日本とオランダの交流の歴史は、1600(慶長5)年、オランダ船「リーフデ号」が豊後(現在の大分県臼杵市)に漂着したことに始まります。
生き残った乗組員のうち、オランダ人のヤン・ヨーステンと、イギリス人航海士のウィリアム・アダムス(三浦按針)は徳川家康に重用され、外交や海外交易、西洋式船舶の建造などに関わりました。
その後、1609(慶長14)年にオランダ船2隻が平戸に到着します。
同年8月24日(慶長14年7月25日)、徳川家康はオランダ側の使節に、日本との貿易を許可する「朱印状」を発給しました。これによって日本とオランダの正式な通商が始まり、平戸にはオランダ商館が設置されました。
この「朱印状」には、オランダ船が日本のどの港に来航しても妨げてはならないという趣旨が記され、オランダ側に日本での通商が認められました。原本は現在、オランダ国立公文書館に所蔵されています。
一方、江戸時代初期には、日本人商人による海外交易も活発に行われました。
幕府から海外渡航を許可する「異国渡海朱印状」を与えられた商船は「朱印船」と呼ばれ、東南アジア各地へ渡航しました。こうした朱印船による海外交易は、1635(寛永12)年に日本人の海外渡航と帰国が禁止されるまで続きました。
次の絵画には、長崎の朱印船主・荒木宗太郎の持ち船を描いた絵図をもとに、東シナ海を航行する朱印船の姿が描かれています。

絵画「東シナ海を航海する朱印船」
作:谷井建三
寸法:630×930
所蔵:船の科学館
平戸に置かれたオランダ商館は、1641(寛永18)年、幕府の命令によって長崎の出島へ移転しました。
オランダは、鎖国体制のもとでも日本との交易を許され、出島を通じて西洋の学問や知識、文化が日本にもたらされました。
長崎版画に描かれた阿蘭陀船は、1609年の朱印状発給によって正式に始まり、その後、江戸時代を通じて続いた日蘭交流の歴史を今に伝えています。

錦絵「長崎版画 阿蘭陀船図」
寸法:310×223
所蔵:船の科学館
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