 そうした折、「香取丸」は大正6(1917)年以降、船体に迷彩を施したり、武装したりして太平洋航路を航海しました。

次の絵画は、造船技師であり、船舶画家として多くの作品を残した山高五郎が、大正6年11月に長崎港に帰港した「香取丸」を描いたもので、山高自身が「商船として武装した姿が珍しかったので描きとめた」と記しています。 本作は、雑誌『船の科学』(1949年9月号)に当時としては珍しい巻頭のカラー口絵で紹介されています。

香取丸.jpg

絵画「戦時色の「香取丸」」
作:山高五郎
寸法:150×226
制作:大正6(1917)年11月
所蔵:船の科学館

その後、大正11(1922)年3月に元の欧州航路に復活しましたが、昭和13(1938)年には陸軍軍用船として日中戦争に参加し、翌14年には第2次世界大戦の勃発により、欧州航路から基隆〜神戸線の臨時便に就航しました。

そして、昭和16(1941)年10月からは陸軍軍用船として徴用され、12月16日にボルネオへ歩兵部隊を輸送した直後、同月23日にオランダ潜水艦の雷撃を受け、日本郵船の最初の戦没船となり、その生涯を閉じました。

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投稿者:メル カテゴリー:船・潜水艦 コメント:0

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