夏も近づく八十八夜・・・。本日、2026年5月2日は、二十四節気の立春から数えて88日目となる「八十八夜」で、茶摘みの最盛期でもあり、(公社)日本茶業中央会が「緑茶の日」としています。
「八十八夜の別れ霜」と言われるように、陽暦の5月2日・3日を最後に霜が降りなくなり、古くから八十八夜は農作業の目安とされ、特に、霜が大敵の茶葉は、八十八夜から3週間くらいまで、茶摘みの最盛期を迎えます。
なかでも、摘みはじめの15日間に摘まれた一番茶は、最も良質とされています。

「茶摘み」 出典:写真AC
近年、健康志向や日本食への関心の高まり、世界的抹茶ブーム等により、緑茶の輸出量は年々増加しています。
農林水産省の資料「2025年農林水産物・食品 輸出額」によると、緑茶の輸出額は72,094百万円(前年比+98.2%)で過去最高額を6年連続で更新し、輸出額の8割は抹茶や粉末煎茶が占めているそうです。
お茶の生産地は、それぞれの気候や土壌を生かして、東北から沖縄まで広く生産されていますが、今日のブログでは、「日本三大茶」の一つとして知られる静岡茶の輸出を見ていきましょう。

絵葉書「清水港艀船積込」
寸法:92×142
所蔵:船の科学館
徳川家康が駿府に居住したことで商業港として発達した清水湊は、物流の中継基地として賑わいをみせていましたが、明治22(1889)年に東海道本線が開通したことによって物流が激減しました。
一方、静岡茶は、開国以降、重要な輸出品として横浜港・神戸港から欧米に向けて輸出されており、清水の海運関係者は、静岡茶の輸出港を目指して活動しました。明治32(1899)年、清水港は開港場の指定を受け、明治39(1906)年に静岡茶の直輸出の第一船、日本郵船の貨客船「神奈川丸」(6,150総トン)が清水港から北米に向けて出港しました。

絵葉書「輸出茶の船積」
寸法:90×141
所蔵:船の科学館
以降、静岡茶の輸出量は増加し、明治41(1908)年には横浜港を抜いて日本一の日本茶輸出港になり、大正6(1917)年には日本茶輸出額の77%が清水港から運ばれました。
こうして、静岡茶の輸出とともに発展した清水港は、大正11(1922)年から大型船が接岸可能な岸壁整備等が進められ、艀(はしけ)による沖荷役から、岸壁での荷役に代わり、本船との荷役効率が向上しました。
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