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今日の海の日

日本艦籍に編入された清国戦艦「鎮遠」は、明治44年4月1日に除籍

日清戦争(1894-95)において、日本艦隊に敗れて捕獲された清国戦艦「鎮遠」は、日本海軍船籍に編入され、「鎮遠」と命名されて第一種軍艦に定められ、横須賀造船部で修理・改造されました。

明治31(1898)年3月に海軍艦艇類別が規定されると、計画排水量1万トン以上を一等、1万トン未満は二等に区分され、「鎮遠」は「扶桑」と共に二等戦艦に類別されました。
その後、明治37(1904)年2月に日露戦争の火ぶたが切られると、「鎮遠」は旅順封鎖作戦や黄海海戦、日本海海戦などに参加しています。

鎮遠の廃艦姿.jpg

絵画「鎮遠の廃艦姿」
作:山高五郎
制作年:明治44(1911)年
寸法:152×109
所蔵:船の科学館

日露戦争が終わると、「鎮遠」は運用術練習艦に指定された後、明治44(1911)年4月1日に除籍され、「鞍馬」の射撃実験の標的にされました。

上の絵画は、山高五郎画伯が明治44年に三菱長崎造船所に入社し、その年に横須賀海軍工廠に出張した折に、たまたま同じ年に除籍された「鎮遠」の姿を発見し、この絵を残しています。
山高は、「鎮遠」の艦内にも入っており、その時の印象を「横置きされた蒸気往復動機関が特異だった」と書き残しています。

そして、翌年45(1912)年4月、「鎮遠」は売却され、横浜で解体されています。

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投稿者:メル カテゴリー:船・潜水艦 コメント:0

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