日本政府は、日中戦争の開戦など、国際的な緊張の高まりとともに、昭和12(1937)年に国防を強化するための「優秀船舶建造助成施設」を実施しました。
この補助制度は、補助の見返りに、船の性能や構造面で軍部の要求を義務付けられた制度で、6,000総トン、速力19ノット以上の客船10隻、貨物船7隻、オイルタンカー8隻が建造されました。
このうち、日本郵船の「新田丸」(17,150総トン)とその姉妹船「八幡丸」「春日丸」は、ヨーロッパ航路に就航する外航客船として、三菱重工業(株)長崎造船所で誕生することになりました。
昭和13(1938)年5月9日には、3姉妹の長女「新田丸」の起工式(神事)が行われ、船主代表者によって第一鋲が打たれました。
次の「新田丸完成予想図」は、英人画家FRANK.H.MASONが日本郵船の依頼で描いた完成予想図で、白線入りの船体塗装、欧州航路を想定してスエズ運河航行時の姿が描かれています。

「新田丸完成予想図」
所蔵:船の科学館
「新田丸」の建造期間は約2年(昭和15年3月23日竣工)、船の建造費(船価)は約1,200万円(現在の価格で約300億円)でしたが、そのうち建造費の1/3相当が国から補助金が交付されました。
欧州航路には、日本郵船が明治29(1896)年に第1船「土佐丸」(5,402総トン・イギリス製)を就航させて以来、各社が就航させていましたが、欧州の客船とは差がありました。特に、昭和10(1935)年に出現したドイツの「シャルンホルスト」級3隻は最新鋭の高速客船でした。
その対応に迫られていた日本郵船にとって、「優秀船舶建造助成施設」は絶好のチャンスで、昭和5(1930)年に就航した「照国丸(てるくにまる)」(12,000総トン)よりも43パーセントも大きく、約3ノット速く、「シャルンホルスト」や「浅間丸」とほぼ同じ大きさになり、旅客設備も「照国丸」より著しく改善され、「浅間丸」と同程度になり船質の向上が図られました。
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